|
セオドールはゆっくりと扉を開けた。 当然のごとく暗い部屋の中に、まず魔法の光球を送り込む。 そして明かりに照らされた部屋の中を覗き込むと、まず目に入ったのはクマのぬいぐるみだった。 「…………」 セオドールの動きが止まってしまう。目を疑ったが、もう一度よく見てもソファーの上に大きなクマのぬいぐるみが座っているのは確かだった。 「セオドール様、どうしたんですか……?」 心配そうにクラレンスがセオドールの様子を伺う。よほど恐ろしいものでもあったのだろうかと、おそるおそる部屋の中を覗き見る。 「……子供部屋、ですか?」 思わずクラレンスはそう呟く。 セオドールは無言のまま、部屋の中に足を踏み入れる。そこはクラレンスの言った通り、子供部屋のようだった。いくつかのぬいぐるみやおもちゃが置いてある。しかも、奇妙なことにどれも埃一つかぶっていない。 しかし、ここは地下である。昔は罪人を閉じ込めていたという話もあるくらいだ。まさか、子供の罪人でもいたのだろうか。だが、それにしてもこの部屋は牢獄らしくない。 考えられるのは生まれながらに存在を抹消された不義の子供、というところだろうか。 「セオドール様……あの鉢植えの植物、まだ生きているんじゃありませんか?」 セオドールに続いて部屋に入って来たクラレンスが、顔をしかめながら奥の方を指す。 そこには室内用の大きめの植木鉢があり、中心に支柱が立てられているらしく、青々とした蔓が伸びて中心にからみついている。 セオドールが近づいて確かめると、その植物は生きているようだった。ということは、この部屋が使われていたのはさほど昔のことではないか、それとも誰かがこの部屋の手入れをしているということだろうか。 そっと手を伸ばし、セオドールは蔓から生じている葉に触れてみる。初めて見る種類の植物だった。プレファレンスに一般的に生えている植物ではない。 「クラレンス、この植物を知っているか?」 無駄だとは思ったが、念のために聞いてみる。 「いえ……初めて見ます」 予想通りの答えが返ってくる。 「そうか……」 それ以上は何も言うことなく、セオドールはもっとよくその植物を調べてみる。蔓をかきわけていると、不意に手に鋭い痛みが走った。 「……っ!?」 驚いて蔓から手を離し、痛みの走った部分を見てみると、鋭い切り傷が出来ていた。紅い血が滴り落ち、植物の葉にかかる。重みを受けた葉がしなり、紅い雫が根元に零れ落ちて行く。 「セオドール様!?」 クラレンスがその姿を見て叫ぶ。もし、この植物に毒でもあったとしたら、と不吉な考えが頭をよぎる。 「……いや、大丈夫だ」 セオドールは静かにクラレンスを制し、今度は慎重に蔓をかき分けて行く。すると、そこに現れたのはごく普通に支柱となる棒などではなく、鋭い刃だった。 「これで切れたのだな……」 セオドールは呟く。 「セオドール様、それより傷の手当てを……!」 心配そうにクラレンスがセオドールの手をとる。傷はかなり深いらしく、血がぽたぽたと零れ落ち続けている。 「ううっ……」 顔を歪めながら、クラレンスは呪文を唱える。すると一瞬のうちに出血が止まり、薄皮が形成された。 「……なかなか見事だな」 感心したようにセオドールが呟く。 「俺が選択したのは『生活に役立つ魔法』のコースですから。専門的なことはあまり知らないけれど、こういったことなら……」 もともとクラレンスはさほど魔術に興味がなかったので、こういった実用的と思われるコースを選んだのだ。セオドールは『付与魔術』という専門分野にのみ焦点を絞っていたので、他の分野は基礎を学んだ程度である。 「さて、ではこの刃について調べてみるか」 セオドールはまた慎重に蔓をかき分け、刃を露わにして行く。 それはどうやら、一本の剣のようだった。それが植木鉢に刺さって、蔓がからみついているのだ。 不審に思いながら、セオドールはその剣に向かって呪文を唱えた。魔力があるかどうかを調べる呪文である。 「……魔剣……?」 セオドールは茫然と呟く。この剣からは、確かに魔力が検知されたのだ。 それも、並みの魔力ではなかった。この地下の扉にかかっていた魔力、王家に伝わる剣にかかっていた魔力に匹敵するほどだった。しかし、魔力の波長はそれらとはまた別のもののように思えた。 「魔剣? セオドール様のお好きな? これが?」 信じられないといったようにクラレンスは植木鉢に刺さった剣を見る。 「…………」 セオドールは柄の部分に手を伸ばし、剣を植木鉢から引き抜こうとする。 しかし、全く動かない。 「……?」 セオドールはまた呪文を唱える。すると、やはりこの剣は魔法の力で抜けないようになっているらしかった。それも、その固着の呪文の魔力は強大であり、波長がこの地下の扉にかかっていた魔力、王家に伝わる剣にかかっていた魔力の波長とほぼ同一だった。 「どういうことだ……?」 顔をしかめながら、屈んで鉢を調べる。 「ん?」 鉢には何か文字が刻まれていた。まず、最初におよそ400年前の日付。そして、次に連なるのは魔界の文字のようだった。セオドールはそっと手を触れて文字を解読して行く。 「……ロードナイト……アステール……カリーナ…………ロードナイト!?」 思わず叫んでしまう。