17.再応



「セオドール様、まだ怒っていますか……?」

 おそるおそるクラレンスは尋ねる。

「いや……」

 セオドールはどこか上の空、といった様子で答える。

「うっ……やっぱり怒ってる……」

 セオドールに聞こえないよう、ぼそっとクラレンスは呟く。

 魔術学院を2週間で卒業せよ、との命令をクラレンスは実行できなかったのだ。セオドールの命令より、3日遅れての卒業となってしまった。

 そうはいっても、本来ならば卒業まではあと半年程度かかるはずだったのだから、大変な快挙と言えるのだろうが、セオドールにとっては自分の命令を実行できなかったことが不満らしかった。

 プレファレンスに帰ってきてからも、セオドールはまだどこか不機嫌そうなのだ。

 すでに国王への報告を終え、あとはクラレンスが実家に戻って報告することになっているのだが、クラレンスはこのような状態のまま、セオドールの傍を離れたくはなかった。

 城内をただ歩き続けるセオドールを追うように、クラレンスは半歩ほど遅れて歩きながら、しきりに何か話しかけるのだが、はかばかしい答えは返って来ない。

 しかし、セオドールにこうも気安く話しかけられるような人物は今までいなかったので、城内の人間はあっけにとられてこの二人が歩いて行くのを見送る。

「また、帰ってきたのか」

 目の前に、一人の青年が立ちはだかる。

 セオドールの兄、第一王子ルテールである。

「……誰だ?」

 置物を見るような目で実兄を見、セオドールはつまらなさそうに言う。

「……お前はこの短期間で、自分の兄の顔を忘れるのか!?」

 弟の態度に苛立ち、ルテールは声をやや荒げる。

「ああ……その間の抜けた声はルテールか」

「間の抜けた……」

 ルテールは茫然と呟く。

「私の記憶に残っていたのだ。光栄に思うがいい」

 傲慢にセオドールは言う。

「……お前は何様だ……。ええと、クラレンス……だったな?」

 ルテールは思わず呟いた後、セオドールのことは無視することにしたらしく、クラレンスに向き直る。

「は・はい……」

 クラレンスはやや緊張して答える。何せ、セオドールの兄である。これが初対面というわけではないが、まともに会話をしたことなどないのだ。何を言われるのかと身を固くして次の言葉に備える。

