20.不安



「……アステール、だと?」

 セオドールの口から茫然とした呟きが漏れる。

 もはやアステールの姿は鏡の中へと消え、この部屋にはセオドールのみが取り残されていた。

「では、あれが……」

 王家に伝わる魔剣やこの部屋の扉に魔力を封じたのは、おそらくあのアステールだろう。

 銀髪に銀の瞳を持つ魔界の住人。そしてセオドールの知る限り、まったく同じ色の髪と瞳を持つ人物が一人だけいる。

「……いや、偶然だ」

 セオドールは軽く頭を振ってその考えを打ち消すと、アステールを飲み込んだ鏡の前に立つ。

 アステールはこれから花を分析すると言っていた。彼は魔界の住人だ。その彼がこの鏡の中に消えたということは、この鏡が魔界への道なのではないだろうか。

 確か、この鏡の裏には何か文字が刻まれていたはず。そう思い、セオドールは鏡の後ろに回る。

 セオドールの記憶通り、鏡の裏には魔界語で何かが刻まれていた。

「……扉……地の底……此方より彼方へ……」

 複雑な魔界語のため、断片的にしか読めなかったが、どうやらこの鏡が魔界への扉になっていることは間違いないようだ。

 しかし、扉として使うためのキーワードらしきものは見当たらない。念のために呪文を唱えてキーワードを探そうとするが、やはり隠匿の魔力が強大なためにまったくわからなかった。

 この呪文の波長からして、鏡に魔力を施したのもアステールだろう。先程対峙した時に感じた、あの圧倒的な力からすれば、どのように高度な呪文を使いこなせたところで不思議はない。

 そして、アステールが隠匿の呪文をかけたのだとしたら、セオドールにそれを破ることは不可能である。

「…………」

 セオドールは再び鏡の前に立つ。

 これが魔界への扉だとわかっているのに、どうしようもない。セオドールは指の背で鏡をゆっくりとなぞり上げ、自分をみつめかえす己の顔を覆うと、目を伏せてため息を漏らした。

 仕方なく、魔界への扉と思われる鏡のことはいったんあきらめ、セオドールは奥の書斎を調べることにしたのだが、収穫らしきものはなかった。

 魔術学院の理事長からもらった魔界語の本のおかげで、ほとんどの本は完全とはいかないまでも、大体何を意味しているかはわかるようになっていた。

 書斎にあった本は、ほとんどが魔界の伝承だった。読み物としては面白いのかもしれないが、セオドールが今求めているものではない。かろうじて魔剣が出て来る本が何冊かあったので、あまり期待せずにセオドールはそれらを自室に持ち帰ることにした。










 王子宮に戻るべく回廊を渡りながら、セオドールはふと外を見る。もう空は完全に暗くなり、欠けた月がさらにその半身を雲の中に埋もれさせていた。

「あら? お兄様?」

 外に気をとられていると、あまり聞きたくない声が自分の向かう先から聞こえた。

 セオドールは迷うことなく後ろに振り返り、今来た道を引き返す。

「お兄様!」

 後ろからの声を無視し、セオドールは歩調を早める。すると、自分を追いかけてばたばたと走る音が聞こえ、それがすぐ側まで近づいたと思うと、体当たりされて腕をつかまれた。

 大きなため息を漏らし、セオドールは観念して歩みを止める。

「……何か用か」

 セオドールは感情のこもらない声で尋ねる。

「お兄様の体調が優れないというから、お見舞いに参りましたのよ。それなのに、どこを探してもいらっしゃらないんですもの。いったい何をしていらしたんです? お加減はもうよろしいんですの?」

 無邪気にアルメリアは言う。

「……もう、体調はどうということはない」

 妹の手をはずし、淡々とした声で答えるセオドールをアルメリアは上目遣いに見上げ、わずかに顔をしかめる。

「お兄様、やっぱり顔色が優れませんわ。寝ていたほうがよろしいんじゃありませんか?」

 顔色が優れないのは、先程の『腕か足をもらおうか』というアステールの言葉のせいではないだろうか。セオドールはその時のことを思い出し、こめかみのあたりをそっと押さえる。

「……あのクラレンスとかいう侍従がいないのがお淋しいのですか?」

 アルメリアの言葉に、セオドールは虚を衝かれてびくっと身を震わせる。

 今はあまりクラレンスの名前を聞きたくなかった。そのようなセオドールの思いを見透かしたというわけではないのだろうが、アルメリアの言葉はセオドールの心の琴線に触れた。

