鹿友会誌(抄)
「第十五冊」
 
△記念会出席の記   ▲▲▲
 前の晩は雨であった、仕舞った、こいつは五十人の予定が三十人もむつかしいわいと 大心配で、起き出でゝ見ると、雨は上ったけれども、今にも泣き出しそうな空模様だ、 新聞を見ると「北の風、雨」とある、尤間一日を置いて入梅に這入らうと云ふのだから 、晴天を望むのは此方が無理かも知れないと諦めて、八時少し廻った頃、子供をつれて 出掛る、須田町で乗り換る頃、少し青空が見え出したので、ヤット安心した、
 
 案内状には東照宮石段上と丁寧に書いて置いたけれども、初めての方で若し間違ふ人 はないか知らん、此辺に大きな「手」でも書いて張り出そうかなどゝ考へながら、鳥井 をくゞって見晴亭に着くと、既に障子が開け放されて細長い会場が出来上って居る、川 村十二郎、高橋文夫、内田四郎、月居忠悌、高橋周治、小泉政吉、佐々木仁の諸君が既に詰 めかけて、盛に活動して居られる、此等の若者連の外に一人「フロクコート」に禿頭の 紳士が控へて居らるゝ故、どなたかと見れば毛馬内の小笠原賛成員であった、同氏は御 子さんの病気治療の為に少し前から上京されて居られたのであるが、記念会の催しを 聞いて、用事もあったけれども夫は午後に廻して、早速駆付けせれたとの事、大に嬉し かった、湯瀬幹事長も間もなく見えた、室外の装飾は天気具合が悪い為めに見合すこと ゝなったが、夫れでも仕事がなかなか多い、庭先の縁台を座敷に持上げて余興の舞台を 作るやら、「テーブル」や椅子、屏風などを近所の精養軒や社務所から借りて来るやら 、川村十二郎君を此の方面の指揮官と仰いで、佐々木君や小田島君の若手連が大働きだ 、やがて会場の設備も出来、会員は全て縁側から上って戴くことにして、東照宮の石階 に面した木戸口に大国旗を交叉し「鹿友会創立満弐拾五周年記念祝賀会」と大書して立 看板は蓋し内田四郎君の健腕である、会計と受附は高橋周治君と同文夫君が承って、縁 側の一閑張の机を持出して、サー来ひ来れと、手順漏れなく整ふた所で、丁度十二時、
 
 役員打揃て昼飯を食ふ隙もなく、モーボツボツ来会者が見える、劈頭第一に来られた は黒紋付に仙台平の立派な老紳士、「松橋宗之」と云ふ名刺を出されて、旧藩主の御名代 とのこと、不取敢正座に請ずる、太田家令も是非出席される積りであったが、生憎病気 の為め不参する、鹿友会の諸君に宜敷、と云ふ丁寧な御言伝があった、
 次で小田島時之助君、沼舘甚藏君の尾去澤の諸君を先頭に続々木戸口をくゞられる、 「エー御傘はこっちにお預り致します」「御名前は」「サーづっとお通りを願ひます」 など、受附の両高橋君を初め、川村、月居、内田君等の接待係りはなかなか多忙そうだ 、其の中に湯瀬様の奥様を先頭に、村山榮太郎氏の夫人や令嬢を初め四五名の婦人も見 えて、大に会場に色彩を添へられる、来賓の中村木公先生、遠来の青山元老などがやが て見えたので、愈々一時半頃開会の運となった、
 
 先づ湯瀬幹事長が立って開会の辞を述べ、西洋の例などを引いて大に弐拾五周年の 祝す可きを詳説し、終りに大阪の石田氏から記念として奨学金一千円の寄附を申出られ た件を報告された、次に青山中佐が鹿友会の生長、殊に追々家族的会合となるの傾向あ るを喜ばれ、後々の発展を希望して座に復されると、中村木公氏がやをら身を起して演 壇に顕れ、氏と本会との因縁並に其の鹿角観を披瀝されたが、之れは其の大体を高橋文夫 君が筆記されて居ったから、何れ会誌に顕れるであらう、
 
