鹿友会誌(抄)
「第二十七冊」
 
△關さんの「思ひ出」   奈良正路
 若葉の緑が萌えそめて、郊外のあちらにも、こちらにも、美しい初春の気が漂ふてゐる、 昨年の四月に、始めて大崎の御宅をお訪ねしたことであった。
 鹿友会の幹事長を止されて、専心病気の静養をしてをられるところへ、彦一郎君に 案内されて、紹介までして貰ったのであった。
 家の前には、赤い躑躅と、白い躑躅とが咲き乱れてゐた。工場の煙は、ユラユラと 附近の天に冲してゐた、静かな日を、床にあって、無聊を感じてをられたらしい關さんは、 しばしの間に、床をあげて、どてらのまゝ、わたくし達にあって下さった。
 心もち面やつれのした位であったが、至って元気で、チットも病人らしいところのない、 鋭さがうかゞはれてあった。
 したがって「これ位のことなら、すくなほるさ」といふ感じは、わたくし許でない、 誰へでも与へる感じであったと思ふ。
 最初、彦一郎君から、關さんの頭脳明晰なことゝ、科学的な論理的な話を非常に喜ばれるといふ、 予備知識を得てゐたので、關さんとの初対面から、さういふ態度で行かうと思って 心にきめてゐた。
 それと今一つは、その前の会談で、「マルサスは人口論」で激論をしたが、物分れに なってゐるから、その話もきめつけたいと、といふ下相談もあったかと思ふ。
 
 兎に角、お逢ひして見ると、いろいろ、くだけた話をして下さるので、自然、議論なんかする 気分は退散してしまって、系統的に演繹されてくる、さまざまな話、その実地踏査に 基いたことから組みたてられる、論理の科学的な展開を、ことの他面白く味はされてしまった。
 わたくしの驚いたことは、關さんといふ人は、自分の生活にふれたものを、常に科学的 に研究してゐる人だといふ点である。
 したがって、郡役所のお役人時代には、鹿角のいろいろな情勢について、出来うる丈十分に、 科学的な研究を積んでをられるし、秋田の県庁勤務時代は、県内のいろいろな統計的研究が 行はれてゐたのである。それから、内務省に入られてからは、方々へ出張されてゐるので、 その度に、行くさきざきの産業状態、それに伴って変化してゐる上層建築、すなわち、生活状態の 観察には、可成面白いものが、豊かであったと思ってゐる。

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