6.陥穽



 本を手に入れてから一夜が明けた。魔界語の勉強をしていたセオドールは一区切り付け、ロサ・リカルディーの魔界行以前の日記を見ることにした。

 ロサ・リカルディーの旅日記は、日記というよりは誰かに読まれることを前提として書かれているかのようだった。内容はまさに吟遊詩人の織りなす物語そのもので、そういえば彼女は音楽家として、また詩人としても名を残していたことをセオドールは思い出した。

 しかも、登場人物が歴史に名を残した人物ばかりである。プレファレンスの隣国であるメルレーン王国が崩壊しかけたときにそれを立て直したカイン王子、一介の傭兵から一国の王まで昇りつめたドリスコル、竜殺しのオリバールド、闇の大魔術師と畏怖されるアル・アーディル、また自分が最近まで留学していた魔術学院の理事長の名までがあった。

 世界に名を知られる以前、彼らがまだ若い頃にこのような繋がりがあったとはと驚かされることばかりだ。英雄とは英雄同士引き合うものかと思わされる。

 しだいに彼女は婿探しという目的を忘れていくように見えた。婿探しの旅から、世界中を巡る冒険に移ってしまっている。

 セオドールが著しく興味をひかれたのは、若かかりし頃のアル・アーディルが不本意ながら悪魔と契約をしてしまったというところである。まったくの他人事として片づけるには、悪魔はあまりにも自分の近くにいすぎた。

 契約を解消するべく、天界を目指す。悪魔の契約の力をそれ以上の力で打ち消すために。見つけたのは、許されぬ恋ゆえに天から追放された天使。しかも、以前からの知り合いでもあった人物だった。

 彼の力を借りて、悪魔の力を浄化した。彼は天に戻ることを許され、恋を失った。一度追放された天使が天に戻ることを許されるのは、異なこと、名誉なことであった。それが幸せなことかどうかはわからないが、彼は自分の意志でそれを選んだ。

 こうして、アル・アーディルの契約は解消された。

 ロサ・リカルディーの日記には叙情的な文章でそのことが述べられていたが、セオドールは感情的なことにはあまり関心がなかったので、事実のみを解釈した。

「…………」

 契約を解消することができるのかと、セオドールはいささか意外な気分だった。しかし、そのためにはかなりの労力を必要とするようだ。さらに、自分には天使の知り合いなどいない。

 さらに日記を読み進めていくと、その後、ロサ・リカルディー達はある遺跡の扉を開くために必要な剣を探すべく、魔界へと旅立つこととなる。

「まさか……」

 いよいよ探している魔剣のことらしい話が出てきた。しかしここで日記は終わり、次の『魔界編』へと続くようだ。すなわち、魔界語を先に勉強しろということである。

 それでも、セオドールは『よくわかる魔界語』を片手に、旅日記・魔界編を開いた。昨日から勉強しているだけあって、多少はわかる部分がある。しかし、ロサ・リカルディーは実際に魔界でこの文章を書いていたのだから、もしかしたらこの『よくわかる魔界語』に載っていないような表現もあるのではないだろうか。

 漠然とした不安を頭から振り払い、セオドールは日記の解読を進めた。










 そろそろ休憩にしようかと思った頃、ドアをノックする音が響いた。

「何だ」

 本を閉じ、それを隠匿の魔術を封じた箱にしまいながらセオドールは答える。

 この箱は、その存在を最初から知らないものには認知できないようになっている。そこに箱があることに気づかないのだ。仮に触れるなどしてそこに物体があることに気づいたとしても、箱に興味を抱くことはない。無意識のうちにその存在を拒絶してしまうのだ。

「アルメリア様がお部屋にいらして下さいとのことです」

 ドアの向こうで侍女の声がする。

「何故だ?」

 用があるのならばお前が来いと言いたいところだが、今この部屋に入られるのも少々不安である。そこで、とりあえず理由くらいは聞いておくかという気になった。

「得体の知れない魔力の込められた剣がありまして、セオドール様にお見せしたいそうでございます」

 その理由を聞き、そういうことならば行ってもよいかとセオドールは思った。

「わかった。行こう」

 セオドールはそう言って、特に衣服をあらためる必要もないだろうとそのまま部屋から出た。侍女に案内されて、アルメリアの居住区間である王女宮に向かう。

 王女宮はセオドールの住む王子宮からは距離がある。王城を挟んで対極にあるのだ。歩きながらセオドールは、そういえば最近あまり身体を動かしていないなと思った。勉強の合間にでも少し運動しておこうと心に留めておく。

 セオドールが王女宮にその姿を現すと、あちこちから感嘆のため息が漏れる。彼の、神が造形したとしか思えない圧倒的な美貌は、誰をも惹きつけずにはいられない。

 絡みついてくるような視線に何ら感銘を受けた様子もなく、セオドールはやがてアルメリアの待っているという部屋にたどり着いた。

 案内の侍女がセオドールをその部屋の中に導く。

 部屋でじっとセオドールを待っていたアルメリアは、その待ち望んでいた兄の姿を認めると、にこやかな笑みを浮かべて立ち上がった。

「セオドールお兄様、よくいらして下さいましたわ。さあ、どうぞおかけ下さい」

 優雅な仕草でセオドールに椅子をすすめると、侍女に飲み物を持ってくるように命じる。

「わざわざ私を呼びつけたのだから、それ相応の用件なのだろうな。魔力の込められた剣とやらは何処だ」

 すすめられるままに椅子に腰を下ろしながらも、セオドールは淡々とした口調で念を押すようにそう言う。

「まあ、お兄様ってばせっかちですわね。本当は私がお伺いしようかと思ったのですが、魔力が込められたという触れ込みの品がいくつもあったので、これらすべてを運ぶというのは……とお兄様に来ていただいたのです」

