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「プレファレンス王国初代女王ロサ・リカルディー……」 セオドールは目の前に飾られた肖像画を見て、呟いた。 肖像画に描かれているのは、銀糸の髪と銀の瞳を持つ絶世の美女だった。とはいえ、深窓の姫君のたおやかで頼りなげな美しさではない。鋭さを秘めた、いわばセオドールと同類の氷の美しさだ。 彼女がただの一領地にすぎなかったプレファレンスを発展させ、王国の名乗りをあげて世界屈指の大国に仕立て上げた。記録によれば、武術、知能、容姿、はては芸術の才能まで一流だったそうだ。 この女性の血が自分にも流れている。セオドールはそのことが確かに感じられた。より近いはずの自分の両親との血の絆よりもずっと鮮烈に、確実に。 「我が国には、一振りの剣が伝わる。歴代の王たちが受け継いできた、王の証。……魔界より剣を持ち出したるは、貴女か……?」 問いかけた言葉は空虚な響きを帯びて消えていく。肖像画の人物は微笑みを浮かべたままセオドールを見下ろし、答えはない。 「…………」 応えることのない建国の女王を見上げたまま、何故か一瞬だけ泣きそうな顔になり、セオドールは遠い母に背を向け、歩き出した。 歩き出したときにはすでにいつもの無表情に戻っていた彼を、そうとはわからぬまま、また、わかろうはずもない女王は常と変わらぬ微笑みで送った。 薄い膜のような緊張感がとれない王城内。 その理由は昨日帰国したセオドールによるものだった。彼の狂気はあまりにも有名である。また何かをしでかすのではないかと、城内の人間は不安を抱いていた。 しかし、全ての人間が彼を疎んでいるわけではない。 「あ、セオドール様よ」 「あのお美しさ、目が眩みそうだわ……」 セオドールの通るところでは、このような女官たちの囁きが聞こえてくる。また、男女を問わず彼の輝かしい美貌に目を奪われる者は多い。 もっとも、彼にとっては他人が自分をどう思おうとどうでもいいことである。 今、セオドールは留学についての正式な報告を終え、自室へと向かっていた。その途中である人物と遭遇したのである。 「何か用か?」 目の前に立ちふさがる者に向かって、セオドールは抑揚のない声で言った。 「もちろんだ。そうでなくてはお前と話したいなどと思うものか」 内容とは裏腹に、やや腰が引けているその人物は、プレファレンス王国第一王子ルテール、つまりセオドールの兄である。 「そうか。だが、私は貴様に用などない。どけ」 セオドールは感情という色のない蒼玉を兄に向け、そう言って一歩を踏み出そうとする。 「ちょっ・ちょっと待て!」 あわてた叫びをあげ、ルテールはセオドールを押しとどめようとする。ルテールの額には汗が滲み、金色の髪が張り付いている。弟と同じ蒼玉に浮かぶ色は、弟とは違って様々な変化をみせていた。 「ふん……私も忍耐強くなったものだ。いいだろう、話を聞いてやろう」 高みから見下ろすような、傲慢な声。 「お・お前は何様だ……」 思わずルテールが呟きを漏らす。 「それが話か。下らないな」 あくまで無表情のまま、鼻を鳴らすセオドール。 「あ゛〜っ! こいつはっ! ぜんっぜん変わってないいい〜っ!」 苦悩のあまり髪を掻きむしりながら、ルテールは叫ぶ。彼も美しさで有名なプレファレンス王家の者なのだから、当然ながら美貌の持ち主ではあるのだが、こうなってはその美貌も形無しである。 「狂ったか。哀れだな」 言いながら、その声には何の感情も込められていない。 「だっ・誰が狂ったか! 狂ってなどいない!」 ルテールはぴたりと行動を止めて弟を睨み、乱れた髪を撫でつけながら、荒くなった息を整える。 「で、何が言いたい?」 腕を組み、伏せ目がちにため息をつきながら、セオドールは促す。 「そうだ、聞きたいことがある。昨晩の影は何だ?」 ルテールの言葉に、セオドールはゆっくりと目を上げる。 青と青がぶつかり、どちらも目をそらすまいと相手を見る。 「何のことだ?」 「とぼけるな。昨夜、お前の部屋に突然現れた影を、私はこの目で確かに見た。あれはいったい何だ?」 「一国の王子が密偵の真似事か」 セオドールは口元に酷薄な笑みを浮かべる。 「私だってそのようなことをするつもりはなかった。庭を散歩していたら、偶然見えたのだ。お前の部屋の窓に、突然現れた影が。またろくでもないことを考えているのか?」 「ろくでもないことを考えているとは心外だな。私があのときのように戦争を起こそうと考えているとでも? あれは確かに私が間違っていたと今なら思える」 「珍しく殊勝じゃないか」 「ふん、あの頃は目先しか見えていなかったということだ。それよりも、あの影が何かを聞きたいのだろう?」 面白くもなさそうにセオドールは鼻を鳴らす。 「あれはな、私にこうするのだ……」 言って、セオドールは片手でルテールの腰を引き寄せる。セオドールのほうがやや背が高く、ルテールは大きく目を見開いて弟を見上げるかたちとなる。そしてセオドールは空いているほうの手をルテールの頭に持っていき、その細い指に金糸をからませる。 ルテールは硬直し、遠巻きに眺めている女官たちも息をのむ。 そのようなことにはかまわず、セオドールはルテールの耳元に唇を寄せ、 「お前は美しい……」 肌が粟立つほど艶のある声でそう囁く。 