2001/03/01[木]〜03/03[土]
さよなら白鳥号
2001/05/21作成
※大阪中央局まで
2001/06/17追加
※新潟駅前局まで
2001/07/21追加
※完結
2001年3月2日のダイヤ改正とともに、昼行特急としては最長距離を走る白鳥号が姿を消します。
となると、その日に乗りたくなるのは当然の動機です。しかしながら、2月2日の予約開始からしてほとんどの区間が満席となっていました。その日から2週間ほど、毎日JR-Cyberstationにアクセスし続けたところ、ある日新潟→青森間の指定を確保できました。しかし、それ以南はどうしても通しで確保することができませんでした(青森発はその日の朝にたどり着くのが困難だったのでムリ)。
そこで、まさに西村京太郎ばりの方法を使って、始発の大阪から乗って終点の青森で降りることにしました。
3月1日[木]は、朝会社に出て夜そのまま出発するつもりで家を出ました。
なぜかこの日は非常に忙しく、しかも20:00を過ぎてからアクシデントが発生し、会社を出たのが21:30。大急ぎで東京駅へ向かいます。
東京駅八重洲口に到着したのは21:55。バス乗り場にある売店でパンと飲み物を買ってドリーム京都1号に乗り込みます。
実は、最初は夕方の新幹線で大阪入りしておこうかと考えていたのですが、気が変わって夜行バス利用に変更したのですが、出発前に食事がとれなかったとはいえ、この判断は正解でした。
バスは2台運行で、乗った1号車はJRバス関東のダブルデッカーでした。
途中、東名高速の足柄SAと名神高速の多賀SAで休憩となります。
すでに3月2日(金)になっています。
結局、定時より早く京都駅烏丸口へ到着しました。
2号車はJR西日本バスの担当でした。
こちらもダブルデッカーです。
ドリーム京都1号は2台運行でしたが、その後ろにハイデッカーの車両が1両ついてきています。こちらはドリーム奈良1号でJRバス関東の担当便です。
京都駅まではドリーム京都1号と全く同じ時刻で運行し、この先奈良へ向かいます。
京都駅烏丸口には京都中央局があり、折しも玉緒さん時計が6時の時報を告げていました。
このあと、JR京都駅から電車に乗り、時間つぶしと寝不足解消のため神戸へと向かうことにしますが、この時間にして座席は埋まっていて、座れたのはようやく高槻でした。
電車が神戸に着いたところで降りました。
数日前にエコーはがきが発売になったのを把握していたので、神戸中央局まで足を運びました。
ゆうゆう窓口は2Fにあり、エコーはがきも在庫していました。
ここから神戸高速から阪神に乗って梅田へ向かいました。
梅田で降りて大阪中央局へ向かおうとしましたが、地下街を通ったところ大阪中央局のところで出られずかなり西まで来てしまいました。
そこで、昨日あとから行くつもりだった、梅田貨物駅西側にある新梅田シティへ先に向かうことにしました。
携帯で会社へ電話をしながら向かったのですが、いろいろと指示をしながら歩いていたら、電話が終わらないうちにたどり着いてしまいました。
地上を見ると、近代的なオフィスビルの新梅田シティですが、地下に降りるといきなりレトロな街が広がります。
ちょうど横浜ラーメン博物館に似た雰囲気ですが、こちらは無料で入れます。
街並みに似合うミゼットも置かれています。
そして、その街並みの奥には....。
新梅田シティ内局があります。
おそらく大阪市内では唯一の丸ポストも設置されています。
カウンターもレトロです。
このあと、再び地上の現実に戻り、梅田貨物駅をくぐる500m近い地下道をくぐって東側へ出ます。
ここで全日空ビルを探します。
すぐに見つかったのですが、ビルの中にあるはずの郵便局が見あたりません。
よくよく地図を見直してみると、さらに北のほうに別館があり、郵便局はそちらにあることがわかりました。
表から入ると、突き当たりに大阪全日空ビル内局の入口があります。
裏側には、局の入口もあり、直接入ることも可能でした。
10時が近づいたため、あわてて大阪駅へ戻ります。
大阪駅前にそびえ立つ大阪中央局で風景印を押印して駅へ戻ると、すでに10時を廻っていました。
大阪駅11番ホームには、最後の白鳥号がいました。
最後尾車を見たら、ヘッドマークがさよなら白鳥になっていました。
11番ホームの電光掲示も、最後の白鳥号を惜しむメッセージが流れています。
そして、10時12分に最後の青森行白鳥号は大阪駅をあとにしました。
自由席は満席で、デッキに立つしかありませんでした。
そして京都へ到着しました。
ここで、降ります。
白鳥号が発車して数分後、同じホームに臨時の雷鳥号が到着しました。
こちらは、白鳥号の救済臨ということで、グリーン車以外全車自由席で、これまたボンネット型先頭車が入っていました。
