5.傾倒



 窓から光が差し込んでいる。月明かりのようにおぼろげなそれではなく、鮮烈で強靱な輝きが。

「ん……」

 その眩しさに夢うつつのまま顔をしかめながら、セオドールは光から逃げるように寝返りをうった。しかし窓からの光は、セオドールを包んでいる優しい眠りの手を残酷に払いのけて行く。

 やがてゆっくりと意識が覚醒してくる。

 頭が重い。身体もだるい。もう一度眠ってしまいたいような気分だった。それでもセオドールはどうにか身を起こし、頭を押さえる。

「……烈しき怒りと、苦き思い……心なく、虚ろなる運命……」

 特に意識することなく、呻き声のかわりに口をついて出た言葉。

「!?」

 自らの言葉に驚き、セオドールはベッドから飛び起きた。気分の悪さなど、一気に吹き飛んでしまう。

「来よや、来よや、愛しの人よ……」

 さらに意識しない言葉は続く。

「……来ずば焦がれて死のうものを」

 言い終え、セオドールは自らの口を押さえる。

「何だ、これは……?」

 口に手をあてたまま、セオドールは思わず呟いた。

 まったく覚えのない言葉だった。何故このような言葉が自分の口から出てきたのか、見当も付かない。

 それでも記憶の糸を手繰り寄せ、思い出そうとする。

 確か、昨日は地下の扉を開く言葉がわからなくて、疲れ切って……湯浴みをしてベッドに入ったはずだ。そこからの記憶はない。ベッドに入ってからの記憶がないということは、眠ってしまったからだということだろう。

 それなのに、何故……?

 自分が眠っている間に、枕元に誰かがこの言葉を置いていったとでもいうのだろうか。

 不可解な出来事にセオドールは頭を悩ませるが、答えが出ようはずもない。何故ならば、昨夜の悪魔とのことが、彼の頭の中から綺麗に消えているのだ。

 しかしそのようなことを記憶のない本人が知るはずもない。

「……だが、もしかして……」

 原因の追及は止め、セオドールはそれよりもこの言葉がもたらすものが何かについて考える。

 もちろん、行く先はひとつしかない。昨日、どうしても開かなかった扉だ。










 扉に咲く薔薇、プレファレンス王家の紋章。

 威圧感すら漂うその扉の前で、セオドールはゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。

「烈しき怒りと、苦き思い……」

 そっと、指で文字に触れて確かめるかのように、記憶を口にのぼらせる。間違えないように、忘れないように。

「……来ずば焦がれて死のうものを」

 震える声で、セオドールは最後の一区切りを述べた。

 不安と緊張に、爪の跡がつくほど強く拳が握りしめられる。

 だが、その不安や緊張を吸い込むかのように目の前の扉は開いていった。長い年月を経て眠りから覚めたというように、ゆっくりと。

 セオドールは扉が開ききるまで、微動だにしなかった。この扉の停滞した時間を自分が肩代わりするかのように、瞬きすら止めて。

 重い音をたてて扉が開ききると、セオドールはやっと動けるようになったというように深く息を吸い込み、中に入っていった。

 一歩を踏み入れ、まず目に入ったのは白光色である。すべてを覆い隠す闇ではなく、すべてを打ち消すほどに圧倒的な光。

 あまりの眩しさにセオドールは瞳を閉じながら、自分が消えていくような感覚に襲われた。烈しい光に包まれ、溶けてしまいそうになりながら、何故か安らぎを覚えていた。浮遊感と解放感に蝕まれ、頭の芯が霞んでくる。

