11.鏡裏



 昼下がりの学院。

 廊下では次の授業に向かう生徒や、休憩場所を探す生徒などが往来している。

 本来、その流れのひとつにしかすぎないのだが、クラレンスを従えて歩くセオドールの姿は決して周囲に紛れることがなく、異質と認識せざるを得ない。彼らの姿を見て、歩みを止めてしまった生徒たちも数人いる。

「……セオドール様、いったいどういった風の吹き回しですか?」

 セオドールの後を追いながら、クラレンスが呆れ顔で呟く。

「どうかしたか?」

 振り返りもせずにセオドールは聞き返す。

「こっちの方向は食堂ですよ」

「知っている」

 あっさりと答え、歩き続けるセオドール。

「在学中、一回も食堂に行ったことなんてなかったのに、どうしたんですか?」

 訝しげにクラレンスは尋ねる。

 セオドールは『口に合いそうにない』という理由で、在学中に学院の食堂を利用したことがないのだ。

「変か?」

「ええ、もちろん。……何かお考えがあるんですか?」

 最後の方は声を潜めて呟く。

「…………」

 セオドールは振り返り、楽しそうに口唇の端を軽く吊り上げてクラレンスを見ると、何も言わないまま、再び前に向き直って歩き続ける。

「……あーあ……またセオドール様の奇行が始まったよ……」

 控えめなため息とともにクラレンスはぼそっと呟く。

「……『また』? 聞き捨てならんな。まるで私がいつも奇妙な行動をしているような言い方ではないか」

 声に不機嫌さを滲ませ、憮然とした表情でセオドールは言う。

「……自覚がないんですか?」

 驚いたように声を漏らし、しばし呆然と立ち尽くすクラレンス。

 セオドールも歩みを止め、クラレンスのその姿を見るが、以前妹にも同じようなことを言われたことを思い出す。もしかしたら、本当に自分の行動が変なのだろうかと疑問を抱くが、心当たりはない。……この心当たりの無さが問題なのだろうか。

「いえ、いいんです。せめて俺だけはあなたのお側にお仕えします」

 気持ちを切り替えるように軽く頭を数回振ると、決意を込めた口調でクラレンスは宣言した。

「…………行くぞ」

 セオドールはぷいとクラレンスから顔をそらし、そう一言言い捨てて、先ほどよりも歩調を早めて歩き出した。










「素朴な味だな」

 料理を一口食べ、セオドールは呟いた。

「でも、ここの料理はけっこうおいしいでしょう。俺は宮廷料理より、こういったほうが好きですよ」

「まあ、食べられないことはない」

 素っ気無く言って、セオドールは再び料理を口に運ぶ。

 昼過ぎの食堂の人数はそれほどでもないが、この場にまず現れるようなことのない人物が食事をしているという姿に視線が集中する。

「……久し振りのプレッシャーだ……」

 ぼそりとクラレンスが呟く。

 セオドールの在学中はこのようなこと慣れっこだったが、最近は自分ひとりのため、注目を集めることなどないのだ。

 注目されている当の本人は、そのような視線など全く意に介することなく、礼儀作法にのっとり料理を平らげていく。

「そういえばクラレンス」

 ふと食事の手を休め、セオドールはクラレンスに呼びかける。

「はい?」

「お前は我が国の建国者の名を知っているか?」

「ロサ・リカルディー様でしょう?」

 何かの謎かけだろうかと首をかしげながらクラレンスは答える。

「では、その夫の名は?」

「えーと…………」

 クラレンスは記憶を探るが、どうしても名前が出てこない。

「……申し訳ありません。勉強不足です」

 うなだれながらクラレンスは言った。この後の叱責を覚悟して、視線を下に落とす。

「そうか」

 しかしクラレンスの意に反して、セオドールはそう呟いただけだった。

「……?」

 思わずクラレンスはセオドールの顔色を伺うように、そっと顔をあげてセオドールを見るが、セオドールは自らの考えに沈み込んでいるようだった。

 セオドールは自国で見た秘蔵の書庫の記録、そしてロサ・リカルディーの日記を思い出していた。

 ロサ・リカルディーの功績について、またその娘にして2代目の女王となるカリーナ王女の記録はあったが、ロサ・リカルディーの夫については功績の記録どころか名前すらなかったのだ。

 旅日記など、もともとの目的が『夫探し』であるにもかかわらず、何故か冒険紀行にしかなっていなかった。夫の姿など、影も形も無い。

 この間から何かが引っかかっていた。

「セオドール様?」

 心配そうなクラレンスの声でセオドールは我に返った。

「……ああ、何でもない」

 軽く息を吐き出して、セオドールは再び料理に手をつける。

「…………」

 クラレンスは訝しげにセオドールを見たが、何も言うことなく自分も料理を口に運ぶ。

 しばし2人の間に沈黙が流れる。

 ややあって、2人が食事を平らげる頃には、クラレンスはいつも通りの様子に戻ってセオドールの皿を覗き込む。

「全部食べたんですね。ご立派です、セオドール様」

「……嫌味に聞こえるのは、気のせいか?」

 セオドールはため息をひとつ漏らし、そう言って立ち上る。

「セオドール様、このお盆は自分でさげなきゃいけないんですよ。俺も両手が塞がるんで、ご自分で持って下さいね」

 クラレンスも立ち上がり、食器を乗せたお盆を持つ。

 素直にセオドールはそれにならい、2人は指定の場所に食器を乗せたお盆を置く。

「ごちそうさまでしたー」

 クラレンスはそう言って食堂を出ようとするが、セオドールはそこで立ち止まって厨房にいる中年の女性に声をかける。

「すまないが、手を洗わせてはもらえないだろうか?」

 セオドールの申し出に、その中年の女性ははいはいと頷いた。

「そこの部屋にどうぞ。その中からも出られるようになっていますから」

 愛想よく返ってきた言葉にセオドールは一言礼を言って、指し示された部屋に入る。少し驚いた様子でクラレンスがそれに続く。

「……こんなところ、入るの初めてですよ」

 その部屋は樽がひとつあるだけの殺風景な部屋だったが、壁には何故か場違いのように大きな鏡がかかっている。

「この樽には水を浄化する魔法がかかっているようだな」

 樽の中を満たす水に触れながら、セオドールは呟く。

「クラレンス、これから何が起こっても騒がずにいろ。わかったな」

 鏡の前に歩いていくと、セオドールは鏡越しにクラレンスに命令する。

「……はい」

 また何か企んでいるよ、という不信感を顔に表しながらもクラレンスは素直に頷く。

「…………」

 鏡に指先を触れるか触れないか程度に近づけ、セオドールは失われた古代の言葉を口にのぼらせる。

 すると鏡は呼びかけに答えるように燐光を放ちはじめた。

「……!」

 クラレンスは大きく目を見開いて鏡を凝視するが、セオドールに言われた通りに騒ぎ立てることなく、一言も発しなかった。

 セオドールが鏡に近づけていた指をすっと押し込むと、その鏡はまるで不透明の水で出来ているかのように指先を飲み込む。

 思惑通りだというようにセオドールは口唇の端に笑みを浮かべると、今度は指先だけではなく全身をくぐらせた。鏡は抵抗することなく侵入者を迎え入れる。

 そしてその場にはクラレンスだけが取り残された。

「…………」

 クラレンスはしばし呆然と主を飲み込んだ鏡を見ていたが、ややあって意を決したように自らもその鏡に身を投じた。





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