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鹿友会誌(抄) 「第十五冊」 |
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△回想記 大湯 文学士 諏訪富多 明治二十九年に上京して一寸鹿友会をのぞいてから、今大正元年に至るまで十七年に もなるから、僕もやっぱり古くなったかも知れない。十年を一昔といふから、今一息で 二昔になる。未だ若い気で居るが、回想記を書く資格は充分にありさうだ。 二十九年当時には、余は重に今は神戸に居られる田村定四郎君と、故人になった中津 山延徳君との御世話になった。両君は御承知の通り、何れも五尺八寸位の調進で、二人 揃うて本郷通を練り歩るく様は、幾分見物であった、湯島天神の梅月は、あの当時菓子 を喰はせる処で、学生連は盛んに出かけた。僕も両君の御馳走で行った事を記憶して居 る。田舎出の僕は、実に甘い菓子もあるもんだと思ふて居た。何んでも娘のよいのも居 たといふ事であった。 三十年には秋田の中学を退学して上京して、郁文館中学入った。此時は本郷の壱岐殿 坂の加藤といふ下宿屋に居った。此宿屋は鹿友会と縁故極めて深い所で、抑も故大里医 学士の始めて基を(?)開いてより、僕の行った当時は、今の大里法学士、故佐藤良太 郎君、今小坂に居る石井末太郎君、神戸の田村定四郎君などの人々、其他二三の鹿角人 は常に止宿して、随分面白い事もあった、従て訪問して来る鹿友会も多く、頗る賑かな もので、初めて東京生活に入った僕にとっては、事々珍しいものであった。よく娘の事 をいふ様だが、此の宿にもおしか(?)さんといふ美人の娘があって、鹿友会員の話題 に上ること夥しいものであった。これは後の話であるが、三十六七年頃、森川町の光来 館に起った現象とは、それでも余程意味の違ふ様に思はれた。 当時僕は毛馬内の豊口一藏君と同室で、ナショナル読本の二を教はって居た。僕の先 生は今の田村中尉で、豊口君の先生は石井君であった。あの当時の石井先生は、人のよ い丈怒る人で、豊口君の忘れた時などは頭分お目玉を頂戴した。大里法学士や、佐藤良 太郎君などにはあまり親近でなかった、此の二先輩は当時、僕の室に立寄る事は少なか ったからだ。或は娘さんの隣室であったので、遠慮せられたのであったかも知れない。 云ふ事を忘れたが、毛馬内高橋七郎氏の奥さんも、僕等と同じ処に居られたので、自 然遠慮する気味もあったかも知れない。当時は間代壱円(六畳で)食料四円五拾銭余程 、上等であったと記憶して居る。 三十年七月には、僕は病気となって駿河台高田病院に入院し、少しく快癒、後一事退 学して故山に帰った。 三十一年二月に再び上京して、又郁文館中学の御厄介になった。これから僕の光来館 生活は始まった。 小石川の赤煉瓦といふては知らない人もあらうが、小石川戸崎町の赤煉瓦の貸屋に、 大里法学士を筆頭として鹿友会員の梁山泊生活は出来て居た。それを他所に僕は弟の綱 俊と供に光来館に立籠った。多少ボールもやったけれども、主として此時は僕の詩的生 活で、一年間は殆んど歌の新体詩とに没頭して居た、朝早く起きると歌を考へ、学校よ り帰れば直ぐに窓に依りて何か詩的のものを書いて居た。実際日の暮るゝを忘れる位熱 心であった。 当時を追想すれば、今でも優しい勧請に打たれる。夜は光来館の物干場に上って天体 の星や月を眺めるのを唯一の楽として居った。此の年は先輩及友人等に対する記臆も余 りない様だ。殊に冬休の江の島・鎌倉の旅行は、僕に一層の詩的情操を与へて呉れた様に 記憶して居る。 三十二年には、僕の母も病気の為め大学病院に入院し、僕等も秋に至り一時赤煉瓦の 梁山泊生活に入った。 それからは詩的生活も変ったが、猶詩歌は止なかった。当時赤煉瓦には、大里法学士 、御令弟周藏君、佐藤良太郎先輩、故石川禎治君、今玉内に居る田村又藏君、毛馬内の 豊口一藏君と僕等二人であったと思ふて居る。 田村中尉と樋口郵便局長とは、間もなく梁山泊を出られて帰郷せられた。小坂の小笠 原準治君は大阪の工業学校に行かれた後と記臆して居る。間もなく今の郡役所に居る關 達三君も来り、 何れ三十二三年の頃は、僕等の最も運動に熱心な時代であった。故佐藤先輩などは、 早稲田で竿飛の一等賞を得た。僕も後年金沢の第四高等学校で竿飛の一等賞を得たのは 、此時の素養が深かかった為で、当時ボールを初め、種々の運動に熱心な事は思ひやら れる。 その当時の内田法学士は、時々遊びに来られて運動に加はったが、随分奇抜なもので あった。同君の英語の相手は佐藤先輩で、囲碁も内田法学士と佐藤先輩とは白黒の争よ りは舌戦の方は余程烈しかった。 此時天神講といふものは始まって居た。之は例の赤煉瓦の関係者丈で、月の二十五日 に天神さんを祭り、おいしい梅月のお菓子を頂戴して、ビールの一杯も呑むのは、紙上 の楽しみであった、お別当さんは廻り番であったが、此の天神講の基を開いた大里周藏 君は、一番うまかった、今も花輪で天神講連中は、毎月お祭をして居るが、僕の未だ出 席し得ないのは実に遺憾に存じて居る。(未完) |