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「理事長、面会の申し込みがきていますが」 この言葉に、書類にペンを走らせていた人物はその手を休めた。 「誰がだ?」 緩慢な動作で顔を上げ、面倒だというように軽く吐息を漏らして問う。 彼は、魔術学院の理事長である。 「ええと……この学院の卒業生のようですね。セオドール・ユースティア・トゥエル・プレファレンス……」 「却下」 きっぱりとそう言って相手の言葉を遮ると、理事長は何事もなかったかのように書類に目を落とし、再び手を動かし始める。 「ちょっ……理事長! プレファレンス王国の第二王子ですよ! あの、世界でも一、二を争う大国の!」 「それがどうした」 「どうした……って、国際問題なんかになったらどうするんですか!」 「そんなの知らん」 書類に記入し続けながら答え、理事長は顔を上げようとはしない。 「……お願いですから、会うだけ会って下さいよ!」 「嫌だ」 「そんな、駄々っ子みたいなこと言わないで下さい! 何がそんなに嫌なんですか!」 「……何が嫌か、だと?」 理事長はゆっくりと顔を上げる。 「決まっているだろう! プレファレンスといえば、あの女の国だぞ! あの女の子孫なんざ、どんな問題を持ち込むか知れたものじゃない! 俺は、絶対に嫌だっ!!」 机を叩きつけながら理事長は宣言した。その拍子に机の上のインクが倒れ、流れ出た黒い液体が作成中の書類に染みを作っていく。 「あ゛……書類が……」 あわててインクをよけるものの、すでに遅かった。書類はすでに闇色に染まってしまっていて、それを取り除くことは出来そうにもない。 「……そうだ、これもプレファレンスの連中のせいだ! 奴らはいつも俺に災いを運んでくるんだ! だから、絶対に、絶対に会うものかっ!!」 「……また、駄目か」 ここ数日で何度漏らしたかわからないため息にその履歴をひとつ加え、セオドールは呟いた。 再三に渡る魔術学院の理事長への面会申し込みも、すべて断られた。最初の理由は多忙のため、次は病気療養、そして身内の不幸など、だんだん内容が怪しいものとなってきている。 ここまでくれば、会いたくないのだと馬鹿でもわかるだろう。何故かはわからないが、セオドールを避けている。 とうとう面会の了承を得られないままに、魔術学院の存在する国であるルーンキングダムに到着してしまった。 ルーンキングダムとは、永世中立国を宣言している国である。ここには攻め入らないことが各国の不文律ともなっており、プレファレンス王子の立場を利用して面会を強要することも好ましくはない。 とりあえずセオドールは魔術学院に留学していた時、使っていた屋敷を利用することにして、長期戦に持ち込むことにしたのだ。 これからどうするかを考えていると、騒がしい足音が近づいてきた。 「セオドール様、いったいどうしたんですか!? またこちらにやってくるなんて……」 そしてその足音が止まるとともに驚きを多分に含んだ声が響いた。 セオドールは声の主を振り返り、 「帰ったのか、クラレンス」 とだけ言った。 「ええ、ただ今帰りました……って、それどころじゃありませんよ! 何があったんですか!? わざわざこちらまでやってくるなんて!」 息を切らせながらクラレンスは叫ぶ。 彼はセオドールが魔術学院に入学する折、お目付役兼学友として一緒に入学したプレファレンス王国の貴族の子息である。しかし、セオドールが飛び級で卒業してしまったために、今は一人で学院に残っているのだ。 「しばらくここにいることになりそうだ。また、質素な暮らしをしなくてはならないとはな……」 セオドールはクラレンスの問いには答えず、そう言って肩を竦めた。 「質素って……この屋敷、俺の実家より立派なんですけど……」 茫然とクラレンスは呟く。 この屋敷は、セオドールが学院に入学した時に建てたものである。魔術学院には寮があり、遠方からやってきた者はたいていそこで生活するのだが、王子として贅沢な暮らしに慣れきっていたセオドールにはそこでの生活は不可能だった。学院の下見に来た時に寮を一目見て、『学院付近に屋敷を一軒建てろ』と命じたのだ。 現在はまだ学院に通っているクラレンスのために、この屋敷も使用人ごと残しておいてある。ただ、使用人の数はセオドールの居住時よりも格段に減っているのだが。 「そうなのか? それは知らなかった。何だったらこの屋敷、お前にくれてやってもいいぞ?」 軽く首を傾げて、セオドールは言う。 「……いりませんよ。そんなことより、ここにやってきた理由をお聞かせ願いましょう。……あ、まさか、本国で何かまた問題を起こしたとか……」 「……また、とは何だ。