「大変だったな……。心から同情するぞ……。こんな奴の目付役など、死にたくなるほどの苦痛だっただろう……よく耐えたな……」

 だが、ルテールの口から出たのは同情の言葉だった。

「いえ……そんなに酷くは……」

「いや、言わなくてもいい。こいつの前では言いづらいだろう」

 クラレンスの言葉をルテールは途中で遮る。

「お前の気が狂わなかったのは、賞賛に値すると言っていいだろう。よく生き延びたな……見事だ」

 一人で頷きながら、讃辞を述べるルテール。

「…………」

 クラレンスはどうすればいいのかわからなくなり、救いを求めるようにセオドールを見る。

「捨て置け。こいつはそういう奴なのだ」

 その視線に気づき、セオドールは吐き捨てるように答えた。

「お兄様がお帰りになったんですって!?」

 新たな声が加わる。

「やっかいなのが増えたか……」

 ため息を漏らし、セオドールは呟く。

「セオドールお兄様!」

 ドレスの裾をたくし上げて、アルメリアが駆け寄ってくる。ルテールの横を素通りし、セオドールに飛びつくように、その腕にしがみつく。

「……うっとうしい」

 セオドールは冷たく言って、妹を振り払う。

「セオドールお兄様……」

 愕然とした表情で、アルメリアはセオドールを見つめる。その青い瞳にみるみる涙がたまって行く。

 クラレンスはおろおろと、セオドールとアルメリアの間に視線を行き来させる。

「……クラレンス……だったかしら?」

 アルメリアは目頭を押さえながら、今初めて気が付いたようにクラレンスを見る。

「は・はい」

 再び緊張してクラレンスは答える。

「困りますわ! 目付役なら、セオドールお兄様の情操教育に役立ってもらわなくては!」

 頬を膨らませて、アルメリアは言う。

「は・はあ……?」

「よく、動物を飼うことが情操教育に役立つと言うでしょう」

 理解できていない様子のクラレンスに、アルメリアは説明する。

「俺……ペットですか……?」

 クラレンスは茫然と呟きながら、乾いた笑みが浮かんでくるのを感じた。

「アルメリア、そういうことは思っていても口に出してはいけない。本音と建前の区別を覚えなさい」

 ルテールがアルメリアを諌めるが、その内容でさらにクラレンスはショックを受ける。

「……俺って……人間扱いされないんですね……」

 クラレンスは虚ろな目で宙を仰ぐ。

 ルテールとアルメリアは何だかんだと言い合いを続けている。

「いい加減にしろ」

 その収拾をつけたのは、セオドールだった。

 冷たく響く声に、一同黙り込んでセオドールを見る。

「まったく……下らない言い合いを。せっかくまとまりかけた考えが霧散してしまったではないか。……行くぞ、クラレンス」

 そう言い捨てて、セオドールは歩き出した。

「は・はいっ」

 あわててクラレンスがその後を追う。

 しばし無言で歩き続けた後、クラレンスは思い切って聞いてみた。

「セオドール様、もう怒っていませんか?」

「怒る? 何をだ?」

 ふと歩みを止め、セオドールは訝しげに聞き返す。

「俺がご命令通り、2週間で卒業できなかったことを……」

「……もう過ぎたことだろう。まあ、3日遅れならお前にしてはよくやったほうだ。今更どうこうしようとは思わないな」

「では、どうしてさっき俺が話しかけてもまともに答えてくれなかったんですか?」

「話しかけていたのか?」

 意外そうな顔をするセオドール。

「……さっき、俺がまだ怒っていますかって聞いたら、いや……っていかにも俺のことなんて無視したように答えていましたよ」

「記憶にない……。考え事をしていたからか。……だいたい、私は怒っていたら怒っているとはっきり言う。お前もそれくらいは察しろ」

 そう言って、セオドールは再び歩き出す。

「…………」

 黙ってクラレンスはそれに続く。

 ややあって、セオドールは静かに口を開いた。

「……ルテールとアルメリアの言葉は気にするな。連中の頭はおめでたくできているのだ。その意味もわからず、口に出していることがほとんどだからな……」

「……え?」

 クラレンスは思わず立ち止まってしまう。まさか、セオドールが慰めの言葉をかけてくれるとは思わなかったのだ。

「……何を立ち止まっている。置いて行くぞ」

 不機嫌そうなセオドールの声が響く。

「は・はいっ!」

 クラレンスは口元にのぼってくる笑みを手で覆って隠すと、後ろも振り向かずに歩き続ける主を追った。










 地下の最奥の部屋、その前までセオドールは一人で来ていた。

 今頃は、クラレンスの帰国を祝っての宴の真っ最中だろう。途中までは顔を出していたのだが、頃合いを見計らって抜け出してきたのだ。

「さて……」

 セオドールは扉を開く言葉を口にしようとする。

 しかし、そのとき後ろで何かの気配がした。

「誰だっ!」

 セオドールは腰の短剣に手を伸ばしながら振り返る。

「ちょっ……待って下さいよ! 俺です! クラレンスです!」

 暗がりの中から出てきたのは、クラレンスだった。

「何だ……お前か。いったい何をしている」

 短剣から手を放し、セオドールは軽く吐息を漏らす。

「セオドール様こそ……。宴の最中でセオドール様が抜け出したから、後を追ってきたんですけど……こんな暗い地下にやって来るなんて……」

 薄気味悪そうに辺りを見回しながら、クラレンスは言う。

 セオドールの周囲こそ魔法の光球で明るいものの、少し離れると辺りは静かな暗闇に包まれている。

「私は宴など嫌いだ。それより、お前は宴の主役だろう。主役が途中で抜け出てくるとは何事だ」

「俺だって宴なんて嫌いですよ……。というより、苦手なんです。俺、田舎者ですから。俺なんかいなくても、皆さん楽しんでいらっしゃいますよ」

 クラレンスは泣きそうになりながら言う。

「確かに……連中は何か騒ぐ理由が欲しいだけだから、お前がいようといまいと関係ないだろうが……。だからといって、明かりもなしに私を追ってきたのか? よくここまで来ることができたな」

「俺だって、いちおう魔術学院に留学していましたからね。物探しや人探しのための呪文は得意なんです」

「そうか……」

 セオドールはやや脱力しながら呟いた。

 魔界がどうという話をクラレンスにはしたくない。すると、この先の扉のことも言うことはできない。今日のところは奥の扉を開くのは諦めるしかないだろう。

「この扉、立派ですね……。これ、プレファレンス王家の紋章ですか? この先って、いったい何があるんですか?」

 セオドールの気など知らず、クラレンスは奥の扉に見入っている。

「その扉は開かないのだ。魔法がかかっている」

「へえ……そうなんですか」

 セオドールの言葉は嘘ではないが、全てを話してはいない。だが、クラレンスは全く疑うこともなく、扉を眺める。

「あれ? あっちの部屋は何ですか? 扉がちょっとだけど開いていますよ」

 ふと、クラレンスが手前の部屋を指してそう言う。

「……何?」

 セオドールはクラレンスの指す扉に近寄ってみる。すると、確かに扉は開いている。前に来たときに気付かなかっただけなのか、それとも誰かがこの部屋に入ったのだろうか。

「この部屋は何ですか?」

「知らん」

 クラレンスの問いにきっぱりとそう答えると、セオドールはそっと扉に手を伸ばした。





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