7.自虐



「……あれは……あの……か………………は…………」

 掠れた声で、ゆっくりとセオドールは言葉を紡ぎ始めた。

 顔を不可解そうに歪め、ルテールは弟を見る。

 アルメリアは妙だというように首を傾げる。

「あれ……は……」

 セオドールはルテールのほうを見ているが、その目はルテールを映してはいない。ただ焦点の定まらぬ虚ろな瞳がルテールのあたりに向けられているだけである。

「あ…………く……」

 そう、あの影は悪魔。

 そのことをルテールに言わなくてはならない。

 だが……。

『お前は隠し通すことができるかな?』

『知られれば、身の破滅だぞ』

 どこかで声がする。自分の内から聞こえるのか、それとも誰かがそう自分に囁いているのか、わからない。だが、これだけはわかる。

 ……言ってはいけない!

「うっ……」

 セオドールは呻き声を漏らすと、手を口に当ててうつむいた。

 そして自らの白い指を噛み、声が出ないようにする。

 激しい痛みではなく、じんわりとした疼痛が広がる。頭を覚醒させるには不十分だが、この痛みに集中することで余計なことを漏らさずにすむ。

 そう思えば、この煩わしい疼きでさえ、どこか心地良く自分を痺れさせてくれる。

「……こいつ、変だぞ。……そりゃあ、もとから変だけど、さらに変だぞ……」

 ルテールは怯えたようにセオドールから目をそらし、困ったようにアルメリアを見る。

「セオドールお兄様……? どうなさいました……?」

 おろおろとセオドールの様子を伺うアルメリア。

「おかしいですわ。まさか、毒薬と間違えたのかしら……」

 苦しむセオドールを見ながら、ふと、漏らした呟き。

「……アルメリア、今、何と言った?」

 信じられないものを見るような目つきでルテールは妹を見、問う。

「え……?」

 はっとしてアルメリアはルテールのほうに振り返る。その表情が強張っている。

「毒薬? お前、セオドールに何をした……? まさか、こいつを殺すつもり……か?」

 おそるおそる、そう口にのぼらせる。

「ちっ・違いますわ! 私が飲み物に混ぜたのは、自白剤ですわ!」

 アルメリアはルテールの言葉を否定する。しかし、その否定の内容もルテールを驚かせるには十分だった。

「自白剤!? いったい何のために……?」

「それはもちろん、愛の自白……もとい、愛の告白大作戦ですわ!」

 高らかに宣言するアルメリア。

 ルテールは一瞬、目の前が真っ白になった。毒薬だ、と言われたほうがまだ驚きは少なかったかもしれない。

「……それは、いったい、どういう、こと、だ……?」

 やっとのことでそう口にする。

「え? 3日前、廊下でセオドールお兄様がルテールお兄様を口説いていたのでしょう? だから、それにご協力をと……。セオドールお兄様の飾らない、本当のお気持ちをルテールお兄様に聞いて頂こうと思って……」

 アルメリアの言葉に、ルテールは大きなため息をもらす。

 この妹は、もしかしたらセオドール以上の変人なのではないだろうか。

「あれは、奴がただ私をからかっていただけだ! お前のは邪推以外の何ものでもない!」

 それはそれで情けない気もするが、アルメリアの勘違いのほうが遙かに重大である。

「ええっ!? そうでしたの!? ……つ・つまらないですわ……」

 大きくブルーの瞳を見開いて、アルメリアは叫ぶ。

「つ・つまらない……?」

 ルテールは頭を抱えてしゃがみ込んだ。

 どうして、自分の弟妹は変人ばかりなのだろうか。

「ルテールお兄様だってそれなりの外見だし、セオドールお兄様はこの通りの美貌だし、美しいもの同士、お似合いだと思いましたのに……」

 ぶつぶつと呟くアルメリアの言葉を聞き、ルテールはいっそう深い奈落の底に落ちて行く気分だった。

 だが、そのような兄の気持ちになどまったく気づく様子もなく、アルメリアは苦しみ続けるセオドールをうっとりと見つめる。

「ああ……苦しみに悶えるセオドールお兄様も素敵……お美しいわ……。白磁の肌は常よりもなお白く……」

「……青ざめているんじゃないか?」

 ルテールのぼそっとした呟きなど、当然アルメリアの耳には入っていない。

「麗しの口唇は、薔薇よりもなお紅く……」

「……ちょっと待て。血が滲んでいるぞ!? だから紅くなっているんだ! 医者呼べ、医者!」

 うっとりと陶酔の呟きを続けるアルメリアと、あわてふためくルテール。

 しかし、それもセオドールの耳には聞こえていなかった。彼は肌が破けるほどに強く指を噛み、その激しさを増し続ける痛みにすべてを委ねていた。










「ん……」

 微かな呻きとともに、セオドールは目を開けた。

「……おっ、気が付いたみたいだぞ」

「よかったですわ……」

 目の前に、見覚えのある顔が2つある。ルテールとアルメリア。

 ……ここは、どこだ?