また、とは……。そのようなことはしていない。ただの個人的用件だ。魔術学院の理事長に面会したくてな」 それともうひとつ、裏研究室のこととな、と心の中で付け加えておく。 「理事長に面会? はあ……」 幾分気の抜けた返事を返し、クラレンスは納得したのか、それ以上は追求しなかった。もしくは、これ以上追求しても無駄だと悟ったのかもしれない。 セオドールはクラレンスにかなり心安く口を聞くことを許しているが、それでもある一定の線以上は決して自分の手の内を見せようとはしないのだ。クラレンスもそのことは承知していて、セオドールに睨まれる寸前でかわすことを覚えている。 「とりあえず、明日は魔術学院に出向くつもりだ。お前もそのつもりでいろ」 当然といったようにセオドールはそれだけ言うと、クラレンスを残したまま、その部屋を出ていった。 「……お前もそのつもりでいろって……俺、明日、講義あるんですけどね……。相変わらず、わがままなんだから……」 一人取り残された部屋で、ぽつりとクラレンスは呟く。だが、そう言いつつもすでにその声はセオドールの言葉を甘受する響きを帯びていた。 その部屋の床には奇妙な模様が刻まれていた。 セオドールが魔術の実験用の部屋として使用していた部屋である。奇妙な模様は、魔術を失敗したときに被害を抑えるための特殊な防御壁を封じてあるのだ。 久しぶりにセオドールはこの部屋に一人でやって来ていた。少なくとも、そのつもりだった。 「……本当に、貴様はどこにでもわき出るのだな」 ため息をもらしながら、セオドールはそう呟いた。 「わき出る、とは心外だな。ここはお前が私を初めて呼び出した場所だろう?」 「呼び出したわけではない。貴様が勝手に現れ出ただけだ」 「……そういうことにしておこうか」 悪魔は薄く笑い、セオドールの銀糸を一筋すくって口付ける。 「ところで、このようなところにいるとは、お前の王家の剣を手に入れることはあきらめたか?」 からかうように悪魔は言う。 「……戯れ言を」 それに対し、セオドールは一言そう言って、冷笑を浮かべた。 「いつでも手に入るものは、後回しにしただけのことだ。それくらいのこと、理解できないはずがないだろう……?」 残酷な響きを帯びたセオドールの声。 王家に伝わる剣は王位と共に継承される。この言葉が意味するものは、セオドールより上位の王位継承権者の否定である。それは実の兄、そして場合によっては父親の存在の否定となる。 「ほう。お前の目的とやらのためか?」 先日、セオドールが内心を吐露したときのことを伺わせるように悪魔は言う。 「…………貴様には関係ない」 セオドールは自らの髪を弄んでいる悪魔を振り払い、睨み付ける。自分の弱さを露呈してしまったあのときのことは思い出したくはない。 「おや、何を不機嫌になっている?」 わかってはいるが、あえて意地悪く問いかける悪魔。 「…………」 セオドールはますます不機嫌に悪魔を睨み付ける。 「さて、そろそろ本題に入ろうか。お前は、魔術学院の理事長に会いにやって来たのだろう? はっきり言おう、無駄だな」 悪魔は不意に話をそらす。 セオドールの表情も不機嫌そのものから、怪訝な顔に変わった。 「……何故だ?」 「理由は簡単。お前が、彼女の子孫だからだ」 「……ロサ・リカルディーのことか? それがどうしたというのだ?」 軽く眉をひそめるセオドール。 「魔術学院の理事長とロサ・リカルディーの間に、ある因縁があるためだ。この二人に面識があることは知っているのだろう?」 「面識があることは知っているが、その因縁とは何だ?」 「それは例によって……」 「契約か。それはお断りだ」 セオドールはため息をもらす。 「残念だな」 薄く笑う悪魔。 「……ふん、本当に役に立たんな……」 髪をかき上げながら、侮蔑をこめた視線を悪魔に向ける。 「そうそう簡単に言うわけにはいかないからな」 悪魔はセオドールの視線など気にもとめず、軽く肩を竦める。 「……お前の望む情報を手に入れるか否かは、すべてお前次第だ。お前が望めば手に入ること、忘れないことだな」 悪魔はセオドールに近づいてその顎に手をかけ、耳元でそう囁くと、すっと身を離した。 そっと宙に舞うセオドールの銀色の髪。それが引き金となったかのように悪魔の姿が薄れる。やがて髪が落ち着く頃には、悪魔もその姿を完全に消していた。 「…………戯れ言を」 セオドールは悪魔の消えたあたりに視線を固定したまま、嘆息とともに言葉を吐き出した。 彼の目に映っているのは空虚な空間か、それとも遠い昔に魔界と深く関わりながら決して契約をすることがなかったという祖先か――。 「私は、契約などしない」 |