「南阿蘇村疏水群」「全国疏水百選」に選出されました。
 平成17年6月に「疏水百選」の候補地区の募集が行われ、8月に百選候補の選定、10月からインターネットによる選考投票が実施されました。その結果「南阿蘇村疏水群」は、農水省での選考で「全国疏水百選」入選、またインターネットで皆様に御紹介した・FAX・ハガキによる総投票数を含め「ベスト20」では
お陰様で、全国17位に入りました。御協力有り難うございました。



お得な情報です

 久木野地区は水が豊富です。南外輪山の各所に水口があり、常時水が流れる山川が三川あり、
そのほか自然の湧水も豊富で、各地区の簡易水道として利用されています。
 そんな豊富な清い水に恵まれた人々は、みんな心豊かな方達ばかりでした。


竹崎水源は「南阿蘇村疏水群」の水源です。

 総水量は1秒に2トン。一日に17万2千トンという豊富な水量は水源と云うよりも地中から流れ出す川と呼んだ方がいいかもしれません。一時期水源の周辺を公園化しようとの計画があったそうですが、実現しませんでした。
 人がたくさん集まると環境汚染で、いつの間にか水が汚れてきます。水源に隣接した狭い畑には花が植えてあり「私有地につき立ち入り禁止、バーベキュー禁止」の立て看板がありました。やはり水を大切にされています。

 我が家のすぐ近くにも名水100選にも選ばれた池があります。あまり知られていませんが、地域の大切な水です。こんな水源は地域の皆で守り、大切にされています。そんな水源の水は、本当に甘くて美味しい水です。

竹崎水源

 左橋の奧が竹崎水源です。右橋からの流れは両併川で、高森の湧水トンネルから流れ出た水です。いずれも清らかな清流です。毎年地元有志の方の手でヤマメの放流(釣り情報)が行われています。

 最近の河川は、苦い水害の経験から河川改修が行われ二面張りになり、昔の川のイメージは変わりました。
 子供連れでの川遊びもほど遠いものになりましたが、懐かしい川遊びが出来る私の秘密の場所(遊水)も見つけました。
 支流にメダカが泳いでいそうな小川(メダカ)もありますよ。春はセリがたくさん生えます。田植えが終わった水田でメダカの集団を発見。

両併川:川の合流地点の右側が「南阿蘇村疏水群」の取水口になり、
その堰より下で白川に合流します。左の林の下が「竹崎水源」です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 水 事 業~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  久木野地区の水で特記すべき事は、村の水田の半分である約350町歩の水田を潤す灌漑用水路の開削でした。
320年前の延宝2年(1674年)細川藩より南郷谷に用水路開削を命じられた片山嘉左衛門は、約4kmの難工事に8年を要し、開田工事にも着手し、15年ぶりに通水でしたが、長引く工事で、何事も人力に頼る区役の人々も大変な苦労の日々だったようです。水田開発に成功した時の、片山嘉左衛門と農民の喜びは如加ばかりであったでしょうか。またこの工事で水平を出すために「ちきり(竿ばかり)」を利用した斤量式測定法を考案しました。

 その後、次々に延長工事が行われ、現在では久木野村の東西約11kmに通水されるに至りました。先人達の多大な功績の恩恵を受ける村民は常に感謝の気持ちを忘れてはいません。
上流からへ 下流へ
「保木下井出」取水口の近くで、最初に手がけられた用水路です。11km先の村の最西端へ田畑を潤しながら流れます。
 私が住む「藤波組」の下を流れています。毎年、年に二回水を止め、皆で水路の掃除を行います。勿論私も参加します。
 南阿蘇最高の湧水量を誇る「竹崎水源」から取り入れられ、とうとうと流れる水路を見つめていると、小さな村でも、人間が生きる為に費やされた力の偉大さに敬服するばかりです。久木野米のおいしさは、優しい人々と清らかな水にあるのかもしれませんね。
春の清掃作業:4月地区自慢の「枝垂れ山桜」が」満開のもとでの作業です。年に二回行います。この日は、水を止めた疏水の水溜まりに、取り残されたヤマメがはねていました。↓
単身赴任の身を案じて、今夜のおかずにと、取り立てのヤマメを持たせていただきました。優しい地区の方々です。
「南阿蘇村疏水群」の祖である片山嘉左衛門の偉業を讃え、顕彰の碑が平成18年6月8日除幕されました。 
久石の上二子石地区の県道28号線沿いです。