<<<  ルドンの黒  >>>
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オディロン・ルドンは、私がものすごく強く影響を受けた画家の1人です。

いや、画風とかではなくて、この人が絵について語った一言が、 私のまんがの全てになったといっても過言ではないのであります。

ルドンというのは、コンテを使ったような黒で版画を描き、 しばらくえんんえんと真っ黒けでした。
そのあと、いきなり堰を切ったように色鮮やかなパステルに代わり、 花や神話やなんかをテーマにまたどんどん色を塗り続けて、 どっちもすごく印象的なんですが、 絵について聞かれたとき、
「目で見て描く必要はない、私は目を閉じてスケッチする、 その方がうんと大事だから」
と答えています。

この人はピカソのように「見る」事を重視する絵画
(心象を描くことを重視するタイプの人は、区別するときに、 ”網膜的絵画”と呼ぶ場合があります)ではなく、  「むしろ闇の中に、私の描きたい物が溢れている」 と言って、 自分の「目の前に見える画像」を「絵画」という形に変換するのではなく、 闇の中に羽ばたいていく想像力の広がりを捉えることを最重要視しました。

さて、そんなわけでこの人は、最初、黒く塗りつぶしたような、 とても黒い版画を作り続けていました。
どのページを見ても真っ黒けであります。  光の届かない地獄というものがあるなら、 それはこんなところではないかと思うくらいに、とにかく黒いです。
この黒が、「闇」なのですから恐怖感を与えるかと思うのに、怖くなく、 何か親和性があり、しっとりとしていて、そしてまた、 とてつもなく美しいのであります。

汚く薄汚れた黒ではなく、かといって、 漆のような光る黒(これは反射していますから光がありますね)でもなく、 光を全て吸収して吸い込み続けていくような、 とにかくイメージ通り、本物の「黒」なのであります。

私は子供の頃から昼間より夜の方が好きで、 暗闇というのもかなり好きな方ですが、 だからといって、真っ暗で何も見えなくては私なんかは困ってしまうのですが、 このルドンの場合、そういう事にはおかまいなしに「黒」と「闇」が好きらしく、 墨のような、光なく香り立つような黒の中に、 茫洋とした光が震えるように漂っていたりして、地の果てまで続く闇の中に、 微少な光がほのかに暗く輝いているのであります。

で、この人は「”見えない”事は恐ろしくない、”闇”は恐ろしくない、 闇の中に想像が幾千もの翼を響かせる、それが見えるからいい。  光の中で見える物のデッサンにはあまり意味がない、 闇の中に見えるものを描くべきである」 と言うのであります。

これは当時、絵がヘタで困っていた私にとって衝撃の言葉でした。
まんが描きという職業上、あまりハッキリ言ってしまうのもナンなのですが、 私は絵がとんでもなくヘタでして、とりわけ目の前にある物を描き写す 「写生」とか「デッサン」とか「クロッキー」とか、 とにかく ”実際にある事物を自分の絵として紙の上に再現して、 表現の手法として使う”という、 ”3次元の物体を2次元に変換して描く”タイプの、 現実的な描画力にトコトン欠けていたのであります。

で、私は当時(デビュー前くらいですが)この事態にかなり手を焼いていて、 「何かもう少しマシな絵というか、 もうちょっと画力をつける方向に努力した方がいいのではないだろうか・・・ このままではいつまでもまんががロクに描けないのだが・・・???」  とずっと考え込んで困っていたのですが、ルドンの言葉を聞いて、 「そうか、頭の中にある印象を正確に描く事の方が、 デッサンのバランスがあっているかどうかよりも、うんと大事なのである!」  と衝撃を受け、 そう思い始めるとこの方が描くのもウンとラクなので(おいおいおいっ!)  私はすっかり 「闇の中に見えるもの」 の方を 紙に移すことの方に熱中し始め、そのまま今に至っているので、 つまりまぁ、絵はずっとヘタなままなんですけど・・・ (おいおいおいおいっ!!)

ともあれ、このルドンという人は  「”目の前にある物をどれだけ正確に紙に移せるか”という種類の画力は、 心の中にある物を直接描く事ほど重要ではない」  というような事を言ったわけでして、 実際、この人の絵は、デッサン力とか画力とかあるのかないのかよくわかんない ヘンチクな絵が多く、暗闇の沼の中からおっちゃんの首の花は咲くわ、 骸骨くんは鐘楼の鐘を鳴らすわ、一ツ目のバケモノは山から出てくるわ、 太陽の馬車は天から落下するわで大騒ぎなんですが、 なんかこう、有無を言わせない迫力のようなものがあって、 特に、ぼってりした重たいパステル画の迫力で 「花」  だけを描いたシリーズは、特別に 「ルドンの花」 と呼ばれ、 「ひまわり」を描いたゴッホと共に 「花の画家」 の敬称を与えられています。


そんな訳で、色の氾濫にも独特の力を発揮し続けたルドンですが、 やはりこの人の「黒」には、他の人がどうやっても追いつけない、 闇というものの感覚があります。
柔らかい黒、奥行きのある黒、光が当たらないから暗いのではなく、 光を吸い込んでしみわたっていくブラックホールのような黒を描いたのは、 この人だけなのです。

たぶん、この人が目を閉じたとき目の前に広がっていたのは、 こういう真っ暗で、静かで、しっとりした、 その中から幾千もの想像力が沸き上がってくるような、 そういう漆黒の闇だったんじゃないかと思います。


目を開いて光の中に見える「物の形」より、 目を閉じた時に現れるものをちゃんと掴めと言ったルドンは、 色を使い始めてからも、多彩に華やかでした。

鮮やかなパステルの色は黒と同じくらい華やかで、 光が反射することで色彩が網膜に届くのではなくて、 目を閉じても、そこに光と色が厳然として存在するような、 そういう、なんていうか、唯我論的な感じの色になっています。


やはり彼は、色を使うときも目を閉じてスケッチしていたのではないかと、 ワタシは思っています。




2002.2.1.


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