鹿友会誌(抄) 「第十四冊追悼録」 |
|
△弔詞 秋田県鹿角郡医師会総代 米山彦郎 彼の色を見よ、暗雲凝りて動かず、将に行きならむとするもの、抑も何の色ぞ、又此 の声を聞け、朔風枯木を撃って、梢怨に咽ふもの、抑も何の声ぞ、此は我等が嘆きの声 、彼は我等が愁の色にあらずや。昨日は一堂の内に君と肱を交へて只管司令の道を講ぜ しもの、今日は長福寺墓畔幽冥境を異にして君が霊を祭る、君の東京医科大学の試考を 卒へしは正に二十有余年の昔に属し、当時最高学府を出るもの誠に寥々として暁星の如 く、時人栄達を思ひ朋友後進多く顕要に至る、然も君の性格と学識とを以てして、栄職 を得るも敢て難きにあらざるの時に際し、独り進んで僻陬の郷里に退き、多年の蘊蓄を 傾尽して専ら郷党の為めに済生の仁術を施こし、傍ら公共自治の為めに尽瘁せらる。蓋 し特志の士にあらざれば能はざるなり。加之常に医師会の長として我郡刀圭会の木鐸と なり、医風の向上と医権の拡張とを謀られ、吾人同職者をして安じて其の職に居らしめ ぬ。 然るに何ぞ計らむや人将に新春の楽に耽らんとするの時、君忽焉として去って、白 玉楼中の人と化せんとは。君の死や啻に一家の不幸のみならず実に我医会の為め将又郷 党の為めに惜む所、嗚呼痛しい哉 春花再び開き秋月又盈つるの期あるも、君一度去ってそれ何れの日か復還らむ。惨 風悲雨、徒に吾人の心情を痛ましむるのみ、惆悵の情何ぞ堪へむ、去れど君諸行は誠に 無常なり、今君を吊ふ吾済も誰か明日の命を知らむや。唯死に処する宜しきを得ば丈夫 以て瞑すべし。魂魄若し天かけるものならば、試みに来りて此の場を見よ、君が近親は いふも更なり、知己旧友は遠々打集りて茲に恭しく君が英霊を吊ふ。君が四大は空に帰 すと雖、君が名と功績は深く郷党人士の胸に刻まれて長へなるべし、君が霊以て瞑せよ 。(明治四十五年一月二日) 此の外葬儀の際特に棺前に吊詞を朗読したるは次の如し。 ▲仙北郡医師会長 高橋軍兵 ▲東京学士会 ▲秋田県医師会長 西山員光 ▲花輪町 在郷軍人分会副長歩兵少尉正八位 村木平治 ▲懇話会代表者 佐藤良太郎 ▲鹿角郡 南部私立衛生会長 警部大山三十楼 ▲鹿角郡医師会員総代 浦井財治 ▲鹿角郡会 議長 勲七等高橋榮治 ▲鹿友会総代 内田清太郎 ▲鹿角郡 家畜改良組合長 關達三(代読) ▲花輪町会議長 小田島治右衛門 ▲花輪消防組頭 田中傳吉 ▲花輪仏教教会幹事 安保猪太郎 ▲愛国婦人会長 伯爵夫人阿部篤子(代 読) ▲同秋田県支部長 森らん子(代読) ▲赤十字社秋田支部長 森正隆(代読) ▲第一花輪小学校長 川村才太郎 ▲同児童総代 秋本ヨシ ▲第二花輪小学校長 高谷勝三郎 ▲同児童総代 岩館森三 ▲鹿角郡長 渡邊達夫 ▲花輪町勇士 大越幸 太郎 ▲戸崎順治 ▲大本山総持寺貫首 大圓玄致禅師石川素童 |