26.歓談



 クラレンスは気怠げに頬杖をつきながら、窓の外を眺めていた。

 思い出すのは、自分の主のこと。彼が執拗に隠そうとしていた秘密には、何故か今までにない不安を感じた。自分の出発の日に、体調が優れないと言って姿を現してはくれなったことも気にかかる。

 あれは嘘だ。

 クラレンスは直感でそう感じていた。自分と顔を合わせたくないのだとわかった。

 ゆっくりと、ため息を漏らす。

「おや、クラレンス。どうしたんだい? ため息なんてついて」

 穏やかな声が響く。

 びくっと身を震わせてクラレンスは声の主を見る。

「……兄上。人を驚かせるのはやめてくれないでしょうかね」

 クラレンスは憮然と言う。

 そこにいたのはクラレンスの兄、アーネストである。クラレンスと同じ金茶色の髪に茶色の瞳をしていて、顔立ちもさすがに兄弟だけあってよく似ていた。

「ドアが開いていたからつい入ってしまったよ。悪かったね」

 にこにことしながらアーネストは詫びる。

 クラレンスは軽く宙を仰ぐ。クラレンスは昔からこの穏やかな兄が苦手だった。

 幼い頃からよく周囲に優秀な兄と比較され、出来の悪い自分は悲しい思いをしたものだ。兄に悪気はなく、自分を見下したりもしなかったが、それでも兄に対して鬱屈した感情を抱くのは止められなかった。

