社会的相互作用

−[社会的スキルの生起過程分析]と[アサーション・スキル]−

『社会的スキルと対人関係』(相川充・津村俊充編:P6〜14)の要約と「自閉性障害者」との比較
  【下位過程】とその解説 社会心理学による分析 自閉性障害者
人付き合いの上手い人 人付き合いの下手な人
【相手の対人反応の解読】 相手の発言内容ばかりでなく、発言時の声の大きさや表情、視線の動きにも注意を向ける。

相手の欲求や真の要求を正しく解釈し、自分が今どんな状況に置かれているのか的確な判断を行う。

相手の対人反応を的確に解釈しているので、肯定的な対人感情を持つことが多い。あるいは過度に否定的な対人感情を持つことが少ない。

相手の少数の反応、たとえば相手の発言内容にのみ注目する。

対人反応の知覚の不十分さから、対人反応の解釈を誤ってしまうことが多い。

相手の対人感情の解釈を誤ることが多いので、しばしば悔しさや怒りなどの否定的な対人感情を持つ。

相手の発言とその状況をそっくりそのまま記憶してしまう。そして、その表面的な意味のまま解釈して、受け取ってしまう。

相手の声の音質や顔の表情の一部分の形状が、その人の印象を決定する。

自分に同じような感情や欲求があれば判るが、社会的な感情や欲求がないので、それらの反応を求められても、全く応えることができない。

対人感情といっても、安心できる人か恐怖対象になる人かの選択でしかない。

何かの目的を持って接近して来る人の意図を、全く考えずに受容してしまうか、考えすぎて拒絶してしまうかのどちらかになりやすい。

〔対人反応の知覚〕

相手が示す言語的・非言語的反応を知覚する。

〔対人反応の解釈〕

対人反応の知覚にもとづいて、相手がどんな意図や要求のもとに、当の反応をしたか解釈する。

〔対人感情の生起〕

対人解釈の結果として、一定の感情が生じる。

【対人目標の決定】

眼前の対人的状況に、いかに反応すべきか決定する。

的確な対人反応の解釈にもとづき、自分にとっても相手にとっても有益な対人目標を選択する。 否定的な対人感情の影響もあって、自分の利益だけをひたすら守るような、あるいは相手を攻撃するような対人目標を選択する。(その場の状況に対して不適切な対人目標を持つことが多い。) 積極的に係わろうとしすぎるか、受動的になりすぎて言いなりになるかのどちらか。
【感情の統制】

以下の二種類の感情を統制すること。

  1. 対人反応を解釈した結果として生じた対人感情。
  2. 対人目標を決定したことによって生じた感情。
対人反応の解釈の結果生じた否定的な感情を抑制し、冷静であろうとする。また、対人目標の決定によって生じる緊張や不安も抑制することができる。 悔しさや怒り、相手に対する否定的な感情を抑制できなかったり、あるいは対人目標の決定にともなって生じる不安や緊張を過度に強く感じてしまう。 常に、過度な不安・緊張状態にある。

相手に対して感情を表出するというより、パニック・癇癪や他害・自己攻撃や自傷といった神経症的な症状を示す。

抑うつ状態に陥りやすいが、気づきにくい。

【対人反応の決定】 自らの対人目標を達成するためのスキル因子は何であるか、豊富なスキル因子のなかから決定することができる。

また、各スキル因子を構成するために、どんなスキル要素を組み合わせれば効果的かも理解している。スキル要素の数も豊富である。

さらに、スキル因子の実行、つまり対人反応がもたらす効果を的確に予測することができる。

したがって、リスクやコストの大きな対人反応を避け、対人目標の達成に適した対人反応を最終的に決定できる。

対人目標を達成するスキル因子は何か分かっていない。

用いることのできるスキル因子の数も少ない。

また、各スキルを構成するために、どんなスキル要素を組み合わせれば効果的か理解していない。

スキル要素の数が少ないだけでなく、組み合わせ方に柔軟性がない。

さらに、対人反応がもたらす効果を的確に予測できない。

したがって、リスクやコストの大きな対人関係を選択してしまう。

パターン化した対応しかできない。

スキル因子を選択するどころか、その場でとっさに思いついた方法で対応してしまう。何も思いつかない時は、フリーズしてしまう。

スキル要素は、各々の身体的特性の制約を直接反映している。

場面や立場によって、自分の演じるキャラクターを使い分けて態度を決定する。

対人反応の効果は、公式として予測しているが、実効があったかどうかフィードバックしないので、確認できない。

〔スキル因子の決定〕
  • 質問スキル
  • 会話スキル
  • 傾聴スキル
  • 謝罪スキル
  • 主張スキル
  • 拒絶スキル
〔スキル要素の決定〕
  • アイコンタクト
  • 表情
  • 声の大きさ
  • 声の抑揚
  • 体の向き
  • タッチ
  • うなずき
  • 距離