 アルメリアはそう言いながら、侍女たちにそれらの品を持ってくるよう命じる。

「ほう」

 セオドールは微かに感心したような吐息を漏らす。

 彼の第一の興味は魔剣だが、それ以外にも魔力の込められた品には惹かれるものがあるのだ。

 ややあって侍女たちが剣や指輪、杯に卵といったものを持ってくる。

「お兄様、この指輪なんてあのアル・アーディルが持っていたものだそうですわよ。一度はめると思考が停止して、はずすこともできなくなるんですって」

 おどろおどろしい装飾の指輪を手に取り、妙に嬉しそうにアルメリアは言う。

「こちらの杯は、注いだ水を毒に変えるそうですわ。でも、致死性のものではなくておなかを壊す程度っていうのが残念よね」

 今度は杯を手に取ってアルメリア。続いて、卵を手に取る。

「この卵は叩き割ると煙が出てきて、その煙を吸うと吐き気をもよおすんですって」

 アルメリアは次々と説明を続ける。

「……ところで、何に使うのだ?」

 少々呆れた様子でセオドールは口を挟んだ。

 方向性が妙に偏っている気がする。

「え? お兄様、こういうの好きなのではありませんか?」

 まったく疑いを持っていなかったようで、アルメリアは大きく目を見開いて驚く。

「……私を何だと思っているのだ……」

 こめかみのあたりを指先で押さえ、セオドールは嘆息を漏らした。

「ええっ!? お兄様、こういうのはお嫌いなのですか!? そっ・それは失礼しましたわ……。日頃の行動からして絶対お気に召していただけると思いましたのに……」

 しゅんとうなだれながらアルメリアは呟く。

「私は……そんなに変な行動をしているのか……?」

 思わずセオドールが呟きを漏らすが、アルメリアには聞こえていないようだ。

「ああ……意外でしたわ。お兄様がそのような一般的思考をお持ちだったとは……」

 本人を目の前にしながら、アルメリアは自分の世界に入り込み、独り言を続ける。

「…………」

 セオドールはまたも嘆息を漏らすと、あきらめて飲み物を口に運んだ。

 そして未だ独り言を呟き続ける妹を放っておいて、剣に手を伸ばした。

「……」

 剣に向かって、小さく呪文を唱える。

 確かに、魔力が込められていた。続いて、どのような魔力が封じられているのかを確かめるべく再び呪文を唱える。

「……!!」

 呪文がもたらした答えに、セオドールは思わず絶句した。

 これほどまでに強力な魔力の込められた品は初めてだ。今までに見たどの品よりも……いや、これに匹敵するものがひとつだけあった。地下の最奥にある扉、どうしても隠匿の呪文を破れなかったあの扉だ。あれとほぼ同じだけの魔力がこの剣に込められている。

 しかも、あの扉の呪文のパターンと似ているのだ。物体に魔力を与えるとき、術者によって呪文のパターンに癖がでる。この剣に込められた魔力は、複雑で繊細な構成で編み上げられていた。とても人間業とは思えないほどだ。あの扉もこれに似ていた。

 もしかしたら、あの扉に魔力を与えた者と同一人物の手による作品ではないだろうか。

 剣を手に取り、その輝きに魅入られながらセオドールはそのようなことを考えていた。

 そのとき。

「うっ……?」

 甲高い音が耳に響き、急激に世界が動いた。セオドールは座っている体勢すら維持できなくなり、椅子に崩れ落ちた。支えを失った剣がからん、と乾いた音を立てて床に転がる。

「お兄様!?」

 アルメリアの叫びが部屋に響く。

 吐き気をもよおす激しい眩暈に翻弄されながら、セオドールは耳鳴りとともにその声を聞いた。

 何も考えられない。そのまま苦しい時間が流れ、やがて徐々に眩暈がおさまってきても、思考がまとまらない。

 何となく体勢を戻そうと、ゆっくりと身を起こして椅子に座り直す。目の前には妹がいる。そして、その隣には……。

「……どうしたんだ、こいつは?」

 いつの間にかひとり、増えている。どこかで見た顔。……そうだ、ルテールだ。

「アルメリア、用事があるから来いと言っていたが、いったい何なのだ? 来ればこいつがぐったりとしているだけだし……まさか、これを観察に来いということなのか?」

 セオドールを指さしてルテールは嫌そうに言う。

 普段であればセオドールに反撃されるのだろうが、今の彼にそのようなことを考える余裕はない。

「まさか、違いますわ。セオドールお兄様がルテールお兄様にお話があるそうですのよ」

 にっこりと笑いながらアルメリア。

 ……そうだっただろうか。話があったのだろうか。セオドールは頭に靄がかかったような状態でそう思った。何を、どうして、とは考えることができなかった。

「……話?」

 顔をしかめながらルテールはセオドールを見る。

「ね、セオドールお兄様。3日前、廊下でルテールお兄様にしたお話の続きがあるのでしたわね」

 どこか陶酔の色を浮かべた表情で、アルメリアはセオドールの耳元で囁いた。

 ……3日前。廊下。ルテールにした話……。

 ああ、『昨晩の影は何だ』と聞かれたことか……。そう、あれは……あの影の正体は……。

 ……そうか、それをルテールに言わなくてはならないのか……。

 セオドールは虚ろな光を浮かべた瞳をのろのろとルテールに向けた。

「……あれは……あの……か………………は…………」

 掠れた声で、ゆっくりとセオドールは言葉を紡ぎ始めた。





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