・// 飛鳥幸子さんについて //・




飛鳥幸子さんは、現在本を見つける事は少々難しいと思いますが、 時期的には、萩尾望都さん/竹宮恵子さんがデビューされるまだ前、 主に若木書房の単行本や少女漫画誌を中心に活躍されていた漫画家さんで、 洗練されたコメディセンスのすばらしさで、当時まんがファンだった我々に、 熱狂的で熱烈な人気(今で言う”マニアック”で、 高い評価を受けた人気)がありました。
海外のソフィスティケイテッドコメディに類する 洗練されたコメディジャンルを描いてたのは、 日本人の中でこの人だけじゃないかと思います。

私の中で最も濃厚に飛鳥幸子さんの影響を受けているのは 「バジル氏の優雅な生活」 で、 軽口の続く友人たちの会話や、コメディの中にシリアスを織物のように織り込んでいく手法 などの影響を、もろにかぶっています。  (あと・・・相棒(???)のお父さんがスコットランドヤードに 勤めてるとか・・・・・・・・・・バジル氏の前髪のカールとか・・・  <<怪盗紳士をごぞんじの方は、ここで思いっきり つっこんでいただいていいです。)

コメディ評価があまりにも高いため、シリアス作品はほとんど発表されませんでしたが、 「フレデリカの朝」という大戦中のロンドンを舞台にした作品があって、 私の非常に好きな作品の1つなのですが、 クライマックスで主人公のフレデリカが持つ銃の感触が、 強烈に冷たく重かったのを覚えています。
命を失って急速に失われてゆく人間の体温と、 殺人兵器である銃という道具の冷たくて重い金属的な感触が、 はっきりイコールになって頭にこびりついた一瞬でした。
私は、近代戦争を舞台にした物語は拒否反応があって、 作品的には取り組みにくいのですが、この作品の影響で、 自分で一番扱うスタンスが難しいと思ったドイツ軍(と、それに付随する人々)も、 (少し)自分の作品の中で描けるようになった気がします。
>> というわけで、私は第二次大戦の戦場を舞台にした 「誇り高き戦場」という話を描いていますが、「フレデリカの朝」は、それの、  (読んだ人にはどこに共通項があるのかわからないくらいの)  間接的なエモーション>>描くきっかけ になっています。
というより、「フレデリカの朝」がなかったら、たとえ物語的にどれほど面白くても、 第二次大戦下を背景にした話は描けなかっただろうと思います。


「こうもり男爵」で、主人公アイザックの素性に垣間見えたりした シリアスな要素を考えると、誌上に発表されなかっただけで、 シリアスのストックは山のようにあったのではないかと想像できるのですが、 ファンである私は、ついにほとんどそれを読むことはできませんでした。
コメディ仕立ての「こうもり男爵」ですら、誌上に載るのは難しかった時代でして、 我々(熱狂的な支持者が多かったためあえて複数で書きますが・・・ 少なくとも、当時わたしのまわりでまんがを描いてた人は、 ほぼ全員飛鳥幸子さんのファンでした。)は、切れ切れに発表の場を見つけて 描いていく飛鳥さんの軌跡を見つけるのに必死でした。
なにしろ飛鳥さんのコメディは、 当時としては極端にハイセンスでウイットに富んだ作品で、 強烈で熱烈な支持者が一部にものすごく深くいた反面、 残念ながら”大量で大多数の読者の波のような人気”を得るタイプでは ありませんでした。  当時まだそういうタイプの作品はマンガとして評価されなかったし、 依頼もなく、漫画家として生活することができない時代だった訳ですね。
個人的に原稿依頼して本を出版したかったくらいですが(本気)、 当時はコミケのような発表場所もありませんでしたし、 何より自費出版費用がものすごくて、 200頁くらいのマンガ本を1冊自費出版するとなると、 印刷代が百万円以上かかるような(一応聞いてはみたんです)時代でしたから、 高校生くらいで、昼食を食べずにパン代を貯めてはセコくマンガを買うような 貧困生活をしてた私では、とても実現できませんでした。

どうもこの時の 「資金さえあれば自費出版できたのに・・・!」  という強烈な恨みというか、悔しさみたいなものが、 その後私がつい 「発表先がないのがなんだ、かまわず自費出版するぞっ!」  という行動に走ってしまうきっかけを作ってる気がしますが・・・  閑話休題。

飛鳥幸子さんは、そういう訳で、早すぎた漫画家さんでした。
萩尾さんや竹宮さんが少女マンガの世界を切り開いて行って、 少女マンガやマンガ全般が、一部の人以外の人にも「大切なもの」 と思われ始めた時代(というふうに、私はとらえているのですが)になってから、 この人がデビューしてたらどうだったんだろう・・・? と、 時々考え込むことがあります。
場所を得られてものすごく面白い作品を描き続けたかもしれないし、 逆にそれ以前だったからこそ、ここまで鮮烈に記憶に残ったのかもしれません。  歴史に 「if・・・ もしも」 はないのであります。

ところで、飛鳥さんの作品発表の場はほとんどが少女漫画誌でしたが、 当時発行されていたCOMというマンガマニア系雑誌(?)に、 「エルシノア城奇譚」というパラノイア的怪作 (エレガントな面はほとんど排除された、かなりハードなギャグ作品です) が載ったことがあります。
この本に載る事じたい、 どんなに熱狂的で強烈なマニアがついてたかという証拠なんですが、 その作品を見て 「・・・・この人もハムレットおたくか・・・」 と、 ミョーに感慨深かったことがあります。
その後、自分で 「鴨池」 とか 「エルシノア城殺人事件」  なんかのハムレットネタを描いたとき、つい(物語の内容自体は全く関係がないのに)  くだんの 「エルシノア城奇譚」 を頭に思い浮かべてしまうあたり、 病こーこーというヤツなのかもしれません。


<代表作>
「怪盗こうもり男爵(”怪盗紳士”を皮切りに、”紳士は甘いのがお好き”や ”怪盗こうもり男爵”など、数誌で断続的に連載された怪盗紳士アイザックと 女性新聞記者ベティさんのミステリコメディシリーズ)」 や、  「0011ナポレオンソロ(TVシリーズの漫画化)」、 「フレデリカの朝」や「白いリーヌ」(この2冊はシリアス作品です)などなど。  ものすごく古い本のはずなのに(しかも少部数発行だろうと思うのですが)  今でもたまに、まんがの古本屋さんで見つかることがあるようです。  買った人が捨てずに持ってたんですね。




2001.6.1.