鹿友会誌(抄)
「第十四冊追悼録」
 
△噫、医学士大里文五郎君
 医学士大里文五郎君、旧臘遽に病を得て、明治四十四年十二月二十九日、世は挙って 新しき年迎へむ準備に忙はしく、洋々たる希望と歓喜とに満てりし時、哀しくも君は、 暮れゆく歳と与に吾等を見捨てゝ、遠く黄泉(よみづ)の旅を急がれたり。
 遥に二百里を距てゝこの報に駭かされたりし吾等は、一たびは、これ何等かの訛伝に あらずやと疑ひ、軈てこは夢に非ずやと怪しみけるが、今茲に哀悼の辞を草するに当り ても、幾度か過去を追憶しつゝ、尚ほこれを信ずる能はず。昨日までは、吾等が寤寐に も忘るゝ暇なく、懐かしき故郷に在りて、済世の道に精励(いそし)まれつゝありし君 、今眞にその愛しき妻子たちと、その全生命を君が手に委ねて安んじたりし、可憐なる 数多の病患者等を遺して、無き人の数には入られし乎。噫、哀しい哉。
 
 君が、吾が鹿友会を創立せる元老の一人として、今日に至るまで多年一日の如く、本 会の隆盛に就て、物資的に将た精神的に多大の力を添へられたることは、吾等後進の常 に感謝に堪へざる処にして、本年は恰も創立満二十五年に相当するにより、来五月を期 して盛大なる記念祝賀会を催さむと企てあり、曲げても創立者たる君の上京を請はむと 窃に望みをかけつゝありしに、今は早や幽冥境を異にして、再び相見え参らするを得ず なりぬることの哀しさよ。
 さはれ、君が一個の医師として、将た本会々員としての外、幾多公益の為に献身的に 又義侠的に尽瘁せられたる功績の著大なりしは、君が最後の告別に際して、実に二十有 五の団体より、いと鄭重なる別辞を呈せられたる一事にても明なり。思へば君の生涯は 、誠に奮闘的生涯にして、吾等後進の為に一の活模範を示されたるもの、而して棺を蓋 ふに及んで、斯くの如く世を挙って哀悼せらる。男子の本懐何ものか、将た是れに如か んや。その朝に在ると野に在ると、都会にあると僻陬に在るとは敢て問はずして可なり 。
 
 鹿友会誌第拾四冊を刊行するに当り、故医学士の遺徳を敬慕する郷里の有志より、印 刷費若干を添へて学士の追悼録を加へむことを謀らる。稿成るに及んで、巻首に記して 謹んで哀悼の意を表すと云爾。敬白

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