鹿友会誌(抄)
「第二十七冊」
 
△科学者としての片影   佐々木彦一郎
 昨年の六月のことであった。
 大崎の關様のお宅にお伺ひした時、關様は私に言はれた。
 『何故、鹿角の川は南北に流るるものが西側を、東西に流るるものが北側を流れるであらうか。
 自分はこの現象に対してかう説明する。それは、太陽の輻射熱の差異からである。西山の東斜面は 常に朝の光線をうける。朝の光線の強度は、午後の光線に比してかなり大である。従って 岩石に対する破壊力も大である。川は常に浸食し易い方を選んで流れるから、西山の側を 流れるのである。また南側の山の北斜面はいつも日陰であるのに反し、北側の南斜面は 常に日陽だ。従って太陽熱をうけることが大であるから、川は北側の山の岸を噛むのである。』
 これは、地球物理学上の大なる創見である。泰西の学者で、南北の川の西偏する理由として、 地球が西から東に廻転するからだと言った人があるが、之では東西の川の説明ができない。
 
 私は關様からこの話を承った時、何だか異様な心に打たれた。長い間、御病臥せらるる間、關様の 頭の中を往来してゐたのは、物理学上の諸問題についてゞあった。
 昨年の九月二十一日の御手紙でも、『寝てゐて頭を使はない様に、手紙を代筆させて居りますが、 構想は後から後からとわいて出ます。』と言はれてゐる。

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