鹿友会誌(抄) 「第十四冊追悼録」 |
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△学校医としての大里文五郎君 花輪第一小学校長 川村才太郎 故大里文五郎は、明治三十一年四月を以て当小学校医を嘱托せられたり。抑も学校医 の職たる、毎月当該学校に到り、衛生上の事項を調査し、必要と認めたることは、管理 者及び学校長に申告し、漸次学校衛生の改善を図る機関にして、其責任の軽かせざるも のあり。然して滔々たる世の学校医徒に其員に備はり、有名無実の譏を受くるもの比々 皆然り。君独り責任を重んじ屡々学校に来り換気採光の良否、机腰掛の適否より児童学 習の状態、遊技の方法に至るまで、詳に視察し、其の注意すべく将た改善すべき点あれ ば、則ち意見を申告せらるゝを常とせり。夫の春秋二回の身体検査の如きは、千余人の 児童につき、身長体重胸囲より、眼病の有無、歯牙の良否、脊椎の正否、体格の如何に至る まで精細に調査せざるべからず。多忙なる君の、之が為め一週日を費せるは其の迷惑察 するに余ありき。而して君は各父兄の生活状態及び体格の如何を知悉せるを以て、一度 児童に接すれば、其遺伝体質の良否を判定するを得たり。是れ他人の企及すべからざる所たり 。又父兄懇話会児童学芸会等の挙あれは、必ず出席して児童衛生上に関し諄々として 説示し、且つ父兄の学校に対する態度につき、毎会注意を促して学校に援助を与へられ たりき。 卅七年に至りトラホーム漸く蔓延するや、君憤然として曰く『父兄、トラホー ムの恐るべきを知らず、可憐なる児童を救済するは、夫れ余が天職か』と、爾来繁忙 の身を以て、日々該患者百余人に施療せられ、以て今日に至り、其の治療延人員実に十 数万人の多きに達せり。其の恩恵豈に至大ならずや。全国学校医の数千を以て算ふべし。 而して君の如く仁術を施しゝ者、果して幾人かある。是れ其の筋に於て、金盃を下賜し てその特行を賞せられたる所以ならん。加之君平常学校に同情し、事ある毎に後援せら れ又奨励せられたり、吾人も亦其の知己に感じ、提携して大に企画する所ありしに、今 や突然黄泉の客となられ、暗夜に燈火を失ひたるの感なくんばあらず。君は学校医とし て勿論空前なり、恐らくは絶後ならんか。噫 |