19.奇人



 気だるい。

 クラレンスは実家へと報告に向かったので、一人になった今こそ城の地下を調べるチャンスなのだが、何故かあまり動く気力がわいてこない。

 気まずいままクラレンスと離れてしまったせいなのか、それとも昨夜悪魔に言われたことが気になっているのか、自分でもよくわからなかった。

 昼を過ぎているにもかかわらず、セオドールは未だ夜着のままぐったりとソファーにもたれかかっていた。

 結局クラレンスの見送りにも行かなかった。体調が優れないからとは表向きの理由で、本当は顔を合わせたくなかったからだ。

 この後、クラレンスが戻ってくるまでには最低でも一週間の時を要するだろう。その時、この気まずい現状を打破することができるだろうか。

「……ふう」

 セオドールは深いため息を漏らす。

 この先、クラレンスに隠し通すことはもうできないかもしれない。いっそ、全て打ち明けてしまったほうがいいのだろうか。だが、クラレンスは基本的に正常な思考の持主だ。悪魔などが関わってくれば戸惑うだろう。

 全てを知って、それでもまだ自分についてきてくれるだろうか。

「私は、もしかして……」

 見捨てられるのを恐れている。認めたくはないが、そうだろう。

「いや……違う……」

 悪魔はこれ以上知ればもう引き返せないと言った。そのようなことにクラレンスを巻き込みたくないだけだ。セオドールはそう自分に言い聞かせる。

 だが、どちらにせよ自分がクラレンスのことで悩んでいるのは事実。

「……らしくないな……」

 ソファーの上に仰向けになって寝転がり、セオドールはぽつりと呟く。

 氷の王子、人は自分のことをそう呼ぶ。人の心など一切意に介しない冷酷な人間だと。実際、自分でもその通りだと思っていた。

 その自分が一体何を迷っているのだろうか。

 しばし天井を茫然と眺めた後、セオドールは緩慢な動作で立ち上がり、のろのろと窓に向かった。閉じたカーテンをそっと開け、外を眺める。

 厚い雲が太陽の光を遮っているが、かといって雨が降っているわけでもない。中途半端な天気だった。

「……ふう」

 もう一度、セオドールはため息を漏らす。

 何もかもがはっきりしない。そんな、嫌な感じだった。










 ようやくセオドールが動きはじめたのは、もう夕方になろうかという頃だった。

 落着かない気持ちを押さえ、地下の最奥の部屋へと向かう。

 昨日はクラレンスが現われたため、入るのを断念した部屋だ。

 扉を開く言葉を言おうとして、セオドールはふと妙な違和感を感じた。空気が乱れているとでも言うのか、いつもならば重くのしかかってくるようなこの空間が、妙に軽い。まるで何かにかき乱されたようだ。

「…………」

 一度開きかけた口を閉じ、セオドールはしばし考え込む。この感覚は、この扉を開いた後、感じるものに似ている。扉の魔力を解放した後に漂う空虚な感覚。

 セオドールは奇妙な不安を感じ、扉から一歩退く。

 その時、何か音がした。

 手前の部屋からだ。セオドールは昨日見つけた部屋へと視線を移動させる。扉は閉まったままだった。

 おそるおそる近づき、ゆっくりと扉を開ける。

 昨日と変わらない可愛らしい部屋。しかし、鉢植えがあったと思しき場所の前にいる黒い物体は、昨日は存在しなかったものだ。

「……誰だ!」

 セオドールは腰の短剣に手を伸ばしながら叫ぶ。

 黒い物体がゆっくりと振り返る。

「騒がしいな」

 低い声が響く。まだ若い男の声だ。

 黒い物体はよく見れば、身に纏っているローブが黒いだけで、どうやら人間のようだった。しかしフードを深くかぶっているため、どのような顔をしているかは全くわからない。

「私の質問に答えろ! 盗賊か!?」

 セオドールは短剣を抜いて再度問うが、黒ローブは軽く肩をすくめただけだった。

「やれやれ。少し落ち着きたまえ。野蛮なことは好ましくない」

「ならば、貴様は何者で、ここで何をしているかを言え!」

 セオドールの言葉に黒ローブはゆっくりと腕を組み、頷いた。

「前者は愚問だが、後者はなかなか良い質問だ。これを見たまえ」

 黒ローブは一歩、横に移動する。

 すると今まで黒ローブに隠れていた鉢植えが露になる。

「……なっ」

 セオドールは絶句した。

 昨日は何の変哲もなかったはずの鉢植えの蔓に、いくつもの白い花が咲いていたのだ。

「この植物は数年に一度しか花を咲かせない。ちょうど今年がその年だったのだが、すでに花は2週間ほど前に実を結んだ。つまり、あと数年は咲かないはずなのだ。それなのに、この通り花が咲いている。いったいどのような要因でこうなったか疑問に思わないか?」

 それ以前に、何故この植物のことに詳しいのか、この黒ローブの正体はいったい何なのか、セオドールの疑問は果てしなかった。ただ、要因とやらに心当たりがないわけではない。

