『保存食品だった卵』

   

サルモネラ問題に端を発してこの秋から卵にも賞味期限をいれることが法制化された。尤もそれ以前に、もうかなり前から卵はスーパーなどで日配品として扱われている。年配者なら覚えておいでだろうが昔は当然のように卵は乾物屋で売っていた。なぜ当然かといえばもともと卵は保存食品だったからである。

 卵を農家から買い集めるのは地卵問屋と呼ばれる産地問屋で五月、六月頃の農繁期に集めた卵を八月の旧盆過ぎまでとっておいて消費地に送り込んだ。普段売れないものを売れる時季までとっておいて売りさばく、それが問屋というものである。

昔は秋になると産卵量は激減し決まって卵は高くなる。だから地卵問屋は夏のあいだ買い集めた卵の上に寝ている状態だった。農繁期に農家から集めた卵は泥と糞で汚れて染みだらけだ。それをうすい希塩酸で洗って乾物屋にもって行く。乾物屋は目見当で卵を大きさ順に枠の中に置き、売れ残ったものは一段小さい粒の枠に移せば、それから先に売れるというあんばいである。卵はちゃんとした状態なら腐ることはないのだが、ちょっとしたことで直ぐひびが入り、そうなると腐敗菌が侵入して腐って黒くなる。だから店の親父さんは毎朝電灯ですかして見てこの黒玉を除いていたのである。

 卵は自然界にあっても文字通り種の元であるから、そう簡単に腐ったりしたら困る。そうかといって殻が堅すぎてはヒナが自分で破ることが出来ない。したがって衝撃には弱く、細菌や腐敗には強くつくられているのである。その証拠に鶏は一回の交尾で二十個程度の卵が受精する。雌鳥はこれを順次排卵して一方月位かかって一腹分の卵を産み揃え二十一日聞これを暖めてヒナを孵す。その後さらに黄身の部分はヒナの腹腔に入って離乳食になるのである。だからもともと孵化させるための受精卵は冷蔵庫で冷やしたら死んでしまうが、人間が食べるためならそうして発育を止めてしまわないと食べられなくなってしまう。卵がいろいろ誤解されるのは、このように種としての扱いと食べるためのそれが違い過ぎるのもその一因であるようだ。

 話を元に戻そう。種としての卵は受精してから孵化するまでの一、二カ月間で腐ってしまっては困るから当然腐りにくくできている。それが卵の表面を覆っているクチクラであり白身に含まれているリゾチームである。そしてその白身も卵殻も健康な鶏の輸卵管のなかで分泌され形成される。要するに鶏も人間も輸卵管の中は通常無菌状態なのだ。それなのに先日「女性セブン」に卵が危ないと書いた大学の先生は、SEは輸卵管の中で繁殖するなどど言っている。そんな敗血症起こした様な鶏が卵を産める訳がないし、人間だってとても生きてはいられまい。大学の先生も時々こんな無茶をいうらしい。ともあれ鶏の卵は発育をさせたら通常食用にならなくなる。従って食卵は受精させないのである。

巷間よくいわれる有精卵というのは商品としての意味しかない。これを受精卵の俗語として通用させると本来の無精卵の位置付けなど卵の分類が混乱してしまう。受精卵と無精卵は発育させなければ分からないし、あくまで種卵に対する呼び方であって食べる卵には関係ないことである。卵は自然の摂理として腐りにくくできていると云ったが、一旦腐ったら例の悪臭の代表である「卵の腐った臭い」になり、衝撃を与えると音をたてて爆発し硫化ガスの臭いがたちこめる。こんなにならないまでも光を透過させると前述のように中が真っ黒にみえる。

一方正常な卵のほうは中の水分が抜けてどんどん軽くなり鈍端にある気室がおおきくなって、最後には乾燥してしまう。ほんとうにうまい卵はこうなってからがうまいという話もあった。賞味期限は卵の場合あくまで厚生省がうちだしたサルモネラ対策としての規制らしいから法制化されれば守るよりないが、これまで長い間どこにでもいる腐敗菌が卵のなかに入るかどうかで他の細菌に対する安全性のよりどころにして来たこと、それ自体は概ね妥当な線だったと考える。健康な卵は本来そういうものだからである。

