「新月宵」 <アジアの世界について>



「新月宵」は「アジア変幻記」の中心になる話です。 仕上がりに描ききれないところがあったので、 文庫版発行時に、背景の調子を目立たない程度に加筆しています。

さて、「アジア変幻記」は「アジア」風な雰囲気でまとめた本ですが、 「西欧風」と「アジア風」で、 どこか決定的に違ったものを感じることがあります。 (いや、衣服とか人の顔つきとかじゃなくてですよ)  「いったいアジアとヨーロッパって、何が違うのかなぁ・・・?」  と、考えたりしてたのですが、1つヒントになったのは、 別の高校に行ってた友達が面白がって見せてくれた「倫社」の教科書でした。

その中には 「般若心経」 の全訳てのが載ってまして、 それまで「お経」は全部「呪文」だと思ってた私は、  「げげー! お経って対話文の原文(といっても中国語だと思いますが・・・ 聖書の文がラテン語だとかそういう世界かな??)なのかあっ?!」  と驚愕しながら思わず全部読んでしまったのですが、 この中で何がスゴイといって、メインテーマの「色即是空/空即是色」 でして、まぁこの般若心経というのが、 そもそもこの件についての弟子とセンセイの討論会なんですけど、 内容をうろ覚えで説明しますと (1回読んだきりなので、めちゃくちゃアバウトです。 詳しく知りたい人は、永平寺に行ってレクチャーを受けるとか、 瀬戸内寂朝センセイのレクチャーを受けるとか、そういう、 安全そうな大手専門家の方々に聞いてくださいね) 話の内容は

「色即是空・・・ 色(ある ということ)は 空(ない ということ) である」
「空即是色・・・ 空(ない ということ)は、色(ある ということ) である」
というんであります。

この説明は、はっきり言ってムチャクチャです!

この問答のセンセイである釈迦さんが 生まれて育って活動していたインドというのは、 太古の昔から数学の非常に盛んなところで、  0(ゼロ) という数字を発明した事で世界的に有名ですが、
この 空(ない ということ) は、つまり、インドの数学のとくいわざ、 「ゼロ=なにも存在しない」 の事です。
で、 色(ある ということ) は、ゼロに対する1・・・つまり「あります、 存在しています」 という事です。

で、「色即是空 空即是色」 を直訳しちゃうと、
「”ある”と言う事は、”ない”という事です」
「”ない”という事は、”ある” という事です」
「つまり、 0=1 1=0 ですのでヨロシク!」

みたいな事になっちゃうんですが・・・
ばばばかやろー! それじゃ論理がムチャクチャだろうっっっ!!

ちなみに、コンピューターは、ゼロ(電流が流れない電源OFFの時のこと)と  1(電流が流れてる電源ONの時のこと)の区別だけで動いてますが、 0=1,1=0, なんかにしたら動かんぞっっ!

えー、まーそんな訳で、「何考えてんだコイツ・・・」 と、 釈迦にツッコミまくったんですが、ただ、この理論は非常に東洋的でして、 極端に言っちゃうと「正反対に見えたり対立して見えるものも、 お互いに行き来可能だったり、相手を内包してたり、実は同じ物だったり」  するという事みたいで、要するに、湿った紙に筆で描いた墨絵のように  「区切りや境目や区別がハッキリしない とゆーか・・・ 決定的な区別は、ナイ!」 ・・・のであります。

んで、反対にヨーロッパの方は、どちらかというと乾いてサッパリしていて、 乾いた紙にペンで線を引くみたいに、全体がクッキリはっきりスッキリしていて、  「いいものはいい、悪いものは悪い」 「死んでるやつは死んでて、 生きてるやつは生きてます」 「ゼロはゼロで、1は1です」  「イイヤツと悪いヤツとはっきりわかってから水戸黄門見るぞ!」  みたいな感じで、すべてをキッパリ判定するところから話がスタートします。

医学関係でも、西洋医学では
「病気になるのは原因があるからで、原因をなくせば病気じゃなくなります」
「ここが具合悪いから、切って悪いところを捨てれば悪いとこがなくなります!」
「痛い? 麻酔で痛み止めたら痛みを感じないですからOK」
「直らなかったら死ぬしかないですねー」
「まー、とにかく切っちゃいましょー!」
・・・みたいな、適材適所即日対応型でキッパリしてるんですが、
漢方とか東洋医学になると
「ここが痛い? 身体全体の機能が落ちてるからねー、 体調から整えて調子よくしてみるかー ちょっと時間かかるけど・・・」 とか、
「直らないけどこれ以上悪くならない、というあたりで妥協してみませんか?  まぁ人間何から何まで100%いい なんて事も普通ないしね」
みたいな、体全体の調和が重要という感じで、治療法にも好みが出る感じです。

宗教の方も、東洋みたいにわらわらいろんな神さまがいる多神教で、  「おせちもいいけどカレーもね・・・ あ、この神さまとこの神さまは 仲が悪いから一緒に奉ったらダメですー! お参りするんなら別々に・・・」   とか、そーゆームチャクチャな事は西洋文明にはなくて、 キリスト教やユダヤ教を中心にほぼ一神教でまとまっているので  「私の神さまが全知全能で全て正しいのだから、 あなたの神さまが完全にまちがってます」 と、 これもごく、割り切り方がアッサリしています。 (時々、あんまりアッサリしすぎてモメてたりするみたいですが・・・)


