極楽パパ
こと
ブギーの安売り王
のページその壱

99/09/16ちょっと更新

このページは極楽パパことA妻m良さんの許可を取って作っています。

☆クリック・・・極楽パパの参加しているCD

極楽パパについて

1956年2月29日東京都新宿区生まれ。誕生日が4年に1回しかこない。
つまり西暦2000年に11回目の誕生日が来る(^○^)。
母をクラシックピアノと声楽の先生、姉はクラシックピアノ、兄は5X(ファイブ・エックス)カルメン・マキ&ナイトストーカー等に参加したギタリスト、ジョージ吾妻さんである。音楽一家である。御父上は、えーとたしかーうーん、秋葉原で真空管を・・・。さて、それは置いといて(^○^)おじさんが昔ジャズマンだったそうです。
そんな光良少年。
ピアノの演奏会に兄上とでたとき、連弾をやっていたのだが光良少年は突然譜面がわからなくなり、即興演奏をして、兄はうろたえ、演奏会はまっ白にしらけたらしい。
ギターを初めて手にしたのが小学2年生の時、兄上がやっていたから。本気になって初めて弾いたのが6年生の時で、曲は「禁じられた遊び」だったそうです。
中学1年「レッズ」を結成。レパートリーは、タイガースからオーティス・レディング。その後ホワイトブルース(兄よりクリーム等)を聞き、中学3年の時に初来日したBBキング(1800円)をサンケイホールで見ている。
それから3年後のある晴れた日(後日84年6月18日と言っている)の夕暮れ、光良少年が可愛がっている名犬チャーリーにエサをやろうとしていたところ、彼が何気なくかけていたジョンリー・フッカーのレコードから、名曲Im InTheMoodが流れてきたのでした。中略・・・「ブルースの唄」というものに初めて感動したのでした。中略・足元では、名犬チャーリーがガツガツとエサを食っていたのでした。
その後マディ・ウォーターズ、シカゴブルース、エルモア・ジェイムス等。
大学1年の時、ジョニー・ギター・ワトソン、ゲイトマウス・ブラウン、アルバート・コリンズなどテキサスブルースの人達に傾倒していったようでとくにジャンプ・ブルースの要素をもったゲイトマウスのバンドには強く触発されたらしく、スウィンギン・バッパーズ結成の動機がその辺にあったようである。
ブルーヘブンに参加、就職の為バンドをやめることに。早稲田時代のスウィンギン・バッパーズ、ローラー・コースターに参加。多数のブルース雑誌に文章を掲載され、ブルース・ブラザース、BBキング等多くの人とセッションしている。

通称VIVIDの犬

使用しているギターは

ギブソンES-340

75年兄上が米国より300ドルで買ってきてくれたギブソンES−340で68年製で弦を13・17・24(プレーン)38・48・56にマイクはマックスウェルストリートMアズマ・モデル(長野の電気メーカーに勤めている人にタダで作ってもらった「キナコ屋」ブランド)。ギターに白く何か書いてありますが、これは
ゲイトマウス・ブラウンのサインです。’80年と88年の2回かいてもらっています。

グレコDS-800、茶木P−70、ヤマハAE・・6万円で購入、テスコEPー2T

バーニーRSG-140(ダブルネック)、7万円で購入。
バーニーRFB-70(ノン・リバース・ファイヤーバード・モデル)1万円で購入。
アリア・モズライト・モデル、ギブソン・レスポール・レコーディング

その他多数の楽器を使用。

<話は前後するが、吾妻さんの音楽好きは下の事でわかる。>


84年記事より・・・職業の為、音楽活動を一時は断念したが、最後の思い出にと、一回だけのつもりで演ったバッパーズ・セッションが大成功。その時の楽しさが忘れられずに就職後の現在もやめきれずにいる。

最後に慶応大の新聞より(91年3月)

「人生は長い。しっかり生きろ。(吾妻)」

1999年のメールによると、ここ数年の座右の銘は、

「善人に悪い人なし」

だそうです。悪人と呼ばれる人に良い人もいるのですが・・・善人に悪い人なし・・・うーん・納得。(^○^)

☆ホームページ音楽の部屋へ行きます



極楽パパと私の思い出・・・ZZTOT

あれは、いつの事だろうか。私、ZZTOTが長野県より東京都日野市に帰って音楽を、捨てようとしたが捨て切れず、ライブハウスを多い時で一日3軒はしごしていた頃。町田の「アンバサドール」でジャングル・ブギーというバンドを見ていた時代。メンバーは小出斉、小町、石川二三男、平林義晴と最初の2人ってローラー・コースターのメンバーなのに、最初耳になじんでこなかったのを覚えている。その後ジロ吉のセッションデイに始めて店に入り、その後ブギーボーイ・イクト、シャイ&ムーニー、の演奏を見ることとなる。そしてローラー・コースターを観た時、ジャングル・ブギーの2人の力をめいっぱい引き出す、妹尾さんと吾妻光良にホレボレ。ギターを興奮して弾く吾妻さん。ギターの弦が切れても演奏していたのに急に動きが止まり上を向いてしまった。鼻からタラリ・と赤い物が。そう切れた弦が鼻の穴に入ってしまったのです。それ以来観るたびに、インディアンの格好をしたり、ダブルネックのギターを持ってきたり、楽しい思い出ばかり。ある日ローラーコースターで妹尾さんが「アメリカのブルース・フェスティバル行ってきて。おっ前の兄さ ん一緒にツアー行った人やん」などという会話の後、「じゃ、ラストの曲、何にしようかなー」と言うので私が「アイスクリーム・マン演奏してー」といって演奏してもらいました。・・・・・その後、高円寺の駅でギターを作る学校の同級生(10歳年上)とばったりあってしまって、二人ともジロ吉に居たのにはビックリ、同級生曰く「誰か常連客がいてリクエストしてたよ」ZZTOT「それ俺です。ところで連れてる人は誰ですか?」同級生「ブルース・フェスティバルで知り合ったんだ。」そう、おたがいスゴイ人がいると思っていたら知ってる者同士だったのです。
99/06/30追記
 「ある日晴れた日」だったかどうか・・・忘れてしまったが「じろ吉」にて「ローラーコースター」のライブを観に行った時の事である。
 演奏の休憩時間に極楽パパがカウンターの方にウーロンハイをオーダーしに来た時に私の横を通っていった。極楽パパと話せる事はこの時を逃したら一生来ない。何を聞こうか・・・話そうか・・・(-_-;)・・・アセリまくった私「アッあの-・・・お兄さんは、元気ですか」
・・・???急に兄ジョージ・吾妻の事を聞かれアッケに取られる極楽パパ。???
アッアホな事を聞いてしまった。もっとましな質問を・・・「以前楽器フェアで日本ハモンドの日本代理店の社長していたようですが」
・・・???更に答えに困る極楽パパであったようです。???
・・・墓穴(ぼけつ)を掘る・・と言う言葉があるが私はかなり深く掘ってしまったようだ。(ーー;)