冷蔵庫へ

.kogayuki.  グリーンアイズ1


 夢を見るのが嫌いだ。
 わたしの夢の中は、街なんかとうの昔に廃墟で、まわりは急勾配の山ばかり。そこでわたしはいつも、追っかけられたり戦ったりしている。
 この前なんかサイボーグみたいな顔をした大女に襲われた。刃物を振り回して襲ってきて、わたしは近くにあった金属棒を必死で振り回した。金属棒は偶然にもサイボーグ女の腕に突き刺さったけど、女の肉が潰れていった感覚がいつまでも残った。それで呆然としていたら、やっと目が覚めた。
 大丈夫、これなら現実の方がまだマシだ。
 もちろん現実にもイヤなことはいっぱいあるんだろうけれど。
 現実の世界の方が、乳白色のフィルターがかかってる分だけずっと安全だ。
 
 碧と書いてミドリと読む。お父さんがつけてくれたこの名前は、けっこう気に入っている。
 わたしとお母さんは、転勤族のお父さんと一緒に2年おきくらいに引っ越しを繰り返してきた。わたしは、転校生という立場が嫌いじゃなかった。微妙に空気の濃さが違う学校をいくつも渡り歩くのもそれなりにおもしろかった。もちろん、友だちと別れるのはイヤだったけれど、また新しい友だちができるのも経験上知っていた。
 だけど、わたしが中学に入ってすぐに転勤が決まったときに、お母さんが言った。
「もう、イヤ、このままじゃ碧がかわいそう、高校受験もあるのに、いつまでも、こんな生活続けるなんて」
 それでお父さんは、そうだろうなって寂しそうに笑い、それからはずっとひとりぼっちで日本国中を転々としている。
 だから高校生になった今、わたしはこの町のマンションにお母さんとふたり暮らしだ。

 「おかえり、碧」
 リビングのテーブルはお母さんのお客さんでいっぱいだった。テーブルには化粧品の薄青く透明な瓶がビー玉みたいにきらきら並んでる。お母さんは魔法使いのばあさまみたいな顔をしてその小瓶を触っていた。
「碧ちゃん、入学おめでとう、いいところに入ってよかったわね」
 同じマンションの顔見知りのおばさんが声かけた。
「碧、今日は英語の塾だから、早めに支度なさい」
 お母さんは、こっちを見ないで、化粧瓶を揃えながら言う。
 わたしは返事だけして自分の部屋に入る。後ろから、お母さんの話している声が聞こえた。
 この化粧品に出会えてよかったって、ほんとに感謝してるの。使う人の身になって、安全な成分だけを選んでくれてるから。いままで、わたし、何も知らずに肌に負担をかけていたのね。でも、今は皮膚が呼吸してるのが実感できるのよ。それに不思議なもんで、肌が調子いいと考え方まで変わってくるのね。悪いように考えることがなくなって、なんでも前向きになったの。健康って、そんなふうに自分の内面までも変えられるものなのよね。
 しょっちゅう聞いてるから、わたしにもだんだんわかってきた。
 これを誰かが買ってくれると、お母さんにお金が入るようになってるんだ。それを買った人が、また誰かに売ると、その分のお金も入るようになっている。
 けっこうな収入になるのよ、とお母さんは言うけれど。娘のわたしには、それほどの収入があがっているようには見えない。(実際にその収入で高価なものを買ってもらったことだって、もちろんない)
 ほら、帰りたくてそわそわしてる人もいる。
 それを引き留めようとして、お母さんは紅茶のおかわりを煎れている。
 まあ、いいや。
 大人なんだから、ほんとにイヤだったらさっさと帰るでしょう。

