相談を受けるにあたっては、まず子どもの年齢や性別を知らなければいけない。 生活の背景として、幼稚園や保育園への就園の状況、核家族か三世代同居家族か、兄弟はいるかいないかなどの家族構成も知る必要がある。 それに生活しているところは日本列島のどのあたりなのか、また都市部なのか農村部なのか居住地の状況もある程度知りたい。 しかし、身辺のことを細かく聞かれるのは調書を取られているようであまり気持ちのいいものではないだろうし、またそのために本音がいいにくくなってしまってもまずいので、最初に尋ねる項目は最小限にとどめる。 つまり、相談者の名前、子どもの年齢と性別、出生順位、就園の有無、家族構成、居住県のみを最初に聞くことにしている。
相談に応ずるうえで必要なことを聞くという主旨から言えば、相談者の名前は尋ねなくてもよいわけだが、やはり人と人とが語り合うには、名前があったほうが都合がよい。 顔が見えない電話という手段では、名前はいわば顔のようなものである。 「○○さん」と呼びかけたり、その名前を念頭に人物像をイメージしながら話したほうが話がしやすい。 というわけで、最初に「お差し支えなければ、お母さんのお名前を‥‥」と聞く。 すると、「えっ、名前、言わなきゃいけないんですか」と、困惑の声。 あるいは「あのー、匿名でお願いしたいんですが」という声が返ってきたりする。
決して名前を公にすることはないということ、また、そのほうが話がしやすいからであって無理にとは言わないことなどを説明すると安心して名前を告げる人もいるが、断固「匿名」を貫く相談者もいる。 相談者の半数近くが「覆面」という、まるで「くの一軍団」と向き合っているような日もある。
では、せめて居住県だけでも教えてもらおう‥‥と、「お住まいは何県ですか?」と尋ねると、それも言いたくないという覆面の上に鎧甲を重ねたような用心深い相談者もいる。
相談の内容によっては名を名乗りたくないということもあるかもしれない。 しかし、名を名乗る相談者の相談と名を名乗らない相談者の相談と、その相談内容を比較してみても特に相違は見られない。 覆面相談のそのほとんどが、その年齢の子どもならよくありそうなごく一般的な「問題」である。 同じ「問題」でも覆面相談のほうがより深刻だという傾向もみられない。
最近は個人データの漏出などという事件もあるので、用心深くなっているのかもしれないが、個人データとなるほどのことを尋ねていないことは誰にも容易にわかることである。
では、どうして覆面にするのだろうか。 この「わたし」が、こんな問題を抱えていること、こんなことを悩んでいることを、誰にも知られたくない。 近所の母親達にも通園している園の先生にも知られたくない。 電話相談に応ずる相談員にも知られたくないのである。 「弱いところ」や「胸の傷み」をもっている、そういう「わたし」を知られたくないのである。 もしもそういう「わたし」を全部さらけ出してしまったら、因幡の白うさぎのようにヒリヒリと傷みを感じて「顔と名前を見せて生活しているもうひとりのわたし」まで壊れてしまいそう。 そんな不安感が彼女たちを「覆面」にさせるということなのだろう。
もちろん、偽りの名前を告げてもこちらにはわからないし、疑うこともない。 しかし、そうせずに匿名を主張するところに彼女たちのきまじめさや誠実も見える。 覆面のまま何度も電話してくる母親がいた。 彼女の相談は毎回同じ、「子どもが幼稚園から帰宅した後に一緒に遊ぶ友達がいない」という訴えであった。 話の中身はこうだ。 念願かなって子どもは有名私立幼稚園に入園できた。 夫は社会的に尊敬される職業にあり、子どもも楽しく通園している。 幼稚園に入って子どもにも自分にも「いい友達」ができるつもりでいた。 ところが、そのような幼稚園なので、遠方からのマイカー通園が多く、子どもが互いに遊びに行ったり来たりするのも簡単ではない。 それでも互いに誘い合って車で行き来する人たちもおり、長い休みには別荘へのお誘いもあるらしい。 が、自分のところにはお誘いがかからない。 近所には子どもがいない。 スイミングにも行ってみたが近くに友達がみつからない。 と、子どもの降園後の遊び友達がいないというのが相談の本題だが、その状況のもとでモヤモヤ、イライラの問題を抱えているのは、子どもではなく母親のほうらしい。
外で働く父親の中には仕事の場を戦場に例える人がいるが、この母親にとっては子育ての場は戦場なのだ。 子育て戦士は戦場で隙や弱みを見せてはならない。 「声をかけてもらえない」のを辛く思っていることなどみじんも見せず、外ではにこやかにあいさつする幸せいっぱいな「いい母」を構えていなければいけない。 本当の気持ちはどうあれ、「私もご一緒したい」などとは絶対に言えないのだ。 その分、ストレスは大きくなる。 電話の相談の声は最初からイライラ気味である。
何回目かにかかってきたとき、母親がやっと居住地を言った。 彼女にはその地名で○○○さんと命名した。 月に1回くらいのペースでかかってきていたその○○○さんから、いつのまにか電話がかからなくなった。 おつきあいできる友達ができたのかもしれない。 「その後どうしてるかしら」とふっと思うとき、その地名の名前でその母親の姿が頭に浮かんでくる。
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