鹿友会誌(抄)
「第二十七冊」
 
△關さんの「思ひ出」
 実際、今迄の地理学者たちといへども、各地方の人情、風俗の変ってゐることについての、 根本的な研究は、深くなされてゐないと思ふが、關さんは、そのことに大分ふれて をられたやうである。
 やゝ進んだ学者たちは、風俗、気象の相違は、自然的環境と社会的環境の影響をうける ことが極めて多い、といふことを比較的漫然といってゐる(具体的には、整理してゐても、 それがその土地の生活要素の態様によって、きまるのだといふことを無視してゐる)が、 關さんの研究は(無意識的な要素が多いにしても)そのことに、大きい眼目を認めてゐた といふむことを、私はいたく感動したのであった。
 つまり、關さんの活眼は、期せずして「唯物史観の立場から」の観察になってゐたから である。
 その一例として、東北の多額納税者中の第一流は、秋田県によって大部を占められ、 その秋田県の中でも、南部の一帯は、その大半を占めてゐることについて、何故かういふ風な ことが現はれたであらうか?との研究が話されたり、土佐沿岸及び瀬戸内海の漁業と、 水との関係から見た、あそこの生活条件の話などが出たが、その数次を巧みに引用しながら、 実証的な論理を進められることにたいして、内心舌をまかざるを得なかったのである。
 
 水の話から、魚釣りの話が出た、わたくしは又元来、下手の横好きである。長内の堤で鮒や ガバヂを釣り出したのが動機で、北海道の渓川でヤマベを釣ること二年、それに前年松井(ママ) 勝太郎さんをお訪ねした時(松井さんは、石田のをぢさんの先生であり、をぢさんが北海道へ 旅行されたときに、是非おあひしたい、といふので、わたしが先発して旭川の同氏を訪問し、 そこで該博なるフィッシングの講義を承はったので)うけた理論を、わたくしの経験と あはしてやりだしたのがもとで、二時間半もやってしまったには、あとで恐縮したが、關さんは、 「それは面白いことだ」といひながら、ニコニコして質問を発せられながら、注意深く合槌を うって下さったことであった。
 こんなわけで、二三時間といった予定が五時間にもなってしまって、薄暮やうやく、帰路に ついたのである。
 
 その後も二度程お目にかゝったが、思ふやうな健康状態でないので、いつも梶Xと帰ったのである。
 二度目の時には、私の親友が、師範を出たまゝ上京して苦学してゐる話を申上げたら、 『それでは、佐々木君へ紹介して上げやう』といはれて、時の教育主事、佐々木吉三郎氏へ紹介状を かいて下さったことを覚えてゐる。当時佐々木主事も亦病気静養中で、その紹介状は使はれなかった さうだが、しかし、真面目に勉強してゐる若いもののことを、案じて下さったことを、非常に嬉しく 思ってゐる。

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