16.召喚



「セオドール様、試験に合格していました! しかも、順位が3番でした!」

 学院から戻るなり、クラレンスは嬉しそうに報告した。

「そうか、合格したか。私があれだけ教えたのだから、当然だな」

 表情を変えることなく、セオドールはそう言う。

「では、これから最終の卒業試験に向けての勉強だ」

 淡々とした口調で宣告する。

「うっ……」

 一瞬にしてクラレンスの表情が陰る。

「3番といったな? 確かお前の成績は中ほどだったはず。これは今までがいかに勉強不足かを表しているとは思わないか?」

「……いえ……そんなことは……」

 ここ数日間の地獄のような勉強の日々が頭をよぎる。確かに今までそれほど勉強してきたとは言えないが、あのような睡眠を削るほどの勉強をしてまで成績を上げたくはない。

「首席をとるくらいの覚悟で、もう少し勉強してみろ」

「そんな無茶苦茶な……」

「私は常に首席だったぞ」

「……そりゃあ、俺とは頭の出来が違うからですよ」

「それならば、努力で補って見せろ」

「…………」

 もう、何を言っても無駄だ。本当に二週間で卒業するだけの勉強を強いられるのは間違いないだろう。

 下手に言い争うだけ、時間と体力の無駄のようである。

「では、夕食まで勉強だな」

 どことなく楽しそうなセオドールの声が、地獄の開始を告げた。

 ――これが、一週間前のことである。










 床に奇妙な紋様の刻まれた部屋。

 魔術の実験用に作られたこの部屋で、セオドールは一人、呪文を唱え続けていた。

 唱えているのは、召喚術である。悪魔はこの一週間、一度も現れなかった。それ以前から数えれば、二週間以上現れていないことになる。聞きたいことがあるというのに、これほど長い間現れないのは初めてだ。そこで、自分から呼び出すことにした。

 セオドールは慎重に、繊細な構成を編み上げる。

 呪文と共に、部屋の中央に刻まれた結界の内部に、魔力が渦巻いて行く。徐々に質量を増して行くそれは、ある一点に凝縮されていった。

 不意に、締め切られた部屋に突風が吹き抜ける。

 風はセオドールの銀糸を激しく舞い上がらせる。目も開けていられぬほどの強さだった。

「……っ」

 自身すら吹き飛ばしてしまいそうなその強風のなか、セオドールはただ飛ばされぬよう立っていることしかできなかった。

 すでに呪文は唱え終わった。後は、悪魔が現れるか否かである。

「……初めてだな。お前が私を呼び出すのは……いや、最初の失敗以来か……」

 風がおさまって行くなか、聞き慣れた声が響く。

「……黙れ、悪魔」

 セオドールは不機嫌そうに返す。

 彼が目を開けたとき、すでに魔力は黒い影に転化されていた。召喚は、成功である。

「お前が精霊を召喚しようとして、失敗して私を呼び出したのは事実だろう」

 からかうように悪魔は言う。

「…………」

 嫌な記憶を呼び覚まされ、セオドールは黙り込む。

 以前、精霊の召喚に失敗して悪魔を呼び出してしまったのは確かに事実である。そのとき以来、この悪魔につきまとわれているのだ。

「今度の結界はいい出来だ。あのときのように破ることはできない。……この結界を解いてくれないか? このままではお前に触れることができない」

「……触れる必要はないだろうが」

 セオドールは却下する。

「つれないな……」

 結界の中の空間が微かに歪む。

「今日はいつもと違う。私が貴様を召喚した。貴様は私の命令に従う義務がある」

「お前の強制力が私に勝てれば……な」

 低い笑い声を漏らしながら悪魔は答える。

「……まず、聞こう。『ロードナイト』とは何者だ?」

「ほう。そこまでたどり着いたか……」

「質問に答えろ」

 セオドールは命令する。

「……生憎、その命令に従う必要はない。未熟なお前の力では、私を従わせるほどの強制力は持たない」

 今までのからかうような様子が消え、一転して感情のこもらない冷酷な声になる。

 セオドールは強張った表情でその場に立ち尽くす。一筋の汗が額を伝う。結界の中から伝わってくる、圧力のような存在感に身動きすらできなかった。

「その問いに答えてほしければ、この結界を解くことだ」

 感情のこもらないまま、悪魔は言う。

「……結界を解けば、私を殺すのではないか?」

 思わずセオドールはそう言っていた。

 殺すつもりならば、今までいくらでも機会があったにも関わらず、そうしてはいない。そのことをよく知っていながら、それでもそう言わずにはいられなかった。

 セオドールは、最初に悪魔と会ったときのことを思い出していた。あのとき、確かに感じた恐怖が再び沸き上がってくる。ずっと忘れていたような気がするが、この相手は真実、悪魔なのだ。

