鹿友会誌(抄)
「第二十七冊」
 
△關さんの「思ひ出」
 そのことについて、思ひ出すのは、關さんが郷里の青年運動に対して、心づくしをして をられたことである。
 ことに、わたくし共のやってゐる愛友団については、いつも、懇篤な激励の辞を下さった ものでした。
 郷里へ帰ったら、その数頁は、かならず引受けて下さるといったり、出来る丈、応援もする といって下さつたのだが、このことが、事実となるに至らなかったのは、返す返すも残念で たまらない。
 『愛友が筆禍にかかったら、大審院まで上告するさ、その経費は自分が持つ』といっては、 心弱い青年の意気を、挫けないに、又純真な闘士を愛する赤心から、わたくし共を力づけて 下さった關さんに対して、スクスクと伸びてくる、このごろの力づよさを、お目にかけたなら、 どんなによろこんで下すったであらうか。
 雑誌が出る度に、隅から隅まで、親切によんで下さる關さんのないことを、常に淋しく 思はれてたまらない。
 
 寥れ行く鹿友会の挽回策についても、いろいろ教を乞ひたいことばかりである。
 集団と個人とが、モット「がっしり」結びつかねばならない、そして集団の組織が、 秩序正しく運行できるやうになり、集団の行動にたいしては、個人主義的、利己主義的な もろもろの感情を打ちさって、「連帯性」と「共同心」とを基調にして行かなければならない のでは、あるまいか、と痛感される、この頃は、ことにさう思ふ。
 わたくしは、鹿友会の沈滞を考へる時に、往時の乱れ勝な会の仕事を、鋭い眼と、切れる腕とで 整理して下さった關さんを、たまらなく慕はしくなってくる。
 かうした多くの、切なる思ひ出の種子をまいたまゝ、黄泉の客となられた故人を思ふとき、如何に 故人のすきだった理論的な立場に立っても、如何にその得意であられた科学的態度をまねて考へても、 若くして、心にかゝるべき人たちを残したまま、又と帰らぬ人となられたことを思ふと、お気の毒で お気の毒でたまらない。
 鹿友会のため、東京市のため、なさねばならぬ多くの企画を、そのまゝにして旅立たれた、故人を! 追悼する心は、如何にしてもこれを禁ずることが出来ない。

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