鹿友会誌(抄)
「第十四冊追悼録」
 
△在郷軍人と学士   花輪 吉田慶太郎
 四年越し名誉会長としての先生の御尽力は非常なもので、分会が今日兎に角此れ丈け の事業をやって行かれますのも、偏に先生の賜です。櫻山に忠魂碑の石材を引上げる時 でした。雪は降るなり寒さは寒し、お負けに腹が空る、一里半も曳々声でやって来た勇 士達も、坂の中程でもう皆力が抜けてヘトヘトになってしまひました。とかうしてる 中日が暮れる、と云って明日又二百人からの人を集めると云ふ訳にも行かず、幹部連も 困り切ってる折りから、坂の絶頂からエーと云ふ音頭の声、見ると先生です。ブーと来 る吹雪の中に仙台平の袴に五つ紋の姿いかめしく、扇を開いてヱーヱーと音頭です。 此れに元気を得た同勢、『それっ今少しだ、やれっ』と云ふ勢で石は見ん事櫻山へ、ニ ッコリ笑った先生は、『今日は御苦労、先づこれで……』と指されたは、鏡を抜いた二 斗樽、万事こんな工合でした。
 
 毎年会でやる入営兵の予習会へは、時々来られて、衛生上の注意やら、花柳病やトラ ホームの患者には入営するまで、無料で治療して下さいました。先頃飯田旅団長が来ら れた時も、關口聯隊区司令官が『当地方の壮丁の身体其の他の成績のよい事は、全く特志 家のお陰である』と暗に先生を推賞されました。其の他簡閲点呼や、壮丁検査の時は、 如何なる都合があっても繰合せて出席されました。益々発展を要する分会に先生を失っ たのは実に残念です、及ばず乍ら先生の御遺志を継いで、兵事に関する当地の成績を益 々上げ度いと思って居ります。

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