・・・ 図案*省略と象徴化 ・・・

上の紋は「真向つる丸」という名前のもので、 なんで鶴が正面向いて脚を上げてなきゃならないのか悩むところですが、 こんなシルエットでちゃんと正面向きの鶴に見えるのがスゴイ!
日本の図案やデザインを見たときに、舌を巻くのは徹底した「省略化」と「象徴化」です。

図案集を見てから、自動車の窓から空を雁が飛んでいるのを見かけて、 「あ、あれは雁だな」と即座にわかった時は「げげっ」と思いました。  私は鳥にあまり詳しくなくて、飛んでいるのを見ても、 見慣れたスズメやカラスでない限り名前なんかわからないのです。
しかし、日本の文様集で見慣れたシルエットが飛んでいくのを見て、 「どこからどー見てもこれは雁に間違いない」・・・と思った時、なんとなく「うーん」 と思いました。
この理解の仕方は、バードウォッチング用の図鑑や写真集と見比べて名前がわかった、 というのと訳が違います。

図鑑や写真集に載っている鳥のイラストや静止写真は、その一瞬の向きや見え方や 形の瞬間を写したもので、だいたいは体全体の形とか、羽の色とか、大きさとかをイラスト(写真)と 説明文を参考に1つ1つ確認して行くわけですが、目の前の鳥がそれと全く同じポーズでいる事はまずないし、
鳥がちょっとあっちを向いたり、べつの方に首を伸ばしたり、 枝に止まってたのが飛んじゃったりして、イラストや写真と違う向きになると、 静止写真と見比べたって、相手がなんなのか、別の鳥とどう違うのか、 けっきょくいったいどっちなのか、もう全然わかりません。

しかし、図案集の方は、鳥のどれか一瞬の姿を写実的に描いたのではなくて、 画家の頭の中に入り込んでいる雁の姿を総合して、 誰が見ても雁に見える「特徴的なイメージ」を濃縮して 「雁」の図案として発表しちゃったわけです。
いうなれば「雁」のすべての時間を、その図案の絵に組み込んであるわけで、 「雁」のいかにも「雁らしいところ」だけを描いて、いつどんな姿の雁を見て も「あ、あの鳥だ」とわかるようになっている。 ある意味では、これは「雁の姿」の「時間」を多重化してしまっています。

日本の絵画の手法には、どうも時間に対してそういう「一瞬だけでない多重構造」 を求める、不思議な捉え方をする印象があります。
世界を止めて、写真のように永遠に凍り付かせるという写実主義に走らなかったせいなんでしょうか ・・・時間に対する考え方、写実に対する考え方が、西洋とは違うようです。
上の紋は ”JapaneseDesignMotifs” <dover> より


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