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鹿友会誌(抄) 「第十五冊」 |
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△亡友伝 ○佐藤良太郎君 学生時代は久しく本会の幹事として全郡遊学生の牛耳を採り、業成り て帰国の後は幾多の公共の事業に尽瘁して、郷里の父老をして多大の希望を前途に嘱せ しめし同君は、本年早春俄に病を得、百方治療に手を尽せしも遂に起たず、空しく大里 先輩のあとを追て、本年四月廿二日、女森の寓居に逝かる、悲哉。 ○豊口力太郎君 君は本会賛成員豊口辨司氏の三男にして、明治廿二年十月毛馬内町 に生まれ、小学校卒業後、三十九年八月上京、成城学校に入学し、成績優等なりしが、 四十年十月より病魔の犯し所となり、薬石其の功なく、本年二月十八日父母の膝下に永 眠さる、可惜。 ○米澤政修君 本年六月郷里錦木村に於て不帰の客とならる、本会より君の履歴を問 合せたる所、息壽君より左の通りの返翰に接せり、以て君の為人を見る可し 御問合の愚父履歴逸事等は何等特記す可き事無之候得共、小学生時代は卒業迄優等に て終り、卒業後上京、今の中央大学に入学、一二席を争ふたりとのこと、兼て話に承り たること有之候、然るに遺憾にも家事の都合により中途退学、間もなく秋田県立農学校 に入学せんとて秋田市に行く途中、ローマチスに罹り長らく秋田病院に入院治療し、 全癒の上帰村したるも再発の恐れありとて、遂に遊学の念を絶つ、其後当村役場書記を 勤めたるも一昨年より病気にて辞職、専ら蚕業及農事に従事しつゝありし次第に御座候 尚愚父は、同村駒ケ峯政泰の弟にして、父を政則と呼び、私の祖父直之助の養子とな りし者に御座候 |