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鹿友会誌を紐とく 第十四冊(明治45.3) |
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△巻頭 記念事業として何をなすべきか。 東北より一、二の大臣を出しても勢力とは言いがたい、多数集団の結合力が必要、吾 等秋田県人として、東北人として一大勢力たらんと欲すれば、人材養成、即ち育英事業 である。 △鹿友会創立二十五周年記念祝賀会 本年五、六月を予定 △「読『鹿友会誌第拾参冊』 法学士 内田千甕(守藏)」 弘前にて第十三冊を受け取り、貪り読んだ。読み耽り、喜び恥じ、果ては笑った。ま たむしろ嘲りたくなった。今度の会誌は、十年来の我輩の理想を実現しているからであ る。 本会誌の初めは幼稚時代であったが、九冊目からは見るべきものになってきた。第拾 冊に於いては激論駁説の末、規則改正があった。この拾冊目は第一期革命時代誌である。 十一冊、十二冊と素晴らしい。第一〜九冊迄は徳川百年と見たら、後者は明治四十年と 称してもいい。以前は中学遊学生が多く、現在は高等学生が上京している。多くの思想 家が入会している。 近年創業先輩の大里・内藤・川村諸先生が離京され、今まで狭義の鹿友会の向上に尽く されたが、今日では広義の会の向上を見つめている。 鹿友会は在京学生のみに偏在しないはずで、郷人の万般社会生活向上を目的とするべ きである。 当時私の主張は、鹿友会本部を鹿角に移す、各地遊学生の諸団体を合同して、鹿友会 支部とする、幹事は元老先輩の中より一人は入れる、資金を募る……、この持論は、ほ ぼ現在は実現している。 △「南部同郷会の印象 法科大学 小田島信一郎」 南部同郷会の新年大会に出席、田中舘博士出席。 盛岡弁まる出しで、演説は家令太田老翁、大笑。 田中舘博士「この様な小団体は絶対必要」 鹿角人の思想感情と、他の南部藩のそれとは、共鳴するところ多々あり。会に出てく る南部人は同じ色彩を帯びている。共通しているのは、無邪気で気取っていないことで ある。 太田老翁から、鹿友会のことについて話があった。こういう人々の注意を惹くほど存 在価値があったことについて、改めて嬉しかった。 △「静座法の話」(小田島、奈良二君と徳富蘆花氏) 岡田式静座法 − 健康増進法、京都人西田卯三郎氏を迎えて普及に努めたのは小田島 庄太郎氏。 小田島氏は苦行者、キリスト教より入り、仏教に傾き、西田天香氏に私淑、徳富蘆花 先生を訪ねた。 蘆花先生に、鹿友会員奈良金太郎君息農夫也君が愛顧をこうむった。 △「アメリカに於ける鹿角の人々 米国加州王府(オークランド) 川村直哉」 いろいろの鹿角の人々を書く。 シアトル力行会 一人は柴平の人 もう一人は岩手の人、大光寺、花輪の下川原に住んだことがある、袋町のオノ助と親 類、大里周藏と同級、ハンフォードの町の境界で汲川賢也、小坂の中野、関村智茂様と は逢えずじまい 佐藤運藏君とは逢った 大里昌治君、いろいろあったが現在はオマハ市で写真館を開業する予定 |