農村パラダイス『第六章』

小泉辰男69才、家族は妻と、既に結婚して二児をもうけているひとり娘。一郎より一つ年上である。一郎がここに移住する際の全ての情報は、小泉がもたらしたものである。

 昭和十八年四月、国民学校四年生になったばかりで、県庁を退職した父親に伴われて、一足早い疎開の形で、隣りの福岡からやってきた。一郎とは父親どうしが友人であった。終戦の年、一郎が初めてここを訪れたのも、父親どうしが会う為だったが、そこでの西瓜との出会いこそが、一郎生涯の夢を見させるきっかけとなった。因みに、そのとき一郎親子が話を間いた貞さんは、小泉の父親の農業指南役だったのである。

 その後、東京に出た小泉は、農業大学畜産科を卒業して、父親と同じく県庁に定年まで勤め、埼玉県上福岡市で、老夫婦二人だけの、悠悠自適の生活を送っていたところを、一郎にたってと請われ、政府の施策にも沿って、行動をともにしたわけであるが、畜産試験場勤務中に、農学博士号を取ったほどの努力人である。

 三角二郎は65才、埼玉屈指の梨農場を持ち、素晴らしい経営をやっていたが、その経営を二人の息子に護り、一郎らと共に熊本にやって来た機械好きの資産家である。

 一郎自身は、戦後、父母と共に、埼玉県東松山市の飛行場跡に入植、ずっと西瓜作りをやっていたが、その肥料を補うための養鶏が、意に反して忙しくなり、たまりかねて、それを息子の伸太郎達に譲り、妻を伴って、小泉や三角を頼りに、ここで念願の糖化西瓜の研究生産を始めたのであった。

 こうして今年で五年目、五反百姓といっても昔とば比ぶべくもない。バインダーや田植機どころかユンボまである。そのうえ機械が得意な三角がいるのだから鬼に金棒である。三人の妻達は、平日の午前中だけ共同の加工所に出向いて、乳製品やワイン、ハム・ソーセージなどの宅送出しをやれば、あとは自由である。加工そのものは、専門の資格をもった公認の加工士が必要に応じて、まわってきてくれるのである。

 現在のところ、三人の経営規積は、田畑がそれぞれ五反、ジャージー牛二頭、肉豚十五頭、鶏千羽、施設は選果場、作業所、加工所など、これらは全て三軒共同である。そして、ばとんどの作業は、一昨年、九大の修士課程を終えた、福田、両野両夫妻が担当してくれていて、全体としてば、五軒で構成する、農事組合法人となっている。家は、小泉と三角は新築したが、一郎は、くずれそうな廃屋にそのまま住んでいる。

「政府も役人も、二000年には、若い人何人で年寄り何人を養うんだから、 どうのこうのと抜かし居ったが、所詮は老人のストックが若い人のフローをうみださせるいうことが分かったじやろう」と小泉は胸を張る。