私は、シェイクスピア劇の舞台を見るのが好きです。
といっても、観るものが「ハムレット」と「真夏の夜の夢」に集中していて、
他は内容すら知らないものもあるという、極端に偏ったフリークです。
さて、最初に見て強烈に焼き付いたハムレットは、芥川比呂志さんの
演じたもので、テレビで見たので古くてモノクロで、
芥川さんもすでに故人なのですが、
スレンダーな体つきに漆黒の衣装、
かちっとした小柄で鋭い目の印象が強烈でした。
(モノクロ映像ですから、実際は何色だったかわかりませんが、
喪中の役なのでやはり別珍か何かの黒だったのではないかと思います)
こういうキレイで品のいいハムレットは他にないというか、
日本人の持つ「悩み深い、心に傷を持つ青年」のハムレットのイメージは、
この人が創り出したのではないかと思います。
芥川比呂志さんのハムレットは、山本安江さんの、
夕鶴のおつうに匹敵する当たり役だったのであります。
で、私は、長い間ハムレットというのはこんな人なんだと思っていたのですが、
シェイクスピアの本の解説に 「この脚本が書かれた当時、
ハムレットを演じた役者が太っていたので、シェイクスピアは最後の場面で、
”おまえは汗かきだから・・・”という母のセリフを書き入れた」
というのを見て 「あれ・・・???」 と思い、
あげくに、イギリスで大ヒットしたハムレットの舞台で、
リチャード・バートン(映画俳優で、リズの旦那様ですが、
舞台では有名なシェイクスピア俳優で、ハムレットは彼の当たり役らしい)
の演じた演出として、
「たとえばハムレットは悩める青白い憂鬱な青年などではない。
リチャードバートン演じるところのハムレットは ”ここにはこう書いてある。
老人とは白髪にして目もおぼつかず、カニのように横歩きをする・・・とな!”
といいざま、本を片手に横歩きをして、
横に立っている老人を自分の尻で突き飛ばした」
これを読んだときに、私が長年抱いていた疑問が真夏の氷のように氷解しました!
これだ・・・ これなんだよ!
これならあの妙なギャグ連発のハムレットのセリフが、
どれもこれもムジュンせずにナットクできる!!
つまりこうです。 最初のイメージの「憂鬱な悩める優等生青年」タイプだと、
性格的に、言うセリフがどうにもかみ合わないというかずいぶんふざけていて、
その上、本人が深刻に考え込んでるわりには対応が賢くないというか、
頭が切れない(こらこら)ムジュンだらけの人間のイメージなのですが、
リチャードバートンの演じたハムレットの場合、
非常に活動的で軽妙なタイプの力強いキャラクターで、
兄である先王を殺し、妃までものにして万々歳のはずの叔父のクローディアスが
ときおり見せる罪への恐怖感のおののきのような弱さと好一対になっていて、
このキャラクターなら、オフィーリアに甘えながら、役者とダベりながら、
恋人のオヤジをからかい、母親を気遣い、友達と友情を確認し、
叔父貴と丁々発止のハラのさぐり合いしながら、
殺人計画(一応、復讐なんですけど・・・)練るよなぁ・・・
そりゃあ、見ていて面白いでしょう! という感じ。
NHKで放送された「この世はすべて舞台
(ギリシャ悲劇から現代に至る演劇の流れを追った、
現地取材と舞台再現のふんだんに入る、
ものすごくコアでディープな番組です。
で、江守徹さんが進行役をしていました。
放映を数回分見逃してるので、DVDでぜひ出してほしいー!)」
などを見るにつけ、
「ぜったい今まで日本で見たシェイクスピアはどこか違う・・・!
どー考えても芸術運動じゃなくて、
江戸歌舞伎みたいな大娯楽お楽しみ番組だろう、これは・・・!」
と、確信が深まったのですが、いかんせん、
日本でそういう解釈の切り込みはあまりないんですね。
(あるけど、失敗したのかもしれませんが・・・)
さて、それやこれや考えながら、それでも私が考えているようなハムレットを
舞台で見たいものだ。でもリチャードバートンなんか見に行けないしなぁ・・・
なん、いろいろ思っていたのであります。
で、ある時、”年に何回か劇団の公演を見るサークル”
みたいなものの企画で、
江守徹さんのハムレットを観に行くことになりました。
江守さんと言えば、テレビで見て
「けっこー濃い演技をする人だよなぁ」 くらいの印象で、
よくわからないながら、お気楽に出かけたのであります。
おまけにオフィーリアが、太地喜和子さん(亡くなる数年前)だったので、
「太地さんて、なんか色っぽすぎないのだろうか・・・??? でも、
そもそもハムレットが巨漢だし・・・ うーん、いったいどうなっちゃうんだろう」
などと、ヘンなところに期待していたんですが−−
これが、今まで私の見た中で最高のハムレットでした!
とにかく江守徹がうまいっ!
この人の ”キャラクターの理解力” というのは、
ちょっと異常なものがあるのではないかと思うのですが、
とにかくうまい! で、
このヤヤコシイハムレットというキャラクターの、
むちゃくちゃ長くて多いセリフの中に、性格的矛盾点が何一つない!
しかも江守センセイ、自分が理解したものを、
トコトンお客さんに理解させないと気がすまないらしく、
とにかくメチャクチャにわかりやすいっ!
