親愛の情と好感度
ブラウンとレヴィンソンによる親愛の表現:『社会的スキルと対人関係』(相川充・津村俊充編:P67)
- 聞き手の関心、要求などに言及する(例:すてきな髪型ですね、お似合いですよ)。
- 誇張する(なんて、すばらしい演奏でしょう)。
- 共通点に言及する。たとえば相手と見解が同じであるはずのことに言及する(いい天気ですね。/その本は私も読みました。面白いでしょう)。
- 言及することを一致させる。たとえば、相手の発話を繰り返す(昨日東京へ行きました。→そうですか、東京ですか)。
- 冗談を言う。
- 聞き手との仲間意識を示すために、親しい呼びかけ、方言、隠語などを使用する。
いや〜、もういいかげんにウンザリしてきた。・・・なにしろ、日頃、これらのコトバに襲われる度に、「生きてるのがイヤ!」と思ってしまうことばかりが並んでいるから。さしあたって、ほどほどに「会話」はしている。付き合い切れないものは、身の安全のために「沈黙」を守ることにしている。「親睦会」にはちゃんと参加するが、その場にいなくて済む方法を考える。「世の中」に留まるためのソーシャルスキルは、クリアーした。だからこそ、↓のような発言をすることを許して欲しい。
- 関心や要求の内容が違うので、人からそんなことを言われてもうれしくない。こっちから言う時は、ただ、見た目の印象を言葉に変換しているだけ。パッと見て「髪型変えた?」とか「その髪型、ヘン!」とか「風邪ひいたの?」とかいうことは、ズバリ言ってしまうが、別に気を使ってあげているわけでもないし、相手を喜ばせようとも思っていない。
- 私が誇張すると、たいていヒンシュクを買う。というのは、素敵だと思う内容が違っているから。
- 天気や読んだ本について言及するのは、相手と見解が同じはずの事柄を利用して話の取っ掛かりにしようとするためだなんて、知らなかった。(天気の話は挨拶の儀式で、天気予報の解説をするものだと思っていた。本は、何かの役に立つ情報を提供する目的がない限り、「読んだ」「知ってる」ことを言うだけ。)
- オウム返しするのは、切羽詰まった時に、どう言っていいか分からないけれどとりあえず何か言っておこうとして使う手段。
- 冗談は、通じないかきつすぎるかのどちらか。
- 親しい呼びかけ・方言・隠語は使わない。使われると不快。(ただし、方言の一部は何年かすると自然に覚えて使ってしまってたりする。でも、テレビなどで聞き覚えたギャグやへんてこな関西弁は、好んで使う。)
口が裂けても、「言えないもの」は言えないのだ!
それから、非・言語的なコミュニケーションだって、それほど奇異ではない。しかし、こういう風に並べられると、やっぱりウンザリする。
ナップによる非・言語的行動:『社会的スキルと対人関係』(相川充・津村俊充編:P74)
動作行動 ・・・・・・ | 体や手足の動き、表情、微笑、目の動き(視線、瞬き、瞳孔の拡大・縮小) |
接触行動 ・・・・・・ | 触れる、なでる、叩く、抱く |
身体的特徴 ・・・・ | 体格、体型、体臭、身長、体重、皮膚や髪の色 |
準言語 (話し方)・ | 声の質(高さ、リズム、テンポ)、声量、ため息、言い間違い、沈黙、「ええっと」などの音声 |
人工物 ・・・・・・・・ | 香水や口紅などの化粧品、眼鏡、衣類 |
プロセミックス ・・ | 個人の空間の知覚および使用の仕方、すなわち、話す時に互いに立つ距離・向き |
環境要因 ・・・・・・ | 家具、照明、色、温度、音など、個人と相互作用を営み影響を与える要因 |
一見「普通」なのは、「話し方」がだいぶ変わったからだろうと思う。顔の表情とか目の動きも、随分と自然になった。でも、家に帰ると"子どもの療育上必要なこと"はちゃんとしているが、「時間外には話し掛けても応えない」と言ってある。無理して、聞いてる振りはしない。接触防衛も、外では随分と我慢しているが、家の中では「触るな!」「来るな!」と言っている。それから、化粧はどんな場合でもしない。小さい子どもに「恐い〜」と逃げられても、サングラスとバンダナは外さない。身体に悪い影響を及ぼす環境要因は、正々堂々と理由を言って避ける。
まっ、もう、できる限りのことはし尽したので、ワタシは私自身に戻る「時間」というのを作りました。そして、"どうしてもやらなければならない義務"でない事は、しないようにしています。自分から任意でやることについては、誰にも縛られず・誰の期待にも応えないことに決めました。これからは、自分にとって「楽」なやり方で、「楽しいこと」を優先にします。と言うわけで、こういう「できていないこと」を一覧表にして、「できるようにならなければいけない」と思うこともやめました。
結論その1:これ以上、親愛の情は示さない。好感度は上げない。
結論その2:イヤなことはやらない。無理はしない。これも立派なソーシャルスキルの内。
結論その3:ワタシのタワゴトが何か役に立つのなら、ご自由にお使い下さい。
ワタシが、さ〜んざんバカなことをして、怒鳴られたり騙されたり病気になったりしながら覚えたことを、息子たちに教えていて思うこと。・・・小1のADHDの次男が誰に教わらなくてもできていることを、アスペの長男には12年間も教え続けているけれど、まだぜ〜んぜん覚えない。やっぱり、生活がかかって自分で身につまされないとダメなんだろーな?(あとは、自力で、なんとかしなさーい!)
日頃は、"カチンコチンに凍って冬眠"しているので、二週間に一度は思いっきり解凍されて、「自閉症のワタシ」に戻ります。
と言うわけで、ソーシャルスキルの研究は、これを以って終了。もう、いいでしょ!
(これだけ暴走したら、誰も着いて来れない?)
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