 夫れから小田島幹事が進み出でゝ、各地から到達した祝電十数通を読上げ、「私も諸 君の御信用を以て当年まで五年間幹事を勤めて居ります」と云ふ前置きで、最近の会況 を報告されたが、之が少し長かったので、余興の時間がなくなるとやきもきする人もあ った、次に川村十二郎君が立って、過去弐拾五年間に於ける物故会員に対して追悼の詞 を述べ、就中本会の慈父とも称す可き折戸龜太郎氏の遺族に向て、感謝状と記念品を贈 るの儀を発議された、最後に月居君が巨躯を起し例の朗々たる音声を以て、五の宮嶽の 懐に抱かれ、米代川の乳を飲で生長したる鹿友会は、儀表宜く彼の山の如くなる可く、 襟懐又彼の川の如くならざるべからず、と論じて閉会の辞としたは、例によって大当り であった、
 
 式は之で閉づることゝし、直ぐ記念撮影に取り掛ったのだが、丁度折悉しくポツリポ ツリ降り出して来たので、技師の方や石田理学士が大童になり、声を涸して五十余人の 大人数を然る可き位置に纏め、咄嗟の間に「レンズ」に収められたは御手柄であった、
 写真が済んで皆々席に復されるを待って、袋入のお菓子、鮨の折、記念盃等を配布し 、時間がないと云ふので、続け打つに余興に取り掛ることとなった、俄に起る三味線、 太鼓の音と共に、今まで密閉された右端の一室の襖が撤せられると、中は紅白だんだら の幕になって居て、其の前に現れ出て一揖した変手古な伯父さんは、之なん柳家あやめ と号する演芸家で、少さな函からいろんなものを取出したり、火を喰って見せたり、得 意の西洋手品数番に何れも、アット云はせて引下ると、次は京山京之助と云ふ浪花節の 太夫が顕れ出て、羽織袴の厳めしい服装で、赤穂義士伝の中、千崎彌五郎伝の一節を唸 り終ると、又柳家連が出て今度は舞台の上で茶番を初めた、此間にお銚子が所々に配置 されて、川村氏が一人頻りにお酌を勧められたが、余興に身が入ッて、酒盃の献酬はあ まり盛にならずに終ッたのは遺憾であッた、
 
 下戸党並にお婦人連の為めに甘酒の接待もあって、之れが却ッてよく売れるので、甘 酒掛りの佐々木仁君一人、眼が廻る程いそがしがッて居たはお愛郷であッた、茶番が済 むと引続て柳家独得の百面相が初まり、之れは遠目では能く見えぬ芸なので、寄席体裁 に席を詰めて貰ッた、松橋老体など真先に乗り出して、頻りに悦に入ッて居られた、百 面相が済む頃、電灯が灯されて、嬉々たる笑声室内に満つ、歓楽の空気は益々濃くなッ たが、生憎雨が又降り出して来たので、子供をつれた方や、御婦人の方はそろそろ席 を立たれる、京山京之助が光圀卿の湊川建碑の條りや、も一ッおまけに仙台の鬼夫婦と 云ふ勇ましい武芸者の話をやッて居る中に、流石ギッシリ詰まッた聴衆も、やゝまばら になッた、
 
 一方には会計が十呂盤をはぢき出して仕払を初める、一方には後れ馳に駆付けた佐藤 賢治君や、明日試験だと云ふので、一遍中座をした小田島幹事などが、方々から御銚子 を集めて来て、大に気焔を揚げて居る、余興台の方には川村君が今朝態々より道して、 借りて来た蓄音機を囲んで、立山幹事や小田島(次)君の音楽好の連中が頻りに悦に入 ッて居る、やがて後始末が残りなく終て、一同引上げたのが彼れ是れ九時、雨は未だ盛 に降ッて居た。

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