12.疑念



 まるで停止した滝をくぐるようだった。

 ひんやりとした感触が全身に絡み付き、もしかしたら自分もその中に取り込まれてしまうのではないかという不安が頭をよぎる。

 しかし不安は一瞬だった。すぐに不透明な空間を抜け、今まで自分がいた部屋とは全く別の場所に出たのだ。

「来たか、クラレンス」

 そこでは自分の主が待っていて、満足そうにそう言った。

「セオドール様、ここはいったい……」

「お前も話には聞いたことがあるだろう。裏研究室だ」

「……ここが……?」

 クラレンスは茫然とあたりを見渡す。

 『裏研究室』という名前とは裏腹に、別段普通の学院内と変わるところはないように思えた。

「行くぞ」

 セオドールは一言そう言って、身を翻す。

「……はい」

 反論を許さないセオドールの口調に、クラレンスは素直に頷き、後に続く。

 2人が進む廊下は長く、両横にはいくつもの部屋が並び、学院とさほど違いの無い構造となっている。

「確か一番奥の部屋と言っていたな……」

 しばらく歩き続け、ようやく目的の部屋にたどり着いた。

 部屋の前で立ち止まると、セオドールはドアをノックし、一呼吸おいてからドアを開けた。

「はい、誰……お前は!」

 部屋の中で書類を整理していたらしい人物が、入ってきたセオドールの姿を見るなり、驚愕に目を見開いて書類をばさばさと落とした。

「セオドール……!? ……どうして、よりにもよって俺が受付のときに……」

 頭を抱え込んでしまった相手の姿を見ながら、セオドールは記憶の糸を手繰り寄せる。

「……お前には見覚えがあるぞ。確か、ライサスとかいったか……?」

 糸をうまく手元まで持ってくることに成功したようで、セオドールは相手の名を呟く。

「セオドール様、お知り合いですか?」

「専攻が同じだったような記憶がある」

 クラレンスの問いにセオドールは淡々と答える。

「ああ、その通りだよ……あの頃は色々とひどい目にあった……。こいつが付与魔術の実験で『踊るナイフ』なんてわけのわからないものを作ったとき、何故か俺が標的にされて、効力がきれるまで追い掛け回されたし……」

 嫌な思い出を呼び覚まされ、ライサスはどこか虚ろな目で宙を仰ぐ。

「……セオドール様、本当にろくなことしませんね……」

 クラレンスは控え目なため息とともにそう呟いた。

「……あれは不可抗力だ。わざとではない」

「そのわりには、逃げ回る俺を見ながら、黙々とレポートを書いていたよな……?」

「そうだったか……?」

 セオドールはライサスを正面から見据えながら、首を傾げる。

「……いいよ、もう……何言っても無駄なんだから……」

 あきらめきった表情でため息を漏らしながら、ライサスは呟いた。セオドールの後ろでは、クラレンスがこっそり頷いている。

「……で、この裏研究室に何の用だ?」

 椅子に座り、軽く頭を2、3回振って気持ちを切り替え、ライサスは問う。

「聞きたいことが2つある」

「何だ?」

「まずひとつは、理事長の居場所を知らないか? 学院を留守にしていると聞いた」

「理事長……ねえ。知らないなあ……。たまにこっちの方にも来るけど、しばらく見てないな」

「そうか……では、2つ目。この『想いが池の水』のことについて聞きたい」

 セオドールはそう言って、クラレンスに持たせた鞄から、以前アルメリアから入手した『想いが池の水』の入った瓶を取り出す。

「ああ、それ。詳しくはわからないんだ。理事長からもらったものだからさ」

「……理事長から?」

「そう。理事長の部屋に埃かぶってた瓶だったんだけど、これは何だって聞いたら思い描いた場所に導いてくれる水だって言って、ほとんど押し付けられたな。忘れていたのに、とかぶつぶつ呟いていたよ」