 現在自分の置かれている状況をはっきりと認識できないまま、セオドールはゆっくりと身を起こした。

 そして周りを見れば、見慣れた部屋、自分の寝室だった。自分はベッドに横たわっていたらしい。

 徐々に先ほどの記憶が戻ってくる。アルメリアに呼ばれ、そして……。

 そう、悪魔のことを言いそうになってしまったのだ。

「私は、いったい……?」

 妙なことを口走っていないかどうかを確かめたくて気は焦っていたが、用心深くセオドールはそれだけを口にした。

「そう、実は……」

 嘆息を漏らし、ルテールは説明を始めた。

 アルメリアが勘違いによって、セオドールに自白剤を盛ったこと。

 その後、セオドールが自らの指を傷つけ、気を失ってこの寝室に運ばれたこと。

「多分、自白剤のショックで自虐的行動に出たのではないかと医師は言っていた。まだ少し薬が残っているから安静にしていろ、ということだ」

 ルテールが説明を終えると、アルメリアがしゅんとして、捨てられた子犬のような目でセオドールを見る。

「申し訳ございません、セオドールお兄様……」

 その青い瞳には涙がたまっている。

「お兄様のお美しいお身体に傷が……。もう、何とお詫びしても足りませんわ! せめて、私のこの命で償いを……!」

 言うが早いか、どこからか短剣を取り出してそれを自分の喉元に向けるアルメリア。

「こっ・こらっ! やめなさい!」

 素早くルテールがそれを取り押さえる。

「いいえ! どうか、止めないで下さい!」

 首をぶんぶんと振りながら、アルメリアはルテールの手をふりほどこうとする。

 その緊迫した、しかしどこか滑稽な様子を見ながら、セオドールはそっと安堵の吐息を漏らした。

 この様子を見る限り、どうやら悪魔のことは口走らずにすんだようだ。

「セオドール! お前も何とか言ってやってくれ!」

 意外と力の強いアルメリアを必死に押さえながら、ルテールはセオドールに助けを求めた。しかし、一瞬の後にアルメリアの自殺を助勢するようなことを言われないだろうかと表情を強張らせる。

「……先ほど、私に安静にしていろと言っていなかったか?」

 この妹の行動と、兄が自分に向けた不信の表情に呆れながら、いつもの抑揚のない口調でセオドールは言う。

 その言葉に、アルメリアの行動がぴたりとやむ。

「そこで血など流されては、清掃に時間がかかる。……だいたい、私の身体に傷がついたからどうだというのだ。それよりも、この私に薬を盛ったということのほうが重要ではないのか? それに、お前が死んで何の詫びになる。それよりも、詫びたいというのならば、あの魔剣をよこせ」

 セオドールの言葉に、ルテールとアルメリアがそろって顔を強張らせる。

「じ・実は……あの剣は、我が王家に代々伝わる剣なのです!」

「そう、それをアルメリアがこっそり持ち出したのだが……欲しくなったか?」

 2人とも緊張しているが、理由はそれぞれ違う。アルメリアは魔剣を持ち出したこととセオドールの要求する詫びの条件を満たせないこと、ルテールは王の証であるあの剣をセオドールが欲しがった場合に自分がどうなるのかということ。

「な……ん……だと……?」

 思わず声が漏れる。

 あの絶大な魔力を秘めた魔剣、それがこの王家に代々伝わる剣……?

「じゃ・じゃあ、セオドール。安静にしていろ。私はこれで……」

「も・申し訳ございません、お兄様……代わりに、他の魔力の込められた品を差し上げますので……」

 そそくさと2人は部屋から出ていってしまった。

「…………」

 2人が出ていったことにも気づかないまま、セオドールはじっと考え込んでいた。










「ずいぶんとお悩みのようだな」

 思考の世界に入り込んでいたセオドールを現実に引き戻す声が響く。

「……貴様が現れるような時間ではないぞ。夕暮れすらまだだというのに」

 声の主を見ようともしないまま、セオドールは淡々と言った。

「まあ、気にするな」

 そう言って、悪魔はベッドの端に腰を下ろすとセオドールの左手を持ち上げた。その人差し指には赤く滲んだ包帯が巻かれている。悪魔は丁寧に包帯をほどく。

「……これは、自分で傷つけたのか?」

 くっきりと歯の跡が残る指を見て、問う。

「その血で、勝手に契約書のサインをかき上げる気ではあるまいな」

 問いには答えず、セオドール。

「生憎、お前自身の承諾が無くば契約は無効だ。安心するのだな。それより、問いに答えろ」

 傷口をなぞりながら悪魔は再び問いを繰り返す。

 セオドールは傷口に走る痛みに顔をしかめる。

「……私に命令するな、悪魔」

 手を払いのけ、セオドールは悪魔を睨み付ける。

「おや、そのような態度をとってよいのかな?」

 からかうように言うと、悪魔は空中に留まったままのセオドールの手を捕らえ、その傷口にそっと自らの口唇を触れた。

 すると一瞬で傷口が塞がり、傷の形跡などまったくない白く滑らかな肌が形成される。

「……今の治療に感謝しろとでも?」

 この行為に何ら感銘を受けた様子もなく、つまらなさそうに鼻を鳴らすセオドール。

 そのようなセオドールの態度に悪魔は忍び笑いを漏らす。相手の勘違いを笑うような、愉悦を含んだ笑い。

「そうでは、ない」

 ゆっくりと、区切りながらそう言うと、悪魔はセオドールの髪を一筋すくった。指の隙間から、さらさらと軽やかな音をたてて銀糸が舞い落ちる。最後まで自らの掌中に留まっていた髪に口づけると、悪魔はそっとセオドールの耳元で囁いた。

「お前の王家に伝わる剣、それの魔力付与者を私が知っていると言ったら……どうする?」





第6話へ  第8話へ

「氷の魔剣」目次に戻ります TOPに戻ります