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鹿友会誌(抄) 「第十四冊」 |
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△亡友伝 ○大里文五郎君 花輪町大里医院主医学士大里文五郎君は、旧臘十二月二十五日突然 病を得、浦井、柏田両医師の診療を受け、親戚家人等枕辺に寄り集ひて看病の手を尽し たる甲斐なく、就床僅に四日にして同二十九日午前七時三十分、遂に闔焉として不帰の 客とならるる、氏は実に吾が鹿友会創立以来の元老の一人として、常に本会の消長に就 て心を悩まさる、氏の閲歴並に生前の事業等は別に追悼録に詳なり。 ○小笠原四郎君 小笠原四郎君は小坂の人、夙に県立大館中学校を卒へ、仙台高等工業 学校を卒業するや、直に挺んてゝ同校助教授に挙げられたる秀才なるが、不幸病を発し 郷里小坂に帰りて療養し居たるに、薬石其の効空しく本年二月上旬遂に永眠せられたり 、此の前途多望の青年工学者を亡ひたるは、深く悼惜に堪へざる処、茲に掲げたるは即 ち同君の肖像なり。 ○若林新三郎君 本会の賛成員小笠原秀夫氏の愛婿にして、花輪町在郷軍人団長たりし 、陸軍々医若林新三郎君は予て病気の処、昨年夏遂に長逝せられたり、君は宮城県の人 、温厚篤実にして信望ある良国手なりしと云へり。 ○大江清太郎君 前尾去沢鉱山長大江松太郎氏令息清太郎君は三月十二日、麻布本村町 の自宅に於て病没せられたり、君は幼時花輪小学校に在学せられ後、東京に出でゝ府立 第一中学校を卒へ、岡山第六高等学校を経て東京帝国大学法科に入り、先年優等を以て 卒業の後は、三井物産会社に勤務し、青年事務家として有望の聞えありしに、世を夭く せられしは惜むべし、享年二十八、葬儀は同十七日小石川区水道端町稱名寺に於て営ま れ、本会より小田島幹事、戸川省次郎、川村十二郎、内田四郎の諸氏会葬せられたり、君、府立中 学在学中、数回本会に出席せられし事あり。 右三君は、本会々員に籍を列せざるも、吾が郡に縁故浅からざれば特に本欄に記して 、弔意を表することゝなせり。(編者) |