単一では必ずしも社会的な意味を持たない。他のスキル要素と組み合わされてスキル因子を構成したときに初めて、社会的・対人的な意味を持つ。

〔対人反応の効果予期〕

上のスキル因子を実際に用いたときに、どんな効果が期待できるか、どんな結果が生じるかを予測する。

【対人反応の実行】

決定された対人反応を、言語的、非・言語的行動に表出する。

対人目標の達成にとって適している対人反応を言語的にも非・言語的にも的確に表出できる。

また、自らの対人反応が適切であるかどうか自己監視し、修正や微調整を繰り返しながら最適な対人反応を心がけることができる。

対人反応を言語的にも非・言語的にも的確に表出できない。

また、言語的反応と非・言語的反応が統一されていない。たとえば、その場の状況に不適切なことを言う。声が小さすぎる、言っていることに表情がともなわない。視線をそらしながら話をするなど。

しかも、このような自分の不適切さに気づかないことが多い。

状況が、選択したパターン通りにハマッている場合は、非常に上手く事が運ぶ。

状況が読めない場面では、パターンの選択ができずに混乱したり、突拍子もない事をしでかす。

手持ちのパターンが通用しない場面では、何もできなくなってしまう。

率直に言って、ここで言う「人付き合いの上手い人」が本当にいるのかどうかというところからして、疑問だ。だって、だいたい、世に言う「要領のイイ人」というのは、ありとあらゆるソーシャルスキルを駆使して、「自分の利益を守れる・利己的な人」であることが多いから。自分の感情をアラワにして、自分にとって有利になるように大多数の人を言い含めてしまう。そういう人が、"自分にとっても相手にとっても有益な対人目標"を掲げているとは、到底、思えない。"自分にとって有益"ならば、"相手がどんな不利益を被っても構わない"ようなことを平気で言う人って、いーっぱいいると思う。

それに、本当に"誰からも好かれる"のなら、相手が「自閉性障害者」だったら、「自閉性障害者」にも好かれるのでなければ、"誰からも"ではないはずだ。しかし、よほど「自閉症」に詳しく、様々な「自閉性障害者」に面会した経験のある専門家でない限り、"打てば響く"ような反応をし、"痒いところに手が届く"回答をしてくれることはない。ということは、単に「付き合いのイイ人」を定義しようというのなら、相手の行動や発言を的確に解釈して、相手に合わせて自分の態度を変えられればいい。が、「人付き合いのウマイ人」というのは、たくさんの相手に対してそれができる人で、世の中の大半を占める健常者の社会で人気があったり評判のとても良い人、つまり、社会的に成功してそれなりの地位についている人のことだろう。だったら、そんな人、ワタシの身近にいるはずもない。

だいたい、そんな人がいたとしても、きっとワタシにとって"一緒にいたくない人"とか"感覚的に「場」を共にできない人"だろうし、そういう人から見ればワタシは、"態度の悪い人"とか"世間知らずな人"とか"食えないヤツ(注:私自身は、それがどういう人のことなのかサッパリ解かっていない。)"だろう。

それから、非常に適応の良い「自閉性障害者」が、上の表の「人付き合いの下手な人」に見られていることがあるだろう。けれど、「人付き合いの下手な人」の全てが「自閉性障害者」ではない。


世の中には、「人付き合いに悩む人」とか「上手く人付き合いしたいと思っている人」とか「職業上の必要に迫られて人との付き合い方を訓練しなければならない人」が五萬といるから、そういう人たちのためのセミナーとか、社員研修が盛んに行われているというわけだ。

その中に、アサーション・トレーニングというのがあるそうだ。

こういうことを最初に言い出した、ウォルピとラザラスという人は、まず、対人関係の様式を下の三つの類型に分類している。(『社会的スキルと対人関係』相川充・津村俊充編:P202)

  1. 自分のことしか考えず、他人を踏みにじる言動。
  2. いつも自分のことは二の次で、他人を立てる言動。
  3. 二つの中間、自分のことをまず考えるが、同時に相手のことも考慮する言動。

で、アサーション(主張・断言・確言・言明・所説)スキルとは3の意味で、「自分の欲求、考え、気持ちを、率直に正直に自分にも相手にも適切に表現すること。」だそうだ。

はは〜ん、これで分かった!