「うっ・うわあああああああ〜っ!!」 狂ったように暴れながらセオドールから身を離すルテール。 「きっ・きききき貴様っ、そ・そそそんな趣味があったのかっ!?」 急速に壁まで後ずさりながら、ルテールは叫ぶ。 「だから、あれが私にどうするのかを教えてやっただけだろうが。貴様をどうこうしようなど、誰が思うものか」 からかうような冷笑を口元に浮かべ、兄に向かってそう言うと、セオドールは自室に向かって歩き出した。 今度はそれを止めようと思う者などは無く、張りつめた静寂の中、セオドールは姿を消した。 その姿が完全に見えなくなってから、女官たちの好奇にあふれたざわめきがそれまでの静寂に取って代わってあたりを支配する。 ルテールは壁に張り付いたまま、ざわめきの中を茫然と立ちつくしていた。 月が闇を照らす頃。 セオドールの前に再び不意の来訪者が現れた。 「また来たのか……」 豪華な椅子に身を沈め、ワイングラスを傾けながら、昨日と同じく嘆息を漏らすセオドール。彼の細い肢体を包むのはゆったりとした部屋着で、銀色の髪は束ねられることなく、そのまま流されている。 「昨日、貴様がやってきたのを見た者がいる。やってくるときは、外から見えないよう気をつけろ」 「それは、お前のもとに通うのを許可してくれたということか?」 影に覆われた訪問者は可笑しそうにそう言った。 「面白い情報があるときに限り、な。……もっとも、私が許可しようがしまいが貴様は現れ出るだろうが、悪魔め」 「違いない」 忍び笑いを漏らすと、悪魔はセオドールの横までやってきて、セオドールの手からワイングラスを取り上げ、自らの手の中で揺らす。 「私のことはどう誤魔化した? 背徳者め」 セオドールの髪に指をからませ、面白そうに言う。 「ふん、貴様が私にしてくるようなことをしてやったら、悲鳴をあげて逃げ出した。いかに私が貴様に対し、忍耐強く接しているかを確認させられたな」 「ということは、お前にとって私はそうまでして接していたいと思う存在だ、ということだな」 「調子に乗るな、悪魔」 セオドールは悪魔の手からワイングラスを取り返し、それを悪魔の口に言葉を封じ込めるように押し当てた。 「貴様は利用価値がある。それだけのことだ。……で、用件は何だ? 用もないのにやって来たわけではあるまいな。早々に用件を済ませ、姿を見られぬうちに去れ」 悪魔を見上げ、面白くもなさそうにそう言う。 「ふふ……そこまで私の姿を見られたくないか。悪魔と繋がりを持ちながらも、いまだその地位にしがみつくか? 王子よ」 ワイングラスを再び取り上げ、悪魔は問いかける。 「この地位は束縛も多いが、利点も多い。利用できるものは利用するまでのこと」 「だが、王族が悪魔と繋がりを持っていることなど、知られるわけにはいくまい。知られれば、身の破滅だぞ。最後まで隠し通すことだな、最後まで……」 「……ひっかかる物言いだな」 目を細めてセオドールは悪魔を見る。 「魔界に入り、無事で帰るということがどういうことかわかるか? さて、魔界から剣を持ち出した者は誰か?」 「おそらく……プレファレンス初代女王ロサ・リカルディー」 「御名答」 セオドールの答えに、満足げな声を返す悪魔。 「彼女が初めて魔界にやって来たのは、ちょうど彼女が今のお前と同じ年齢のときだ」 「私と……同じ年齢……」 誰に言うとでもなく、口に出すことによって事実を確認するかのように呟き、一瞬の後、ふと奇妙な顔をする。 「ん? 『初めて』……?」 セオドールは抱いた疑問を投げかけるような視線を悪魔に向けた。 悪魔は満足そうに微かな笑い声を漏らし、セオドールの頭を抱えるようにして髪を撫で、額に口付ける。 「その通り。『初めて』だ。彼女はその後も度々魔界を訪れている。王族でありながら悪魔と関わりを持つ、お前のこの性癖も彼女からきているのかもな。そういえば、彼女も契約はしなかったということだしな」 「…………」 セオドールはその言葉をかみしめるように考え込む。 自分と似た先祖。近しい者よりも、さらに自分に近い者。 しかし、今の自分に魔界にたどり着くだけの力があるのか? 魔界を幾度も訪れながら契約を拒み続け、さらにそれで生き残ることがどういうことなのか……。 ――自分は、勝てるのか……? 「お前は隠し通すことができるかな? 美しき王子よ」 セオドールの迷いを見抜いたかのように、悪魔の言葉が発せられる。 この言葉に、セオドールはゆっくりと瞳を閉じ、悪魔を押しのけて立ち上がった。そしていつもの傲慢で、ぞっとするほどに妖美な冷笑を口元に浮かべて悪魔と対峙する。 「戯れ言を」 セオドールの新雪のごとく白い肌が、月の光を浴びてさらに白く浮かび上がる。緩やかに開かれた、凍てつくように冷たい瞳が悪魔を捕らえ、さらにその手が優美としかいいようのない仕草で伸ばされる。 「彼女にできたことが、私にできぬはずがないだろう?」 奇妙な愉悦すら浮かんだ、まったく迷いの無い言葉。 それを聞いた悪魔は、自らの顎を捕らえている手をはずすことなど思いもつかないように、そのまま微動だにしなかった。 この美しい悪魔は人間。本当の悪魔は自分。 だが、何かが自分を捕らえて離さない。初めて見たときから、ずっと。 ややあって、悪魔は満足そうな吐息をひとつ漏らした。 「それでこそ、お前だ」 |