「……」

 セオドールは考え込む。

「ところで、どうして今頃ここに来たんだ? 今まで一回もここに来たことがないんだろう?」

「……どういうことだ?」

 セオドールは軽く眉をひそめ、問う。

「……? 卒業時、ここのことを聞かなかったか?」

 セオドールは首を横に振って否定する。

「あれ? おかしいな……。首席と次席には裏研究室のことが教えられるって聞いたんだけど。お前、首席だったよなあ……?」

「何だと……?」

 セオドールは険しい顔で呟く。

「それとも、学院に残らない奴には教えないのかな? 俺は学院に残って研究を続けながら教師をするって決まってたから……」

 ライサスが顎を人差し指でなぞりながら呟くのを、セオドールは険しい表情のまま聞いていた。

「……ま、いいや。それより、何か買っていかないか? お前、プレファレンスの王子だろ。金持ちだよな?」

 魔法の品が色々あるぞ、と後ろの棚から品物を取り出し始める。

「……ここは、金に困っているのか?」

 セオドールは呆れたように問うが、すでにその目は魔力を込められたという品物に引き付けられている。

 その言葉に、ライサスは口唇の端に不適な笑みを浮かべた。

「……学院の運営費やら、ここの研究費、どうやって賄っていると思う?」










「……何か、イメージ崩れました……」

 屋敷に戻って一息つくと、クラレンスはぽつりと呟いた。

 『裏研究室』といえば、それこそ生け贄だの、暗殺の手助けだのといった暗いイメージしかなかったのだが、実際には普通の学院とさほど変わらないような気がした。

「そうだな。確かに扱っている品物は表では販売できそうもない物もあったが、それくらいだな」

 セオドールも同意する。

 思ったほどの情報は得られなかったが、その代わりに様々な魔法の品物を手に入れてきたので、それほど機嫌は悪くない。

「……さて、それでは私はそろそろ研究を始めるか。クラレンス、先に休んでいていいぞ」

 セオドールは立ち上がって、軽く身体を伸ばす。

「はい、では失礼します。セオドール様もほどほどにして下さいね」

 去り際に残したその言葉に、セオドールはわかっていると答える。

 クラレンスが部屋から出ていったのを確認すると、セオドールは再び椅子に座り直した。

「いるのだろう?」

 一見何も見当たらない空中に向かって声をかける。

「……よくわかったな」

 何もない空間から声が響く。そしてその空間が揺らぎ、ゆっくりとひとつの影がその姿を形作る。

「もう少しうまく隠れたらどうだ? クラレンスは気づかなかったようだがな」

「わかるのは、お前くらいのものだ」

 そう言って、悪魔はセオドールに近づく。

「……あの場に連れて行くとは、よほどあの者のことを気に入っているようだな」

 椅子の後ろに立ち、その身をやや椅子にもたせかけながら、悪魔はセオドールの銀糸を一筋すくいあげる。

「クラレンスは、貴様と違って信用できるからな」

 軽く振り返るように顔をやや斜め上に持ち上げ、無表情のままセオドールは答えた。

「ほう。だが、その信用できる者にも、私のことは言えないわけだ」

 銀糸を指に絡めたまま、耳元でそっと囁く。

 その言葉にセオドールは静かに目を閉じ、やや長めの瞬きをすると、白い指を緩慢な動作で悪魔の頬に持っていった。

「……嬉しそうだな」

 口元に薄く笑みを浮かべ、指の背を悪魔の頬に這わせる。

「そう見えるか……?」

 悪魔は自らの頬で動くセオドールの指を捕らえ、押し頂くようにして口付けた。

「ああ……私と秘密を共有できることが楽しくてたまらない、といったように見えるな」

 目をやや細めながら、セオドールは指先で悪魔の口唇をなぞる。

「……契約をしてくれれば、嬉しいことこの上ないのだがな。魔術学院の理事長には会えたのか?」

 この言葉にセオドールは喉の奥で軽く笑うと、悪魔の口唇をなぞっていた指を止めた。

「……理事長の情報を持ってきたのだろう?」

 傲慢さを滲ませた口調でそう言う。

「会えてはいない、ということか。当然だがな」

「そして、貴様は私に理事長の情報を教えに来たというわけだ。そうだろう?」

「……違いない」

 悪魔は微かな笑い声を漏らすと、口元のセオドールの指をはずして元の位置に戻させた。

「彼が今いるのは、彼にとってこの世界における最も神聖な場所。そして、全てを失うきっかけとなった場所」

「全てを失う……?」

「そう。彼は一度失い、最後に残されたただひとつのものまで失った」

 言いながら、悪魔はセオドールの髪に口付ける。

「もし、お前がその姿を現せば、彼はその記憶を呼び覚まされ、苦痛を味わうだろうな」

「……それで?」

 楽しそうな悪魔の声と、一切の感情のこもらないセオドールの声。

「理事長の居場所は?」

 淡々とした口調で続きを促す。

「ここまで躊躇することなく言い切ると、見事だな。ならば、教えてやろう。ここよりも南に数日行ったところに、廃屋と見まごうような館がある。……目を閉じてみろ」

 悪魔はセオドールの額に指先で触れる。

 言われたとおりに目を閉じると、ひとつの情景がセオドールの目の奥に浮かんだ。もともとの造りは立派だったのだろうが、長い年月を経て風化しつつあるというような館が。

「……わかったか?」

 悪魔がすっと指を離すと、セオドールの目の奥からその情景も消えた。

「ああ」

 セオドールは目を開け、頷く。

「……そうだ。あの『想いが池の水』を使えないだろうか?」

 ふと思い付いたように、セオドールは棚に置いてある瓶を指す。

「……『想いが池の水』?」

「ロサ・リカルディーの日記に『思い描いた場所に導いてくれる魔界の水』とあったぞ。今の情景を思い浮かべて、使えないのか?」

「…………やめておけ」

 悪魔はしばしの沈黙の後、ぽつりとそれだけ言った。

「……?」

 セオドールが訝しげに悪魔を見ると、悪魔は無言でセオドールから離れ、何の前触れも無く空間を揺るがせて、その姿を消した。

 まるで慌てて帰っていったようなその様子に、セオドールは茫然と悪魔の消えたあたりを眺めていた。

「……何なのだ、いったい……」





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