「何を言うかと思えば……私がお前を殺すはずがなかろう?」

 悪魔は軽く笑った。いつものように。

 セオドールはいささか安堵しながらも、それでもまだ不安を消せなかった。

「……そうやって騙すのは、悪魔の常套手段だろうが」

 警戒するセオドールに、悪魔はため息を漏らす。

「ならば、どう言えばいい。……それにたとえ、私がお前を殺したいと思ったとしても、殺せない理由があるのだ」

「……殺せない理由?」

「今は言うことができない。お前がこのまま進み続けるのならば、いずれ明らかになるだろうがな……」

 何故か、その言葉を信用する気になった。

 こうやって信用させるのが悪魔の手口なのかもしれないが、それでもいいと思った。

「……わかった」

 セオドールは結界を解除する。

 束縛を解かれた悪魔は、セオドールに近づく。

 ゆっくりと近づいてくる悪魔から視線をそらせず、セオドールはただ立ち尽くす。身を切られるほどに冷たい刃のような空気が、悪魔の一歩ごとにセオドールに伝わってきて、動きを封じられる。

 そして悪魔はセオドールの首にそっと手をかける。冷たい手だった。

「このまま私が力を込めれば、お前の命を奪うことができる。……動けないのだろう?」

 愉悦の滲んだ悪魔の声。

 セオドールは悪魔を見上げたまま、静かに目を閉じた。

「そうそう悪魔を信用しないことだな……」

 悪魔はセオドールの首にかけた手に、そっと力を込める。

 セオドールの顔が微かに歪むが、目は閉じたままだった。このまま殺されても構わないと思ったのか、それともこの相手が自分を殺すことなどないと信じているのか、自分でもよくわからなかった。あるいは、その両方だったのかもしれない。

 それでも、身体が微かに震えるのを止めることはできなかった。本能的な恐怖だけは抑えようがない。

 徐々に首にかけられた手の力が増して行く。その気になれば首の骨を折ることもできるのだろうが、そうはせず、じわじわと嬲り殺すつもりらしかった。しかし、その手をはずそうにも身体が動かないのだ。

「……ふふ、冗談だ」

 いきなり悪魔はその手をはずし、笑った。

 セオドールは糸が切れたようにその場に崩れ落ち、喉を押さえながら何度も咳をする。そして涙に滲んだ目で悪魔を見上げ、睨み付ける。こうなることはわかっていたような気もするが、それでもこの悪趣味にはうんざりした。