 数年前ある商業雑誌に昔の卵にくらべて今の卵がまずいのは、店にならんでいる卵が新しすぎるからだと書いてあったので苦笑したことがある。たしかに、昔はあたらしい卵のほうがまずかった。しかし今はまったく違う。いま日本で流通しているほとんどの卵は戦後のアメリカ型だ。一番の違いは餌の配合で、トーモロコシと大豆柏で八十パーセントというしろものだ。こういう餌だと卵は二週間くらいで青臭くなってくる。先日もある学者がこれは飼料中の魚粉や魚油が変化したトリメチルアミンが原因だといっていたがろくに入れてもいない魚粉が変化する訳も無い。一般的な卵の臭みはこれではない。戦後日本の卵は魚臭いと、アメリカに帰ったGI達が云ったとかで、それが神話としてすっかり定着してしまったが当時の日本の卵は魚アラしか鶏にやるものがなく、卵の外側にそれが付いて臭ったのだ。

他方そのころ手に入った豆板という大豆の圧搾粕を与えた卵は青臭くて食えなかった。昔のことでうろ覚えだがリポキシゲナーゼが変化してヘキサナールができたといわれた。味噌は青臭いからダシの煮干しをいれるんだよといわれたものだ。

 それかあらぬか昔は配合中に魚粉を十五パーセントも入れた。今はそれが十パーセントもいれると鶏がジゼロシン中毒を起こすそうである。これは明らかに配合が片寄っているからだと思う。牛のほうでも面白いはなしを聞いた。粗飼料をきちんと与えると病原性大腸菌が減るというのである。鶏だってそうだ、雑食性の鶏は大きな虫様突起を二つももって居る。鳥類だから腸が短い。そのかわり大きな盲腸をもっている。鶏は盲腸糞という特別な糞をする。その糞の性状が当然餌によって変化するのだ。サルモネラはその盲腸付近に一番繁殖する。

牛の粗飼料の話はサルモネラ対策に参考になりそうだ。昔の鶏のえさは2500キロカロリーといえばとまりで当然繊維質も多かったが今のアメリカ型配合は3000キロカロリーもあり効率が悪くなるからと繊維も邪魔物扱いで、サルモネラの猖獗と関係があるかもしれない。

 そのサルモネラだが昭和二十年代は日本では中毒を起こす種類は今はやっているSEが大半を占めるとされ犬猫鼠の汚染率は30パーセント程度で、最近のアメリカでの報告と大差無い。そんななかで卵ははじめに書いた様な扱われ方で、さりとてこれといった事故もなく確かに今にくらべ情報は少ないものの、縁台将棋の戯れ言にも

「かくなり果つるは身の当然、
  だんだん良くなる法華の太鼓、弱ったときには卵と牛乳」

と謳われていたのが生卵は病人に食わすなでは、まさに天地がひっくりかえったような話。もともとサルモネラにたいする関心は日本のほうが高く(SEはむしろ日本に多くヨーロッパにはダブリンなどが多いと教えられていた)卵かけ御飯やすきやきのつけ卵が食文化としてあるからには、その生産現場としたらずっと注意は怠らなかったつもりが、生卵文化の全く無い、まずい卵の張本人のアメリカ情報にひっかきまわされるのはやりきれない話でもある。

そんな愚痴はさて置いて、途中でも触れたが、とことん卵を寝かせてうま味を引き出すことを心掛けて来た私たちとしては賞味期限表示は表示として、うまい卵作りを放棄するわけにはいかない。本当の作り方をするとうみたて卵は旨くない。毎日その日に産んだ卵を発送するからせめて数日は冷蔵庫でねかせていただきたいと思っている。


平成 十一年七月七日 記



昔翁ありき・鹿鳴館
農林大臣賞受賞

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