鹿友会誌(抄) 「第十四冊追悼録」 |
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△葬儀の日 花輪 安保義孝 一月二日、夜来の雪は止みぬ、灰色の雲間よりは折々日の光をもらす。午前十時、在 郷軍人会よりの銘旗を先頭に、理髪業、旅人宿、門人、懇話会等より寄贈の造花と、順 々に行列が並ぶ、位牌を持った文祐さんの、あどけない姿に柩が続く、門を出ると、音 楽隊の吹奏する「哀の曲」悲し、柩の後には近親、会葬者数千人行列、数町に渉る。 雪が降り出す。 沿道には、見送り見物の老弱男女堵をなし、何れも哀悼の涙を以て迎へる中を行列徐 々と通り行く、新町に入れば、両側に男女小学校の児童が整列して柩を迎送する。 長福寺に入る。 お庭には軍人会に消防連中が、天幕を張って屯して居る。お寺の中には会葬の人々が 溢るゝ許り。 列は規定の通り庭を三回廻って柩が据ゑられる。 読経が始まる……老和尚の引導が終る。 やがて吊詞が読まれた、其の数二十ばかり。 中にも郡医師会を代表した米山彦郎氏と、懇話会を代表した佐藤良太郎氏のは満堂の 人々を泣かしめた。 何れの吊詞にも共通なる点は、功名利達を希はずして公共の為め、郷党の為め、粉骨 砕身、尽力せられた事であった。 やがて埋棺の時は来た。 空林枯木、雪花を咲かせた墓の中に、棺が埋められた。 誰れも一語を発するものはない、唯並居る人々の眼は、一様に盛られたる新しき塚の 上に注がれた。 斯くして、お医者様の姿は、永遠に見る事が出来なくなった、時に明治四十五年一月 二日午後三時二十分。 |