鹿友会誌(抄)
「第十四冊追悼録」
 
△寛かなるその微笑   文学士 諏訪富多
 先輩大里医学士は、悼ましくも逝かれた。与は実に一種異様の感情に打たれて何んと も言ひ様がなかった。去月廿九日電話は大湯の御親戚にかかって初めて訃に接し、驚い て早速にも駆け付け様と思ふたが、当時余は風邪にひどく困って居たので、漸く一月二 日の御葬式に参列した。当日も未だ困って居たけれども、勇を鼓し真に雪ふみ分けて毛 馬内に出た。途中二三度帰りかけたが、叔父と一所なので遂々花輪まで行き、あの盛ん な御葬式に列したのはせめてもの幸であった。がっかりしたせいでもあるまいが、其以 後、余は風邪をひきかへしつゝ、遂今日まで至って居る。今夜も未だ本当ではないが、 強いて筆を取って追想の感を書き、併せて今まで小生の如き筆無精を許された高樹町の 小田島氏に謝したいと思ふ。
 
 雪の中に立つまばらな枯木を、寒そうに暗いあの杉、寂し い寺の裡、墓碑一片の下に空しく偉傑の埋まるかと思ふと、実に感慨無量のものがあっ た。
 大里先輩の鹿友会に対する関係は、誰しも御存じの通り、今更いふまでもあるまい と思ふ。大里先輩の余に写象している面影は、余の年代によって色々変って居る。一々 書いて居る事も出来ないから、他日に譲って今は最近の面影を描いて見よう。
 
 あの剛毅な不撓不屈の精神で、正道を踏みしめ、天下公衆の為に自己を顧みないで、 一意公共事業に対して維れ日も足らざる偉大なる面影は、どうしても吾等を導びく北斗 星であった。鹿角の四方より花輪を望むものは、誰しも大里先輩を心に浮べて、力強い 感じを起したに違ひない。それ丈逝去に対しては深大なる影響を蒙って居ると思ふ。現 に余を乗せた車屋さんでも『花輪の大将も亡くなった』と同情して居た。
 余は花輪に行くと、常に大里先輩の紋を叩いて、種々の指教を仰いだ。帰途下タ町の はづれより、花輪を振りかへる度び、君ある為に花輪の空気は重く光栄に包まれて居 る感じがして居た。今月の二日、あの寂しい寺の蔭に、寒く降り積もる雪の下に、永久 に現の君が眠らねばならないと思ふた時、余は堪へざる感慨に打たれ、消然としてまた 後を振りかへる勇気もなく、全く力を落して帰った。余に取っては又一つの大打撃とな った。
 
 余は自分の研究して居る事から、近来は死に対して左程注意を惹かない。従って哀し いとも余り感じなくなった。が流石に大里先輩の死には驚いた。全く無意識に驚かされ た。悲しいよりも大なる波動に揺らるゝ心地した、一時は茫然たる有様であった。やがて 君に対する或一事の記臆を呼起すと共に、それよりそれと千々の思は繁く胸中を往来し た。所謂万感交々胸に溢るゝ有様で、自分ながら不思議に思ふ程であった。然し大 里先輩と余との関係は、余りくどくどと書くまい。唯君より受けたる、正道を踏んで公 共の為に、不抜の精神を発揮する事丈は、万分一でも真似て見たい。
 
 やっぱり日の過ぐるは疾い。最早一月も経った。今夜は割りに暖かい。書いて居る硯の 水も氷らない。直ぐ傍の池には、水の音は能く聞えて居る。多少精神は冴えて来た。
 あゝ今の瞬間、余の意識は君の面影を認めて居る。君は何処かに在って、例の寛かな 微笑に、余の書いて居る紙片を見て居られる。 (四十五年一月三十一日)

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