さて、折角乗った白鳥号を降りて八条口に出ます。
そのまま、京都駅八条口局へ向かいます。
ここには風景印はなく、記念に普通の日付印を押してもらいます。
このあと、再び駅に戻り、11時10分発ののぞみ10号で東京へ向かいます。
列車の中からも、気になる仕事場へ何度か電話を入れることになります。
さて、今回の「トリック」で一番気になったのは、東京駅での乗り継ぎが12分しかなかったことです。
幸い、東京駅には定時の13時28分に到着しました。
で、これまで東京駅を利用していて一度も通ったことのなかった東海道<>東北・上越新幹線の連絡改札を通ります。
が、なぜか自動改札で引っかかってしまいました。
20番線には、MAXあさひ319号が控えています。あさひ号のくせに、通過駅はわずか2つだけですが、それでも新潟到着は15時50分で、青森行白鳥号よりも早く着けるのです。
幸い、新潟にも定時に到着しました。
幸い、新潟駅にも定時に到着しました。
これならば、郵便局に1局寄れそうです。
新潟駅前局は、新潟駅万代口を出て左手に行ったところにありますが、駅前というにはちと遠いと感じます。
ここにも風景印はなく、記念に普通の日付印を押してもらいます。
ここで16時を廻り、貯金有効時間は終了となりました。
この日は列車に乗る時間の方が長くなり、局めぐの方は3府県に跨ったもののわずか4局でした。
1951 2001/03/01 531-0076 40290 新梅田シティ内(しんうめだしてぃない)
1952 2001/03/01 530-0012 40182 大阪全日空ビル内(おおさかぜんにっくうびるない)
1953 2001/03/01 601-8002 44289 京都駅八条口(きょうとえきはちじょうぐち)
1954 2001/03/01 950-0901 12343 新潟駅前(にいがたえきまえ)
このあと、新潟駅に戻り、白鳥号を待ち受けます。
そして、白鳥号は定時から3分遅れで新潟駅に到着しました。
白鳥号は、新潟駅で方向を転換します。
1番線には、乗る人、降りる人、そして見送る人でいっぱいでした。
そして、さよなら白鳥号は新潟駅1番線を発車しました。発車も、定時から3分遅れの16:32でした。
ホームには一般の人ばかりでなく、多くの駅員の方も垂れ幕を持って見送っていました。
次の日からは、1番線を発車する特急はなくなります。
新潟を過ぎて、車内も落ち着いてきました。自由席も立ち客は見受けられませんでした。
区間は忘れましたが、一時単線運転を行なっていた区間を通過中です。
車内では、車販が営業中ですが、乗車率も高く繁盛したことでしょう。
私も、弁当は買えたのですが、地ビールは買い損ねました。
秋田駅に停車中です。
あつみ温泉では4分遅れていましたが、秋田には定時到着でした。
ところで私が乗車したのは、「増」3号車でした。隣の「増」4号車とともに、金沢運転所からの応援でした。
いよいよ、青森到着直前の車内です。
車内放送では、最後の白鳥号であることを告げたあと、「最後の白鳥号からの接続列車のご案内です....」という放送をしたのが印象に残りました。
さよなら白鳥号青森駅到着は、定時から2分遅れの23:01でした。車内アナウンスの接続列車にもきちんと乗り継ぎできました。
先頭の1号車付近は、到着と同時にたくさんの人が群がり、とても近づくことができない状態でした。
跨線橋に上がっても、この有様です。
あきらめて、後部へ行くことにしました。
隣には、はまなす号がまさに発車寸前でした。もしや間に合わないのでは?!というのは、幸いにも杞憂に終わりました。
さらに進むと、「さよなら特急白鳥号」の垂れ幕が掲げられました。
おそらく、早朝の最後の大阪行発車の際に掲げられたものを、最後の青森到着でも掲げたものでしょう。
新潟から最後尾の9号車付近は、反対の1号車付近とは違って、まだ人は集まっていませんでした。
そこへ、「さよなら特急白鳥号」の垂れ幕が移動してきました。
これはやはり絵になるでしょう。9号車付近に徐々に人が集まってきました。
これを見届けてから、青森駅を後にしてホテルへチェックインしました。
が、まだ寝る前にやることがあるので、ホテルからタクシーに乗って深夜の青森中央局へ向かいます。
通常の窓口営業は当然終わっており、ゆうゆう窓口にてはがきの差し出しをしたのですが、窓口担当者は鉄道趣味を持つ方で、かつて津軽号にもよく乗ったことがあると話していました。
翌日は、スーパーはつかり12号に乗りました。
盛岡に定時到着です。
そのまま真っ直ぐ帰るのも癪なので、盛岡名物の冷麺を食しました。
盛岡からはやまびこ16号に乗車、盛岡ですぐに乗り継がなかったのが功を奏し、自由席にも楽に座れました。
これで、日本最長の昼行特急列車、白鳥号はその幕を下ろしました。