「……その要因とやらに心当たりがあるのだが?」

 挑戦的にセオドールは言う。

「ほう?」

 黒ローブは興味深そうな声を漏らす。

「貴様が何者か、と引き換えでどうだ?」

 取引を持ち掛ける。

「下らぬ質問だが、良いだろう。私は魔界の住人だ」

 この答えを聞いて、セオドールは妙なくらいすんなりと納得した。確かに、あの悪魔とどこか似通った雰囲気をこの相手は持っている。こうして対峙していると、背筋がちくちくするような妙な感じがした。

「ならば、貴様は悪魔か?」

「……ふむ、その呼称はいささか不適切だ。完全に間違ってはいないが、正しくもないといったところか」

「このプレファレンスと何の関わりがある?」

「それを一言で言い表すのは非常に困難だ。私の存在とこの国の存在についてから始めなくてはならないが、そのようなことを説明している時間はない」

 セオドールはそっと片手で額を覆った。あの悪魔は内容についてはぼかしていたが、物言いは歯切れ良かった。しかし、この相手は内容と物言い、両方とも回りくどい。セオドールは回りくどい物言いが嫌いだった。

「で、心当たりがある要因とは?」

 セオドールの沈黙を質問の終了ととり、黒ローブが問う。

「……昨日、私はこの蔓の支柱となっている剣に触れてしまった」

 これ以上相手の正体について質問する気力も失せ、セオドールは素直に話し始める。

「そして手を傷つけ、その血がこの植物にかかった。それが要因ではないかと思う」

「……ほう、なるほど」

 黒ローブは何回もこくこくと頷く。

「この植物は魔界では育たない。魔界の剣から生じた植物なのに奇妙なことだと常々思っていた。だが、人間の血で花を咲かせるとは、さらに奇妙だ。……分析せねばなるまい」

 そう呟き、黒ローブは白い花をひとつもぎ取って歩き出す。

 セオドールの横を素通りし、そのまま最奥の部屋へと向かう。

「なっ……」

 自分の横を歩いて行ったにもかかわらず、セオドールは引き止めることも何もできなかった。動けなかったのだ。

 あの悪魔と同じくらい、いや、それ以上かもしれない威圧感だった。相手は特に意識しなかったのかもしれないが、圧倒的な存在感に押しつぶされそうだった。

 黒ローブは難なく最奥の扉を開き、中に入る。

 その頃になってようやくセオドールは後を追う。

 セオドールが最奥の部屋に入った時、黒ローブは部屋の中央に置かれた鏡に手を触れているところだった。鏡が微かに燐光を放っている。

「……まだ、何かあるのか?」

 黒ローブは振り返りもせずに言う。

「当たり前だ。尋ねたいことが山のようにある」

 そうは言いつつも、セオドールはこれ以上相手に近づこうとしなかった。近づきたくはなかったのだ。どうやら相手に自分を攻撃する意思はないようだが、それもいつまでもつかはわからない。

「生憎だが、そのような時間はない。私は早くこれを分析せねばならないのだ。それよりも、君はまたあの植物に血を注いでおいてくれたまえ。ああ……君の血も分析しておいたほうが良いかな。そうだな、一本でいい。腕か足をもらおうか」

「…………」

 セオドールは青ざめながら後退る。

「おや、早速あの植物に血を与えに行ってくれるのは嬉しいが、その前に腕か足を一本置いて行ってくれないか」

 振り返らないまま、セオドールの動く気配を察して黒ローブは言う。

「……冗談ではない」

 セオドールは後退りながらも、かろうじてそれだけ口にする。

「非協力的な態度だな。君には研究者としてのプライドがないのか? 真理のために命を投げ出そうとは思わないのか?」

 黒ローブの口調が今までの淡々としたものから、やや熱を帯びたものとなっていく。

「私は……研究者では……」

「ああ、そうか。所詮、人間にこの崇高な理想はわからないということだな。……まったく残念だ」

 セオドールの言葉を遮ってそう言うと、黒ローブはため息を漏らし、ローブのフードを上げた。

 ふぁさ……と銀糸が広がる。

「……っ!?」

 セオドールは目を見開いた。

 それは見事な銀髪だった。セオドールのものと同じくらいに。

 今はほとんど失われたとはいえ、プレファレンス王家の象徴でもある銀色の髪。魔界の住人なのだから、それとは無関係なのだろうが、何かがひっかかる。そういえば、以前悪魔が何か言っていなかっただろうか――?

「ああ、そういえば私の名を言っていなかったな。あの情報は私が何者かと引き換えだったのだから、名を言わぬというのはいささか礼を失するかもしれん。君がいかに非協力的で礼儀知らずとはいっても、私までそうであってはならないからな」

 黒ローブは鏡にその身をくぐらせようとし、すでに半身を飲み込まれた状態でふと立ち止まり、顔だけを軽く振り返らせる。

 顔にかかった銀糸のせいで顔立ちはあまり良くわからなかったが、どこか無機質な光を放つ銀色の瞳だけが銀糸の奥から際立って見えた。

 思わず、背筋がぞくりとするような魔的な瞳だった。

「私の名は、アステール、だ」





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