 このまま消えてしまえたら、頭の中をふっとそのような言葉がよぎる。しかし、徐々に光が和らいでいった。後に残ったのは、照明程度の穏やかな光である。

「あ……」

 セオドールは光が弱まったことに気づくとそっと瞳を開け、自らの手のひらを眺めてみる。

 確かに自分は存在している。そのことを確認すると、どこか残念そうにセオドールは吐息をもらした。

 未だ残る甘美な感覚。しかし現在の状況を思い出し、それに浸っている場合ではないと頭を振る。

 一呼吸置いてから、セオドールはこの部屋を眺めてみる。

 するとこの部屋はさほど広くなく、部屋の真ん中に大きな鏡がひとつあるだけだった。そして奥にもうひとつ扉がある。

 この部屋を探索してみなくてはと、まずは鏡を調べてみる。鏡面には自分が映っているだけだった。造作が妙なくらい整いすぎていて、いやに造り物めいて見える自分の顔だ。まるで人形のようだなとセオドールはため息をつき、裏にまわる。

 裏には何か文字が刻まれていた。しかし、見たこともないような文字だ。古代に使われていた文字とどこか似ているが、違う。

 ここはとりあえず保留しておいて、奥の扉に進んでみる。この扉はあっさりと開き、セオドールを迎え入れた。
奥の部屋は書斎のようだった。セオドールは試しに本を一冊手に取ってみるが、これも読めない文字で書かれている。

 何か読めるものはないだろうかと、しらみつぶしに調べてみると、ややあってタイトルが現在一般的に使われている文字で書かれた本を見つけた。

「……『よくわかる魔界語』?」

 思わず眩暈を覚えてしまうようなタイトルだった。しかし、セオドールは気を取り直して本を開いてみる。考えてみれば、かなり貴重な本なのではないだろうか。

 内容は、年少者向けの語学の教科書とほぼ同じようなつくりだった。この言語が魔界語なのだろう。この部屋にある、今まで調べた本に書かれている文字と同じだった。

 まずはこの本を見て勉強する必要がありそうだ。

 他にも読めそうな本はないかと再び探してみると、今度はタイトルが『旅日記』という本があった。しかも、裏には『ロサ・リカルディー』という署名がある。

 思わず心の中で歓声をあげながら、セオドールはそれをめくった。他人の日記を見るというのは気が咎めないでもなかったが、魔剣の情報を知ることができるかもしれないことから比べれば些細なことである。

『お父様が早く結婚しろとうるさい。お前の母はその年でお前を産んだのだぞと説教する。しかし、候補にあげられる連中にはろくなのがいない。そこで、婿探しの旅に出ることにする。世界中を巡れば、私と釣り合う男がきっといるはずだ』

 旅日記の1ページ目にはそう書かれている。

「…………」

 セオドールは日記から顔をそむけ、宙を仰いだ。

 これが、どうやって魔剣につながっていくのだろうか。他には何かないだろうかともう一度本棚を見ると、旅日記と書かれた本が数冊連なっていた。その中で最も奥の本を手に取る。すると、『旅日記・魔界編』と書かれていた。

 どうして婿探しの旅から魔界の探索に移って行くのかは不明だが、今度こそは間違いないとセオドールは期待して日記を開く。

『いよいよ障気の森を抜け、町に向かう。魔界語の勉強のために、これからはこの旅日記も魔界語でつけようと思う』

まず、注意書きのようにそう書かれている。そしてその先は魔界語が並び、セオドールには読めなくなってしまった。

「……やはり、まずは勉強か」

 ため息をついて呟きながらも、セオドールにうんざりした様子はない。魔剣の手がかりになりそうなもの、またロサ・リカルディーの成人前の記録を見つけることができた。ただ今は読むことができないものがあるが、それの解決法まで見つかっている。非の打ち所はないといえよう。少々の時間を要するだけだ。