すいません、話が脱線してしまいました。


・・・で、「色即是空」の話の続きなんですけど、
東洋って、もともと宗教が多神教(ウチも隣もお向かいも全員神さまで おともだち)ベースの上に、自分まで一緒に神さまだったりして、 蚊とかハエとかアメーバまで全部に魂があって、 それが相互にぐるぐる輪廻して互いに入れ替わっちゃったりして、 もードコにも境目のない「大カオス状態」になってる訳で  (ここんとこよくわかんない方は、手塚さんの 「火の鳥/未来編」  を読むと図解(?)されてます。)

西洋の神さまが 「ワタシは完全無欠なので絶対に100%まちがいませんっ」  と断言しそうなのに較べて、東洋のは 「あ・・・ これでいいと思ったけど ちょっと違うかもしれんわ。ゴメンな、まあ神さまも人間だから(< って、 そんな訳ないだろうっ!!)」 とか言いそうな感じで、  第一あの 「まして悪人をや」 とか言うのも、 「やっぱさー、悪いことしてるって毎日自覚してる人の方が、 いつもイイ人よりも、どーしても自分の罪とか、 そゆ事に関して考える時間とか多いから、罪とかについて自覚しやすい訳じゃん?  自覚するのが早いぶん、反省して天国行くのも早いわけでさ・・・」  とか言われると 「それもそうかな・・・」 とか思うんですが、 なんかダマされてるような気もするし(こらこらっ!)

いや、どうも 「絶対」 悪いとか 「絶対」  正しいとかいうのがなくて、 「いまこの角度から見ると こっちが悪いんだけど、別の角度から見るとまた逆なんだな。  まぁどっちもアリなんで・・・」 ・・・って、結局どっちなんだよっ!!  と、気の短い人はぜったいキレるような、 境目や判定が両方ともOKになっちゃってるのが、 東洋の特徴みたいなんです。



それやこれやで 「東洋って、いったいどーなっているんだろう・・・  こんな ”どっちでもあり” じゃ、世界の収拾がつかないじゃないか」 と思っていたあたりで、 バリ島の 「バロン・ダンス」 というものをテレビで見たのであります。

バリ島がブームになったので内容をご存じの方も多いと思いますが、 善の神のバロン(獅子)が、悪の魔女ランダと戦う・・・ という 聖戦の話なんですが、このダンス(獅子舞)の結論というのが 「そして、まだ2人の神は、ずっと戦い続けているのです」  という、なんと、善悪の最終戦争の「まだ途中経過中」の中継で、 まだこの先どーなるのかわかんないらしいんです。

「なんだぁーっ!? 善と悪の戦いで決着がついてないのかぁっ!?」  と、私はガクゼンとして画面を見つめてしまったのですが・・・  だって、悪の神と善の神が戦うという、 どう見ても勧善懲悪パターンのカッコイイ設定なのに、 どっちが勝つかまだワカリマセンなんてアナタ・・・!!


そんなわけで、私はその時、 「東洋なんだ・・・ これが東洋なんだ・・・  この、”不変のものが何一つなくて、善も悪もワタシもアナタも、 相互互換でこんぐらがって境目なく溶けあっちゃって進んでってる中で、 単に ”今現在が” こういう状態なだけなんですけど・・・って、 湿気でボヤけまくって境目なくボーっとして、 時間軸に沿って延々と流れてくのが東洋の世界観なんだわぁぁぁぁ!!」 と、 あぐあぐしながら驚愕しました。



さて、そんなわけで、 「新月宵」 の話に戻りますが、
さっきも書いたように、「新月宵」 は「アジア変幻記」 全体のテーマにあたる作品になっています。

善と悪の区別や神さまと悪魔との違い、 人間と人間以外のものとの区別、 終わる月と始まる月の間(ONとOFFの間)、 天と地の狭間−−−ゼロと1が、どちらでもあるしどちらでもない狭間、 そも、ゼロと1は本当にハッキリ分ける事が できるんでしょーかどーなんでしょーか・・・  みたいなのが詰め込んであります。

でこれが「色即是空」かというと、 実はそうじゃないんですけど(おいおいおいっ!!)、  とりあえずそこからスタートして、ぐるぐるぐるっと連想がまわって、 こんなとこにいっちゃいました・・・ という展開です。
「アジア変幻記」 を読んで、  「そーいえば全体にアジアっぽい雰囲気かもしれないな」  と思っていただけたら嬉しいなぁと思っています。


「新月宵」 に出てくる 「猿の王様の息子」 は、
「悪人」 でもあるし 「善人」 でもあるし、  「そのどちらでもあるし、どちらでもない人」  みたいな感じで、空と地べたのハザマに住んでます。
半分赤くて半分青い人(・・・???)みたいな、「両面在中」に見えたら ウレシイかも・・・


2001.4.13.




<塔に降る雪>
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