私は椅子に貼り付いて舞台を見ながら 「そうかっ
このセリフはそーゆーイミだったのかっ! 知らなかったっ!」
と、冷や汗をかきまくっていました。
おまけに、 「シェイクスピアっていうのは、もともとギャグ満載の、
ケレン味たっぷりの大衆演劇なんじゃないか・・・?」
と思っていたとおり、
テンポとギャグとスリルで、お客さんをガンガンひっぱっていく。
もはや、なにをかいわんやです。 最後の決闘の場面の 「おまえは汗かきだから」
のところまで 「うんうん、この人ぜったい汗かきだよな」
などとヘンな感心のしかたをしながら、ふるふる感動して見てしまいました。
で、オフィーリアの方なんですが・・・
舞台に登場したオフィーリアを見て、
私は「げっ!」と言ったきり、ボーゼンとして舞台を見てました。
なにしろ、太地喜和子さんがキレイっっ!
カワイイというかいじらしいというか清楚というか、
よくテレビでみかけたふくふくの色っぽいお姐さんのはずが、
目の前にいるのは16才くらいの(多分、
オフィーリアの実年齢がそんなものじゃないかと思うのですが)
華奢でセンサイな、女性になる寸前の、
透き通るような白い少女なのであります。
もう、オフィーリアが出てくるたびに、そこだけ白く光っているような感じ。
「ひぇぇぇぇぇ!」 と思いながら、私はそこでひきつってました。
さて、これを見たのは七尾市公会堂という、
わりと小さめのこじんまりした会場でした。 お客さんと舞台が手の届く距離で、
舞台もそんなに奥行きがありません。
さて、有名な墓掘りの場面になった時です。
( 注>墓掘り人夫達が墓穴を掘りながら雑談をしているところに、
ハムレット達が帰国してくるという、
ドラクロアの絵で有名なシーン。
墓穴から出てきた宮廷お抱えの道化のしゃれこうべをネタに、
”いやー、人生ってこんなもんだよね・・・”
などと、ハムレットが知ったようなウンチクをたれている所で、
その墓が、水死したオフィーリアのためのものだとわかり、
一転、ハムレットが半狂乱になる・・・という、
いつも一歩退いて斜に構えていたハムレットが、
唯一我を忘れる場面です。)
舞台が奥手に向かってかなり傾斜していまして、
その坂の上からハムレット達が帰ってくる。
手前に開いた四角い穴の中で、墓掘り人夫達が笑いながら穴を掘っている。
で、ハムレットが 「なんだ、これがあの道化のドクロか。
生きていたときはよくしゃべる口だったが、今では−−−」 と、
しゃれこうべを受け取ろうとしたとたん、墓掘り人役の人の手から
ドクロがころげ落ちて、前列のお客さんの所まで、
弾んで転がり落ちてしまったのであります。
「げっ!」という感じで、一瞬会場の雰囲気が凍り付きました。
が、江守ハムレットは 「今ではお客の膝の上!」
と言いながら客席に笑いかけ、
「返して返して」とお客さんに手を振って、自分の手にドクロを戻してもらい、
爆笑と大喝采の中で、そのまま芝居は続行されました。
あまりに見事なフォローなので、即興のアドリブだったのか、
それとも、練りに練られた手の込んだ演出にひっかかったのか、
私にはわかりませんが、その時の舞台の雰囲気から受けた印象では、
客を楽しませることを骨の髄まで楽しんでいる江守さんの、
当意即妙のフォローだった気がします。
舞台をやる人にはそれが出来るし、
それが、客と呼応して進んでいく舞台の楽しさの真骨頂で、
私はこれを落語でも見たことがあるし、宝塚でも見たことがありますが、
常に客とあうんの呼吸を取って時間を進めていくプロの、
絶妙のフォローというか、あまりの救済の見事さに、
かえって一生忘れられない印象的な舞台になってしまう事があるものです。
それ以来、私は、「ためしてガッテン!」や「ココがヘンだよ日本人」で、
江守徹さんがどんなに見当違いでヘンテコな発言をしても、
「この人は単なる天才なんだ」 と思うようになりました。
上岡龍太郎が引退の説明で、「舞台の人なら、
TVに出てどんなに時代とハズレた事を言っても、
”舞台を見てくれ!” と言える。 自分たちお笑いはそうはいかない。」
と話していて、その時、私の頭に浮かんだのは江守徹さんの顔だったのです。
後に、舞台のインタビュー番組で、
自分の演じる舞台と演出家について話しているのを聞きましたが、
やはり、自分の理解した内容を徹底的に客席に伝えようという、
徹底した粘りのようなものを感じました。
「面白いことは誰でもある程度思いつくことが出来る。
要はそれを自分以外の人にどれだけ伝える能力があるか、
それが才能と技術なんだ」 というのはまんが描きの鉄則ですが、
多分役者さんも、
自分以外の人に自分の思ったものを伝える技術と才能が何より必要なわけで、
セリフの1つ1つをここまで意味が分かるように伝えることの出来る、
この人っていったい・・・ というのが、私が江守徹さんを見て感じた驚愕でした。
それ以来、私は江守徹さんに一目も二目も置いています。
テレビで見ていて 「江守さん、それはやりすぎ!」 と、指摘したくなっても。
であります!
・//上の四角をクリックすると読めます//・