鹿友会誌(抄) 「第十四冊追悼録」 |
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△懐かしい人 房州 小田島五郎 堰向の学士さんの五七日も、もう過ぎたんだ。今日は文祐さんの名前の忌中礼の端書 が届いた。死はザッツオールだ。どんな人でもどんな生涯を経た人でも、ほんの僅かな 日数が過ぎてしまへば、軈て世間から忘れられてしまふ。其の端書を手にした自分は、 そんな事に思ひ耽って、長い事シンミリしてゐた。其のうち哀しい心持を書いて見度い と思って午後の陽が暖く辷りこんだ、西向の縁側に机をもち出して此筆を執った。 学士さんの訃を聞くと等しく、自分は「酒」といふ事を思はずには居られなかった。 こう突然に逝かれた事を聞いた人は、自分でなくたって、誰しもさう思ったのであろう 。何しろ大した酒豪であった。然し自分は他の人達のやうに『酒を飲まなかったら、こ う速くは亡くなられなかったらう……』といふ風に悔み度くはない。自分には「酒」の上 の学士さん程なつかしいものはなかった。学士さんの酒を飲むのは傍らに居る人にも面 白かった。一つ二つと杯が重って来て、ふだんの沈黙から段々と口数が多くなって、奇 抜な警句が口を突いて出て来る様になる様子が、今でもよく思ひ出せる。さうなると酷く 笑はれた。おかしさに堪へないといふ風に肩を揺がしてカラカラ笑はれた。自分は今一 度あの笑声が聞き度かった。 学士さんと自分等とでは、まるで親と子程年が違ってたけれど、夫でもよく自分達を 相手として、若々しい話をして下すった。興が湧いて来れば、夜を徹して飲み且つ談ず るといふ風であった。自分達が今度から故郷に帰って見た処で、誰か、あゝ いふ風に自分達を対手として談じて下さる人があるかしら、五十に近い年頃の人で、あ ゝいふタイプの人は、もう故郷の町には見られないかもしれない。自分達が先輩と云っ た様な人達とお話する時、一番苦痛に感ずるのは其人達が、「若い人達に教へる」とい ふ風の口振りで、体裁のいゝ自分達の表面丈を話される事だ。学士さんには、夫が無か った。清濁併せて、何もかもブチマケて話された。時には自分の過ぎて来た、若い日の 閲歴をさらけ出して話して下るので、聞く方の若い自分達が却って恥かしくなる様な事 もあった。 そんな事を考へると、学士さんは若い僕達にとっては、得難い知己であった。自分に は、学士さんが残された諸種の事業の輪廓さへ碌に分って居ないので、他の人達の様に 、町の為に惜しいといふ感じは極く少くないけれ共、クラシックな多くの郷人の間に、唯 一の若い人達の味方を失ったのが返す返すも悲しいと思ふ。 学士さんの前では何もかくさず云っても、只徒らに嘲罵に葬り去られる様な気がしな なかったので、自分達も随分僭越な事も口にしたけれど、学士さんは屹度、夫を嬉れし 相にして聞いて下すったり、夫に批評の様な言葉を加へられなどした。 谷中の信一郎さんが何時か「故郷の人達の思想は、実業の日本の範囲内に過ぎない」 と面白い事を言はれた事があったが、学士さん丈は、慥に其埒を越えて居られた様に思 へる。何にも縛られない随分放肆な事を言はれる事もあった様だったけれど、夫丈頗る 個性の発揮された、実質のあるものだった様に思ふ。だから自然、学士さんをビックポ イントとした一つの思想上のサークルが町に出来て居た。そして其サークルが必ず若い 人達によって作られたものであったのも、学士さんの性格の反映とも言へる。然し今突 然に其ポイントが消滅してしまって、其サークルが何となく纏りのつかないものになっ てしまひ、単に学士さんの思想の部分的継続者のみが出来やしまいか、などゝも思はれ る。 学士さんのやられた仕事の事などを聞いて見ると、学士さんの旨には始終、政治的野 心と云った様なものが潜んで居たらしい。然し私に言はすると、学士さんは、町の「批 評家」とでも言ひ度い。町に興った諸種の事件に対して、最も正確な批評が学士さんの口 から洩れた様であった。 故郷では酷い吹雪の吹いて居る頃であらう。長福寺の新しい塔婆にふりかゝった雪は 、七日目毎に詣る、堰向の家の人達の手に払はれる丈であらう。夫共学士が生前、度々 祖先の墓地の草むすりする殊勝な姿を垣間見て、学士に、仏教会長の価値ありとした、 寺の和尚さんは特に、其新塚の為に、寺男をして、其朝毎、夜中に積んだ雪をかき分け て、詣ずる人達の便宜のいゝ様にと細い道を作らして居るかもしれない。 幼い頃、オデキが何かで、家の者に伴れられて、学士さんの前の椅子に腰をかけさせ られた時、其黙々とした学士さんの姿を見て、幼心には云ひ知れぬ恐怖の念を抱き、果て は、学士さんの持つ「メッセル」の光りに目が眩む様に覚えた事があった、夫からは、町 でフト学士さんの姿を見ても、深い不安の念に襲はれて、遁げる様にして、何処かへ、か くれなどしたものだが、其恐ろしい学士さんにも、親しく接して見ると案外なやさしい情 緒的な気分を感ぜずには居られなかった。夫も二年前の夏の、ほんの短い月日だったに 、今はもう、こうして学士様の風乎を思ひ浮べて、其印象記を書かねばならないとは、実際思ひも 寄らない事であった。今更乍ら自分は学士さんに対して、感謝の情を禁じ得ない様な気が する。 いくらこうして筆を続けたとて、自分の頭に刻された学士さんの印象がハッキリ書き 表せはしない。夫よりは目を瞑って、あの黒紋付の筒袖羽織に、茶縞の袴をはかれた、 学士さんの平常の姿を頭の中に浮べて、なつかすんだ方はいゝかもしれない。 土蔵の白亜にさす、白い陽の中に枇杷の樹が、斑らな影を投げて、朽葉色したサフラ ンの茎が小風に揺らぎ、波の音が静に聞かれる冬の午後海郷にて記す。 |