「やっぱり、そうなのですね。いいえ、おっしゃらなくてもわかりますわ! あの者に対するお兄様の接し方、絶対にそうだと思いましたわ。主従といえど、遠慮なさることはありません。私は祝福いたしますわ」

 クラレンスの名が出たことによって心に軽い傷を受けたセオドールだったが、さらに傷口に塩を塗り込まれているような気分だった。

 アルメリアの言っていることは、何か方向がずれているような気がする。

「……あまり聞きたくはないが、こういうことははっきりさせておいたほうが良いと思う。お前は、クラレンスと私との関係を何だと思っているのだ?」

「そんな、お兄様。恥ずかしがることなどありませんわ。私は応援します」

「……だから、何だと思っているのだ?」

「だって、3年間も一緒にいたんですもの。愛が芽生えるのは当然のことですわ」

「…………だから……」

 セオドールは頭を抱えた。この妹の思い込みの激しさは思い知らされている。人の話を全く聞かないことも。

 以前、ルテールとの間を誤解されたこともあった。いったい何をどうしたらそのような考えに結びつくのか、疑問だ。

 友情が芽生えるというのは当たり前と言えば当たり前だと思う。しかし、男同士で恋愛感情が芽生えるのが何故当たり前なのだろうか。

「アルメリア……クラレンスは私の目付役。それだけだ」

 聞いていないだろうなとは思いつつ、それでも念を押しておく。

「主従でしかも同性……茨の道ですわね……」

 やはり、聞いていない。うっとりと何かを呟き続けている。

 どうやらこの妹は『報われない恋』に異常な憧れを持っているらしい。

「……誰か、こいつをどうにかしてくれ……」

 珍しく、セオドールは祈るような気持ちでそう呟いた。

 もうこれは無視するしかないとあきらめ、自分の世界に入り込んだままの妹を放ってセオドールは王子宮へと歩き出す。

 だが、アルメリアの言う通りではないにせよ、クラレンスのことが自分の心に引っかかっているのは事実。

 歩きながら、もう一度外を見る。

 月にかかっていた雲が消えていた。柔らかな銀色の光が降り注いでいる。

「銀色……」

 クラレンスのこと、そしてあの魔界の住人、アステールのこと。自分の中で様々な思いが交錯し、わけがわからない。

 この胸を締め付けるような不安は、いつになったらとれるのだろうか。










 歴代の王たちの肖像画が並ぶ、過去の栄光が封じられた部屋。

 もう真夜中だというのに、セオドールは引き寄せられるようにこの部屋にやってきた。

 ここに来るのは久し振りだ。幼い頃は一人になりたい時など、よくこの部屋にやってきた。優しい微笑みを浮かべた初代女王の肖像画を見るのが好きで、彼女が自分の母親だったらどんなにいいだろうと思っていた。

 しかし、いつからか訪れる回数が減り、ほとんど来なくなっていた。

 それでも何か思うことがあった時は、ついここに足が向いてしまう。

 幼い頃、誰も受け入れてくれなかった自分を、ここだけは受け入れてくれた。例え、呼びかけに返る言葉が無くとも、ここだけが彼の居場所だったのだ。

 初代女王ロサ・リカルディーの肖像画を、セオドールは苦しそうな表情で見上げる。彼女を見る度、幼い頃を思い出す。何もかもが思い通りにならなかった苦い思いと、泣きたくなるほどの懐かしさを。

 幼い頃の思いを打ち消すようにセオドールは目を閉じ、初代女王の肖像画から離れる。次に向かったのは、プレファレンス二代目女王カリーナの肖像画の前である。ロサ・リカルディーによく似た美貌の持ち主だ。銀の髪も母のロサ・リカルディーから譲られたものだろう。しかし、目の色はセオドールと同じ青である。

 さらにそれ以降のプレファレンスを支配した、歴代の王たちの肖像画を見て行く。しばらくは銀髪が続き、そしていつからか金色の髪が混ざりはじめる。最後の方はほとんど金髪だ。しかし、目の色だけは全員が青である。

 初代女王ロサ・リカルディーを除いては。

「…………」

 セオドールは最初に戻り、初代女王の肖像画の前に立つ。

 銀色の髪、そして銀色の瞳。その銀の瞳は、何かを思い起こさせる。

 あの時見えた、銀糸の奥からのぞく銀色の瞳。それがセオドールの脳裏に焼き付き、離れなかった。





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