白岩の氏神社 (瀬戸市白岩町) 瀬戸MENU

@舟形高57cm 三面六臂 立像 持物(宝珠・弓・三鈷杵・独鈷杵)
A舟形高48cm 一面ニ臂 立像 持物(なし)
B舟形高45cm 一面四臂 立像 持物(宝珠)
C舟形高40cm 一面ニ臂 立像 持物(なし)
D舟形高48cm 一面ニ臂 立像 持物(なし)

   
馬頭観音D      馬頭観音C       馬頭観音B      馬頭観音A  馬頭観音@

   氏神の参道に
品野から国道363号を岐阜県土岐市に向かって東に進むと白岩町に入ります。上品野か白岩に入ってすぐの「片瀬」というJRバスのバス停があります。かつては飯田街道がここから尾根伝いの道になったらしく,急坂を登るたいへんな難所だったそうです。馬頭観音にふさわしいシチュエーションですが,国道沿いには見当たりません。

さらに進むと,白岩の集落を見下ろすところに「白岩」のバス停があり,待合の小屋が立っています。定光寺方面から下ってきた東海自然歩道がここで国道にぶつかり,岩屋堂の方へと下って行きます。その,国道へ降りる階段のほんの数m東に,氏神の神社に上る階段があります。参道の途中には五体の石仏が並んでいました。

   5体並んだ馬頭観音
姿は上記のように様々ですが,5体の石仏全部が馬頭観音の立像です。片膝を立てた坐像が多い馬頭観音ですが,中品野から東では一部を除いてほとんどが立像ですね。光背の銘によると@が安政3(1856)年,Aが明治35(1902)年,Bが明治39(1906)年の建立です。@がもっとも古いのですが,意外なほど摩滅がありません。祠に納められていた期間が長いのでしょう。それに対して明治の2体は銘を読むのに苦労しました。材質の違いがあるかも知れません。

幕末から明治にかけて交通量が増加するのに伴って,尾根伝いの飯田街道を廃止し,新たに中馬街道を整備した時と,自動車の時代に対応して国道が整備されたときに,道沿いにあった馬頭観音が次第に1ヶ所に集められたものと思われます。

  役小角像も
ところで,参道に面して東向きに並んだ馬頭観音にそっぽを向き,斜面の下の国道や集落の方を向いて,古墳の横穴型石室を小さくしたような石室があります。中には高下駄をはいて髭を伸ばした老人が,脛を剥き出しにして座っています。これは役小角(えんのおづの)です。奈良時代の山岳呪術者で,大和の葛城山で修行し吉野の金峰山(きんぷせん)を開きました。役行者(えんのぎょうじゃ)とも呼ばれます。金峰山といえば,新居を開いた水野又太郎良春が修行をしたところ。もちろん直接の関わりはないのでしょうが,なにか因縁を感じます。しかしこの像,ちょっと不気味な雰囲気でした。

  
【左】役小角(役行者)坐像        【右】5体並んだ馬頭観音