「で、どうしてため息なんてついていたんだい? 恋煩いかい?」

 笑みを絶やさず、アーネストは問いかける。

「……違いますよ」

 ふい、と横を向きながら答える。

「それは残念だね。クラレンスも早く良い相手を見つけるといい。私のローザのようにね。彼女は私にとって、本当に最高の女性だよ」

「……わざわざのろけに来たんですか?」

 呆れてクラレンスは呟く。

 兄が婚約したという話は留学中に聞いていた。のろけに来るのもある程度予想がついていたが、やはり実際に聞くとうんざりする。

「そうそう、明日彼女を紹介するよ。それじゃあね、クラレンス」

 やはり笑顔のまま、アーネストはそう言って部屋を出ていく。

「……全然人の話なんて聞いてないな」

 先ほどよりも一段と大きなため息を漏らしながら、クラレンスは呟いた。










「ところで……私はいったい、いつまでここにいれば良いのだ?」

 紅茶を一口飲み、ゆっくりとティーカップを置くと、セオドールはそう口を開いた。

「故郷が恋しくなったか?」

 からかい気味に、ロードナイトが問う。

「……いつまでも行方不明では、捜索隊が出ることになる」

 軽く首を横に振りながら、セオドールは答える。

「一度、大騒ぎになってみるのも面白いかもしれないぞ。自分がどれだけ大事にされているのかがわかる」

 そう言って、ロードナイトは喉の奥で笑う。

「……あまり、試したいとは思わないが」

 軽く眉根を寄せ、ぼそりと呟く。

「まあ、もう少し。もう少しだ」

 笑いながら、ロードナイトは言う。

「ふう……」

 嘆息を漏らすセオドール。

「……結局、私はまだ、目的とやらを聞いていないのだが…」

 その言葉に、ひとまずロードナイトは笑いをおさめる。

「そういえば、そうだったな。……眠り姫を起こしたいのさ」

 普段通りの穏やかな微笑みを浮かべて、ロードナイトはゆっくりと言う。

「眠り姫?」

「そう、眠り姫と言えば、王子様のキスだろう?」

 聞き返すセオドールに、軽く肩をすくめて答える。

「……よくわからない」

 やや考えた後、セオドールは目を瞑って頭を振った。

 まさか言葉通りの意味ではないだろう。何かの例えなのだろうが、よくわからない。

「大丈夫、すぐにわかるさ」

 ロードナイトはやはり、穏やかな笑みを絶やさない。

 セオドールはやや憮然としながらも、紅茶を口に運ぶ。

 慣れ親しんだ自国のものと全く変わらない紅茶の味。ここは魔界だというのに、そのことをしばし忘れさせるようだった。

「お前も、もう少し生きることを楽しんだらどうだ?」

 唐突に言われた言葉に、セオドールは思わず口に含んだ紅茶を吹き出してしまいそうになった。かろうじて飲み下すが、むせてしまう。

「……いったい、何を……」

 胸をさすりながら、セオドールは驚いたような、呆れたような眼差しをロードナイトに向ける。

「お前は、生きるのに疲れているとでもいうような顔をしているからな。本来、お前は十分に恵まれているはずだ。気の持ちようで、幸か不幸かなんて随分と変わってくるものだからな」

 言っていることは、確かにもっともなことかもしれない。だが、何故このようなことを魔界宰相などという悪魔に言われなくてはならないのだろうか。

「頭は使うためにあるものだし、地位は利用するためのものだ。美貌は相手をたぶらかすためのもので、部下はいびるためにいる」

 にこやかに言うロードナイトを見ながら、一部何か違うような気がするとセオドールは思ったが、それを口に出すことはできなかった。

「幸せというのは、自分の力でつかみ取るものなのだよ。……もっとも、どのような不幸な状況でも、自分が幸せと信じて疑わない者もいるのだけれどな」

「……それは、修行僧か何かか?」

 呆れ気味にセオドールは口を開く。

「まあ、そう思えるってことは幸せなことだよな。お前も少し見習ってみたらどうだ?」

「……冗談ではない」

 セオドールは頭を抱える。どうして、このような者が魔界宰相などやっているのだろうか。

「生きていくのに潤いは必要さ。状況が許すのなら、遊びに連れて行ってやるのも面白そうなんだけれどな」

 清々しいほどの笑顔を浮かべて、ロードナイトは言う。

「…………」

 もう、何が何だかわけがわからない。

 セオドールは、いっそう頭を深く抱え込んだ。










「それにしても……随分と甘いことで」

 まるでからかうような調子の声に、青年は穏やかに微笑み返した。

「俺は、情にもろいんだよ」

「……面白い冗談ですね」

 呆れを滲ませた声が響く。

「酷いことを言う。今の言葉で、俺の繊細な心は深く傷ついたぞ」

 青年は眉根を寄せ、やや大げさに両手を広げてみせる。

「……本当に繊細な者は、自分で繊細とは言わないでしょう」

 すでに呆れというより、諦めを帯びた声。

「……お前の言葉が正しいか否かはひとまず置いておき、話を元に戻そう。何か、不都合でもあるのか?」

 芝居じみた身振りをやめ、いつも通りの微笑みを青年は浮かべる。

「いえ、何も。ただ、普段の態度とはかけ離れていると思っただけですので」

「だから、俺は本当に情にもろいんだよ」

「…………」

「まあ、冗談と思うのなら、それはそれでいいさ」

 くっくっと喉の奥を鳴らして青年は笑う。

「信じていたものが崩れるときの、心が砕けていく音、これほど美しい音色はない。薄い氷がひび割れていくかのような、高く滑らかな音。我々の糧となる、素晴らしい音色だ」

 青年は穏やかに言う。

「それについては、否定致しませんよ。ですが……まさか?」

 語尾がやや真剣さを帯びる。

「……それほどに壊してほしいのか?」

 軽く首をかしげながら、青年は意地の悪い笑みを浮かべる。

「そのようなことはありません」

 どこか安堵したような声が響く。

「ならば、何も言わぬことだ。さあ、麗しの書類が待っているぞ。早く戻ることだな」

「…………」

 楽しそうな青年の笑い声と、発することを封じられた声。

 ややあって、ドアを開ける音と、退出していく足音とが響く。

「まあ、本当は……」

 遠ざかっていく足音に向けるかのように、青年は口を開く。

「それを乗り越えることができた魂の輝きこそが、最も美しく、そして美味なのだけれどな。……だが、安心しろ。今回は何もしない……今回は、な」





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