「ただ、ここに日参していると何かと怪しまれそうだな……。部屋に持ち帰って隠匿の呪文でもかけておくか」

 並んだ本を手にとって、セオドールはそう呟くと軽い足取りで自室に向かった。










「ご機嫌うるわしいようで何よりだな」

 月が中天に差し掛かろうという頃、未だ勉強をしているセオドールの前に暗い影が現れた。熱心に本を読み続けるセオドールに向かい、まず彼の顎に手をかけて持ち上げる。

 いわば無理やりに悪魔と対面させられたセオドールは眉根を寄せ、自分の顎をつかんでいる相手を睨んだ。

「……貴様の姿を見るまではな」

 苦々しく吐き捨てる。

「まあ、そう邪険にするな」

 悪魔はセオドールの顎からすっと手をひき、かわりにセオドールの読んでいた本を持ち上げる。

「……『よくわかる魔界語』?」

 タイトルを見て、悪魔は小さく吹き出した。そしてそのまま声を殺しつつ笑う。

「何がおかしい」

 憮然としてセオドールは悪魔から本を奪い返す。

 こう言いつつも、もし立場が逆ならば自分も笑ったかもしれないなとセオドールは頭のどこかで思っていた。しかし、自分が笑われるというのは理由がどうあれ気に入らない。

「いや、失礼。しかし、魔界語か……。それくらい、私に言えば教えてやったものを」

 悪魔はセオドールの背後に回り込み、頭を抱きかかえるようにしながらセオドールの頬に触れ、ゆっくりとなぞる。

「遠慮する。どうせ代償として契約を、とでも言うのだろう?」

 セオドールは椅子に座ったまま、後ろも見ずにそう言う。

「……ふふ、違いない」

 どこか自虐的にも聞こえる響きを持った声。

 セオドールはどこか違和感を感じたが、頬にあてられた悪魔の手が首筋まで滑ってきたので、不快そうな表情を浮かべて首を軽くのけぞらせる。

「だが……魔界語まで学び、魔への傾倒がますます深まって行くな? 王子よ」

 何か追求するべきだろうかと思ったセオドールの行動を先に封じるかのように、悪魔はセオドールの耳元で囁く。

「余計なお世話だ」

 セオドールは自らの首筋を這う手を払いのける。

「そのようなことより、いったい何の用だ。私は忙しい。貴様の相手をしている時間などないのだ」

 ため息をつきながら、セオドールは尋ねる。その手にはしっかりと『よくわかる魔界語』がおさまっている。

「相手をしている時間などないと言いながら、何の用だと聞いてくる。そのようなところがお前の愛すべきところだな」

 喉の奥で笑いながら悪魔は言う。

 セオドールはその言葉に即座に反応した。銀糸を狂ったように舞わせて振り返る。怒りを滲ませた蒼玉で悪魔を睨み、反射的に何かを言おうとしたが、ここで声を荒げたりしては悪魔の思うつぼだと自制した。

「……戯れ言を」

 かわりに一言、呟く。

「お得意の言葉が出たな。何用かと問われれば、麗しき王子のご尊顔を拝し奉りに、とでも言おうか」

 からかうような悪魔の言葉。セオドールの怒りを深めようとしていることは必至である。彼の反応を楽しんでいるのだ。

「…………戯れ言を」

 セオドールはもう一度、うつむきながら同じ言葉を繰り返す。その肩が小刻みに震えている。

「相当、お怒りのようだな。ご機嫌を損ねてしまったらしい。では、私はそろそろ消えるとするか」

 言うが早いか、空間を揺るがせて悪魔の姿が消える。

 うつむいたまま、悪魔が消えたのを気配で感じると、セオドールは大きく深呼吸をして何事もなかったかのように再び本を開いた。

 いったい何のために来たのだと苦く思いながらも、本を読み進めていると、ふと、この本を手に入れるに至った経路、あの扉を開く言葉が頭をよぎった。そして、その言葉を手に入れた方法が不明であることも。

 悪魔は自分を散々煩わせる存在ではあるが、今日のようにまったく何の用もなくやって来たことはない。いつも、何らかの情報を持ってきては代償として契約をと言うのだ。そういえば、今日は契約のことも言わなかった。

 セオドール自身が契約という言葉を口にのぼらせはしたが、そのときの悪魔の反応も少々おかしくはなかったか……?

 ――誰が、扉を開く言葉を告げたのか?

「まさか……な……」

 悪魔の消えたあたりを見ながら、セオドールは意識せぬままに呟いていた。





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