***
 
 塾には行かないで、タイチの家をピンポンした。
 塾には、高校生になって忙しくなったから辞めますと言ってある。もちろんお母さんはそんなこと知らない。
 タイチの家はお父さんしかいない。去年、お母さんは家を出ていった。好きな男ができたんだと言う。だけど、出会い系で逢った男なんかに本気になってもねえ・・・というタイチの予測通り、家を出たからって二人が結ばれることはなかった。タイチのお母さんは、今はひとりでアパート暮らしをしているらしい。前に遊びに行ったら男と鉢合わせになったから、まだ続いてはいるんだろうな・・と、タイチはひと事みたいに言っていた。
 一流の商社に勤めてるお父さんは毎日午前様で、おかげでわたしとタイチは毎日ゆっくりとこの家でくつろいでいられる。
 タイチは頭がいい。っていうか、物知りだ。家でいっつもお父さんの雑誌とか本とか読んでるし、ビデオやDVDとかパソコンとか気兼ねすることなく延々と楽しんでる。

 そうして今日、タイチが見ようって言ったのは、その父親の持っていたビデオだった。
 今風の女の子がアイドルみたいに笑ってたんで、お父さんの好きな歌手のプロモーションビデオ? なんて思ったわたしが馬鹿だった。この子はそのあとすぐに、上目づかいで自分のミニスカートをまくりあげて下着を見せた。お祭りのヨーヨーみたいな色をしたローライズの下着だ。男がいやらしいことを言って、それで女の子が脱いでいって、大事なところが丸映しになるというやつだ。おまけにそのあとは、男のモノまでまさにそのまんまで映し出されて、それはつるんと光ってるみたいで、おお、こんなにマジに明るいところで見たことなんてないぞっと、わたしは驚いてまじまじと見つめてしまい、おいおい碧、すごい顔して見入ってるよってタイチに笑われてしまった。
「でもさ、自分の父親のって、なんか恥ずかしくなんない?」
「ビデオなんて趣味なんだから、どうでもいいよ。勘違いしてしまう出て行ってしまう母親の方がおれは恥ずかしい」とタイチは言った。「でもねー、オヤジだってさ、おれが寝てると思って夜、女連れて寝室入ったりするんだ」
「うそ! それマジ、ヤバイ」
「そいで朝さ、おれが起きる前に帰っちゃうんだ。窓から見たら、けっこう若い女でさ。一体あんな男のどこがいいんだろうねえ・・・」
 わたしは、両親のセックスすら想像できない。想像するだけで吐きそうになる。もっとも、ずっと一緒に住んでないんだから、そんなことないんだろうけど。ウチは、もともとセックスとか恋愛の匂いなんて、全然ない家族だ。
 タイチはビデオに飽きてきたらしく、わたしの短めのスカートに手を入れてきた。まくりあげたミニスカートから下着だけを剥ぎ取って、触るのももどかしげにさっと中に入れてくる。
 わたしたちは二人で器械体操してるみたいな感じで、ビデオに撮って見てみたら、あの人たちよりももっと滑稽なんじゃないかとかと思った。
「ビデオの女の人たちは、あんなにすごい声を上げるのにさ、碧は色っぽい声って出さないんだな」
 タイチはゆったりと腰を動かしながらそう言った。
「黙ってたら、見てておもしろくないからおおげさにやってるんじゃない?」
「いや、そうでもないらしいよ。本当に気持ちよくって声が出るらしい」
「じゃあ、どうしてわたしは、そうじゃないんだろう」
「きっと、もっともっと先があるんだ。何度も何度もやってたら、気持ちよくってたまらなくなるんだ」
 声を出すほど気持ちよくなくても、わたしはタイチとのセックスが嫌いじゃない。こんなふうにぎゅって抱かれるとそれだけでいい気持ちになれる。
 知らない快感ってのは、想像のしようもないんだもの。仕方ないじゃないか。
 タイチはわたしの中でだんだん高ぶって、そこで自分をみんなさらけ出して果てていった。イクってのは、そんなふうに無防備になれる瞬間なんだろう。わたしはタイチがそうして開いてゆくのが、嬉しくもあり誇らしくもあり、そして少しだけ羨ましかった。
 だけどわたしは開かない。奥底にある快感に触れられないのと同じように、わたしの心の一番奥も、もう少しのところで開いてゆかない。
 乳白色のわたしのフィルターは、わたしを守ってくれるけれど。
 わたしを無防備にもさせてくれない。
.kogayuki.

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