ドナさん流に言う、『自分が100で、世の中が0/自分が0で、世の中が100』という「自閉性障害者」の「社会的相互作用のなさ」を言葉で表現すればするほど、『これは、私の事だ!』と思う人が後を絶えないわけだ。ワタシが、実際に知っている「自閉性障害者」のことを頭に浮かべながら書けば書くほど、『私も同じ!』と言われるわけだ。その中には、確かに本当の「自閉性障害者」もいるし、そうでない人もいる。が、それは文字上では判別しにくい。

だって、いわゆる「人付き合いを上手にするためのセミナー」なんかで行われているアサーション・チェックリストを見ると、「人から好かれたいがために、人前で意見を言えない人・相手の気に入る行動だけしようと気を使っている人」と、言葉の上では非常に似ているもの。(『同』:P213)

日精研心理臨床センターの「アサーション(自己表現)チェックリスト」と「自閉性障害者」の意識との比較。
  チェックリスト 自閉性障害者
自分のすることはたいてい、ほとんどの人に認められないといけない。 たいてい、ほとんどの人に非難されることを繰り返していた経験があるので、「ほとんどの人に認められるような"正しい行い"をしたい」と、強く思っている。
人は誰からも好かれないといけない。 誰からも嫌われることをして非難された経験があるので、「誰からも好かれるようにならなければならない」と、強く思っている。
人があなたのことをどう考えているかはとても大切なことだ。 公的自意識(他者の目にどう映っているか自然に配慮して自分の行動を規定する意識)がない分を、観念的な法則で補おうとする。その結果、それで自分自身の行動や思考を縛ってしまう。
自分自身に頼るよりも人に頼った方がいい。 全くの〈自分自身〉でいるか、〈他人〉になりすましているかのどちらか。
人は他の人に頼らねばならない。自分よりも強い頼れる人が必要である。 能力的に欠損している部分は、全面的に他者に依存するしかない。
人を傷つけるのはとても悪いことだ。 実際に"人に怒られる行動"や"人を傷つける発言"を繰り返しているので、「もうそういうことはしたくない」「そういうことをしてしまう自分は悪い人だ」と思っている。
人は常に有能で適性を有し業績を上げていなければならない。 もともとの能力特性のアンバランスのために、収入に直結するような技術の習得が困難。技能は習得できても、ソーシャルスキルがなくて雇用されにくい。
人生の主な目的は、業績を上げ成功することである。 〈人〉と繋がっている感覚を、〈人〉の役に立っている実感で得ようとする。
能力を発揮するところがまったくないのは、その人に何の価値もないということである。 成果の見える「仕事」がないことは、「自分の存在価値」を否定されることに等しい。
10 間違いや悪いことをしてしまったら、いつも自分を厳しくとがめないといけない。 失敗体験を多くしているので、もともとの自己評価が非常に低い。
11 間違いをしてしまった時、いつも自分を罰すれば、将来の誤まりを防ぐことになる。 どうしてなのか、何が悪いのかわからないのに怒られたことは、いつまでも記憶に残る。その理由が分かるまで、何度も何度もフラッシュバックして再生されるので、似たような状況を回避しようと努力する。(「自閉症」の論理が分かって理由付けされ、言語化されると解決することが多い。)

それが「学習」に繋がれば、同じ状況に陥った時に、同じ過ちを繰り返さないように用心することができる。

しかし、本当にその場から逃げてしまったり、パニック状態になったり癇癪を起こすというような不適切な行動をとってしまうこともある。また、慢性化すると、抑うつ状態になる。

12 人が間違いや悪い行いをしたら、非難すべきだ。 自分にできていようといまいと、人の行いにイチャモンをつけるのが、非常に好き。特に、自分が正しいと思っていることは、どこでも必ず実践しようとするし、他者にも要求する。

それで、そういうセミナーの目的は、自分にも「アサーション権=自己表現に関する基本的人権」があることを知って、それを行使する自信をつけさせるという次第だ。

その権利が、一部紹介されている。(『同』:P211)

ありゃ〜、言葉にすると、今ワタシがしていることと全く同じだ!(内容は全く違っていると思うけど…。)まっいいのだ、勘違いだろうと何だろうと、それでみんなが「楽」になってくれれば。


でも、ワタシは、文字言語によるコミュニケーション能力が高くないので、"ワタシと同じようなことをしている人"を実際に見れば「共感」できるけれど、そのことをコトバにして伝えようとしてもワカラナイので、「拒絶スキル」を発動して皆さんを邪険にしてしまう。で、どうしていいかワカラナイので、とりあえず「謝罪スキル」を用いて謝るしかない。

みなさま、本当に「ごめんなさ〜い!」


        

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