「随分ともろいものだな……軽く力を入れただけだというのに……」

 悪魔はセオドールを見下ろし、銀糸を撫でながら呟く。

 その手を振り払い、ゆっくりと立ち上がるとセオドールはいっそうの敵意を込め、悪魔を睨み続ける。

 だがその態度とは裏腹に、未だ微かに震えの残るセオドールの手をとり、悪魔は忍び笑いを漏らしながらそっと口付けた。

「……さて、それでは先ほどの問いに答えてやろうか」

 その言葉に、セオドールの表情から敵意が一瞬にして薄れ、訝しげなものとなる。

「先ほどの名は、宰相閣下の名だ」

「宰相? 魔界の?」

「そうだ。魔界宰相ロードナイト公爵。彼のことだろう」

「その魔界宰相とやらは、ロサ・リカルディーのことを詳しく知っているのか?」

「それは知っているだろう。魔界において、最も深く彼女と関わっているからな」

 セオドールはしばし考え込む。

「……どうすれば会える?」

「魔界に来ることだな」

 あっさりと悪魔は答える。

「しかし、魔界といっても広い。そのほとんどは無法地帯だ。うまく中央にたどり着くのは困難だろう。……それ以前に、魔界の瘴気にあてられて死ぬ可能性もあるがな」

 悪魔はセオドールの銀糸に指を這わせながら続ける。

「もし、中央にたどり着いたとしても、宰相閣下に会うのはさらに困難だ。多忙を極める宰相閣下が、たかが人間に面会を許可すると思うか?」

「……ならば、ロサ・リカルディーはいったいどうしたというのだ。彼女は、魔界帝王に気に入られていたと聞くぞ」

「それは特殊な例だ。第一、お前は魔界に来る方法を知っているのか?」

「…………」

 セオドールは黙り込む。ロサ・リカルディーの日記には、魔界への道が存在することは書いてあったが、場所は記されていなかったのだ。

「契約をすれば、魔界に連れていってやれるが? 宰相閣下にだって会わせてやれる」

 薄く笑いながら、悪魔はセオドールの銀糸に口付ける。

「……契約など、しない」

 セオドールはそう言って、悪魔を振り払う。

「それならば、自分で探すことだな。魔術学院の理事長にでも聞いてみるか? 彼は、魔界への道を知っているはずだ。……もっとも、お前に教えるとは思えないが」

「理事長が魔界への道を知っている?」

 しかし、あの嫌われようでは悪魔の言う通り、魔界への道など教えるとは到底思えない。もう一度、何か引き換えにできるようなものがなければ無理だろう。

「そういえば……天から落ちて来た白い羽根に理事長は執着を示した。あの羽根が意味するものがわかれば……」

 あの羽根と同じようなものがあれば、また取引を持ち掛けることができるかもしれない。

「未だ想い続けているというわけか。一途だな」

 悪魔が感心したように呟く。

「あの羽根が何なのか知っているのか?」

「お前が見たものがそれとは断定できないがな。魔術学院の理事長が執着を示す対象と言えば、一つしかない」

「それは何だ?」

「彼が昔失った、最後に残されたもの」

「…………」

 セオドールは考え込む。あの白い羽根がどうそれにつながるのか。

「だが、魔術学院の理事長に尋ねるのは懸命ではない。それよりも近しい道がある」

「近しい道?」

 突然話の矛先を変えられ、セオドールは軽く眉をひそめて問う。

「そう。人間界から魔界に行くには、険しい山を越え、さらに魔界への扉をくぐった後も魔物の潜む瘴気の森を抜けなければならない。これが本来の道だ。しかし、それよりも簡単な道がある」

「それはどこだ?」

「お前が契約をしないと言うのならば、これ以上は教えられないな」

 悪魔は軽く肩をすくめる。

「…………それならば、仕方ないな」

 セオドールはそっと目を閉じ、吐息を漏らしながら呟く。

「おや? 今日はやけにあきらめがいいな」

 意外そうに悪魔は言う。

「言わないというのならば、仕方あるまい」

 素っ気無くセオドールは答える。

「……それならば、私はもう帰るぞ。仕事が残っているからな」

 どこか残念そうに悪魔はそう言う。

「仕事? 貴様、仕事などしているのか? 何の仕事だ?」

 驚いたらしく、目をやや大きく見開いてセオドールは問う。

「……王族など、位の高い人間の魂を奪うことが出来れば、かなりの功績になるのだが?」

 悪魔はゆっくりと手を伸ばし、セオドールの顎を捕らえて薄く笑う。

「帰れ」

 正面から悪魔を見据え、冷たく一言。

「冷たいな。魂の一つも差し出してやろうという気にはならないのか?」

「ふざけるな」

「冗談だ。それでは私は去ろう」

 軽く笑って、悪魔はセオドールに背を向ける。

 しかし、いつものように空間が歪まない。そのまま、立ち尽くしている。何かを戸惑っているようにも見えた。

「……お前の祖先は、本来の道を通って魔界に来たことは、ほとんどない。特に、王位についてからは、かなり頻繁に魔界を訪れていたにも関わらず、一度も本来の道を通ったことはないはずだ」

 ややあって、背を向けたままそう言った。

 そしてようやく悪魔の周辺の空間が歪み始める。

「…………ふふ」

 低い笑い声が響く。悪魔のものではない。セオドールが我が意を得たりとばかりに漏らした笑みだった。

「……貴様が何の手掛かりも私に与えることなく、帰るとは思わなかったが……その通りだったな」

 あっさりとあきらめたのは、試してみたのだった。思ったとおりの結果となり、これで確信した。

「貴様は、本当に私を殺せない」

 その声が果たして悪魔に届いたのか、否か――。

 セオドールの言葉が途切れたとき、悪魔の姿はすでにそこには無かった。





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