ロードナイトといえば、魔界宰相の名だと先日聞いたばかりだ。 さらに、カリーナとはロサ・リカルディーの娘にして二代目の女王となったカリーナ姫と同じ名だ。 アステールという名にだけは聞き覚えがなかったが、悪魔にでも尋ねればわかるかもしれない。 「セオドール様……どうしたんですか?」 セオドールが自分の思いに引き込まれていると、訝しそうにクラレンスが尋ねてくる。 「……ああ」 はっと気付く。ここにはクラレンスがいたのだ。 「今、調べていることに関連しそうだったのでな」 下手にごまかす必要はない。余計なことを言わなければいいだけなのだ。クラレンスはセオドールが自分のことに立ち入られるのを好まないことをよく知っている。ある程度の説明さえしておけば、それ以上追求してくることはまずない。 「そうですか……」 案の定、それ以上クラレンスは何も言わなかった。 「クラレンス、この部屋のことは他言無用だ。わかったな」 「はい……」 クラレンスは頷いたが、その顔からは訝しげな表情がとれなかった。ここまで隠そうとしているのは初めてだと、何か言い知れぬ不安を覚えていたのだ。 「セオドール様…………いえ、やっぱり何でもありません」 あれから、セオドールとクラレンスはお互いほとんど無言のまま地下を後にした。すでに夜は更けており、今日はこれ以上の探索は不可能だった。 「それでは、おやすみなさいませ……」 黙々とセオドールの就寝の準備を手伝い終えると、曇りのとれない表情のまま、クラレンスはセオドールに挨拶をして自室に戻って行った。 「…………」 セオドールもどことなく漠然とした不安を覚えながら、ベッドに腰掛ける。 「あの者は、どことなく勘付いているようだな」 どこからか声がする。 「現れたか……」 正面を見据えたまま、セオドールは呟く。 「この国に戻って来たのだな」 空間を歪ませ、悪魔がセオドールの隣りに現れる。 「魔界への手掛かりはプレファレンスにあると見たからな」 悪魔の方を見ず、セオドールは言う。 「……果たして、それは正しいかな?」 軽く笑いながら、悪魔はセオドールの銀糸を一筋すくい、口付ける。 「聞きたいことがある」 「何だ?」 「……『アステール』とは何者だ?」 悪魔に向き直り、問う。 「……着実に進み続けているようだな。『アステール』とは、魔界のある住人の名だ」 「そうか……ある部屋の鉢に『ロードナイト』『アステール』『カリーナ』と連名で刻まれていた。この『ロードナイト』とは、魔界宰相のことか? そして『カリーナ』とは、プレファレンス第二代女王のことなのか?」 やや興奮気味にセオドールは悪魔に詰め寄る。 「……その答えを聞けば、お前はもう引き返せなくなるぞ。それでもいいのか?」 そっとセオドールの顎に手をかけ、上向かせると悪魔は静かな声で問う。 「あの者は、なかなか勘が鋭いようだ。お前が何をしているかは知らないまでも、背徳の行いをしていることには薄々気付いているようだな」 悪魔の言葉に、セオドールは視線を斜め下に向け、軽く口元を歪めてそっと目を閉じた。ややあってゆっくりと目を開けると、感情のこもらない蒼玉で悪魔を見据える。 「……戯れ言を」 冷たい声で、そう一言。 「……ふふ、そうか。ならば、答えてやろう。……『その通り』だ」 楽しそうに悪魔は言い、セオドールの頬を指の背で撫でる。 「そうか……」 セオドールはどこか虚ろな吐息を漏らす。 「……そして、この城の地下の扉と王家に伝わる剣の魔力付与者は、この三人のうちの誰かだ。そうだろう?」 「どうかな?」 自らの頬を這う指をつかみながら、セオドールは口元に薄く笑みを浮かべて悪魔を見る。 「その通りだろう?」 念を押すように問うセオドールに、悪魔は何も言わずただ軽く笑うだけだった。 「鉢に刻まれていた日付は、およそ400年前だった。プレファレンスの建国当初だ。ということは、ロサ・リカルディーは悪魔の力を借りて国を興したのか?」 セオドールは悪魔の顎のあたりに手を伸ばしながら問い掛ける。 「残念だが、それは違うな」 悪魔は自らの顎に留まっているセオドールの手をとり、口付けながら答える。 「悪魔の力を借りることが出来たから、国を興したというわけではないのか?」 訝しげにセオドールは尋ねる。 「それでは、国を興すのが目的となっている。彼女の目的は別のところにあった。それと、悪魔の力を借りることが出来たからというのも違うな。むしろ、逆だった」 「……どういうことだ?」 すっと目を細めて、セオドールは悪魔を睨むように見る。 「さて、な。自分で調べてみるといい。だが、もう引き返すことは叶わぬぞ。それはお前が自分で選んだ。この先に待つものを、お前はどう思うのだろうな? ……受け入れることが出来るかな?」 悪魔はセオドールの銀色の髪に口付けると、空間を歪ませてその姿を消した。 「…………」 セオドールは憮然と悪魔の消えた辺りを睨み続ける。 「子供部屋……魔界宰相、プレファレンス第二代女王……そして、もう一人の魔界の住人……」 あの部屋の扉が開いていたのは、何故か。 さらに、植木鉢に刺さっていた剣は何なのか。 「引き返せないのは、今更ではないだろう。そのような気など、とうに失せている……」 独り呟くセオドールの声が、誰もいない部屋に虚しく響いた。 |