<<<   イカした現代美術   >>>
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<おさそい>

私の好きなマルセル・デュシャンは、一応「現代アート」に分類されています。
俗に言う 「こんてんぽらりぃあーと」 とゆーヤツです。

現代美術というと、前衛とか、抽象とか、シュールとか、ポップとか、 パフォーマンスとか、ビデオアートとか、 その他ワケのわからないゴミみたいなのもあるし、 時には本当にゴミ置いてあったりして・・・
作品見ても 「なんだこりゃ?」 的なものが多くて、 人を困らせるために作ってるよーな感じだし、頭抱える人が多いと思います。  ところが見慣れるとこいつがめっぽう面白い(って死語の世界ですか?)んです。

なんだか、ものすごく ヘン! なので、ちょっと私と一緒に見てみませんか?


<鑑賞方法>

さて、人類の大半を困らせる、ものすごく迷惑な<現代アート>ですが、  (ワタシもむかし 「困ったなぁ」 と思っていたのですが)  デュシャンを見て 「このオヤジ、もしかしてただの”イタズラ者”なのでは???」  と思うようになってから、妙に面白くなりました・・・

現代美術というのは (これはここだけの話で、 美術関係者の方とか専門の方とか愛好家の方には、 絶対に絶対にナイショにして欲しいのですが)  どうも 「世界アホ大会」 みたいなノリの、 ヘンなコンセプトらしいのです。

「世界アホ大会」 って何だろう?とお思いでしょうが、 私の熱狂的に好きな 「空飛ぶモンティ・パイソン」  という英国製のギャグ番組でそういう競技会が出てきまして、 モノスゴイぶっ飛んだ人達が出てきて、 なんだかわけのわからない、理解できない競技を競うんであります。
(だいたいこの「空飛ぶモンティパイソン」という番組自体が、 すでに狂乱の”三月ウサギ”状態なんですが、 その中でももう1ランクレベルの高い ”何でこんな事になっちゃったのか理解不能”状態が展開されるコーナーで、 ふつうの市民の人が真剣に(または楽しそうに)それを拝見する・・・  というような設定になっています。)

ふつう、<現代美術>は美術館などに堂々と出ていたり、 美術の教科書や難しい学術書の棚などに入っているので、 見る人は引いてしまって、「むずかしすぎて理解できません!」 と、 コソコソその場を離れて 「あんなんムチャクチャやってるだけじゃないか」  などと、蔭で文句を言うハメになるのですが、 私が見た限りムチャクチャやってるだけみたいなんです(おいおいおいー)。

ですから 「美術作品を味わう」 という意気込みは、 とりあえずトイレの水に流して、  「たけしのギャグを見る」 とか 「志村けんのバカ殿を見る」  というあたりに、まず頭の中を切り替えて下さい。(もしご存じなら、 一番ベストな姿勢は 「明和電気を鑑賞する」 だと思います)


その1<クリストさん>


では、なじみやすいところで「クリスト」という人なんかどうでしょうか?
この人はよく美術の本なんかに載っているので、名前くらいは聞いたことがあるぞ、 という方が多いのではないかと思います。
この人は物を「梱包」するのが好きで、早い話が「梱包マニア」というか、 つまり「梱包オタク」でして、 トランクとか缶とか手当たり次第に、何でも包んでグルグル巻きにしています。

荷車とかを包んでいる内は、「きっと、この ”物を包む” という行為は、 何か芸術的な、現代社会に対する警告とか、人間の抑圧に対する見解とか、 そういうものが表現されているに違いないぞ」 と思ってたのですが、 そのうち、そういう誰でも包めるものでは気が済まなくなったらしく、 家とか木だとかいうデカイものを包むのに凝り始め、  「単に、他人が包まない物を包んでみたいだけなんだろーー!」  と思っていると、今度はあろう事かニューヨークのビルとか橋とかまで包みはじめ、 おまけに大美術作家で芸術家のため、 パトロンがいるのかファンがいるのか同好の士がいるのかとにかく軍資金があるらしくて、 ついにはナイヤガラ瀑布とか、海岸線まで包んでしまいました。

こうなるともう、どこから見てもこの人は <ヘン> です!  早い話が単なる「梱包フェチ」です!
どう考えても、ナイヤガラ瀑布を包むことにかかる膨大な時間と 費用をペイするほどの偉大な意味が、この単純な作業にあるとは思えません!
なぜそんな物を包みたいんだ?! なんなんだーー?! なにがキミをそこまでにさせるんだー?!  包んだからどうだっていうんだよー?!  という驚きこそが、この人の作品の醍醐味です。  (ちなみにこの人、アイデアスケッチもとってもキレイでして、 黄色い縞のビーチパラソルが並んだような、 ヘンテコなスケッチの絵はがきを、 ワタシは思わず買ってしまいました。)



その2<森村さん>


日本には、森村さんという 「名画に仮装して自分の写真を撮る」  というヘンな人がいて、 ゴッホの 「耳を切った自画像」 とか、ゴヤの 「裸のマハ」 とか、 何でも名画を自作自演しちゃう人で、 もう 「こっ・・・これを、欽ちゃんの仮装大賞に出してあげたいっ!!」  という作品群です。

ベラスケスの 「官女たち」 なんか、 いいトシしたにーちゃんがいっしょーけんめー化粧して女の子の役やってて、 作品にどういう高尚な意味があったって、見たら笑ってしまいます!
ワタシは一目見て  「この人は単純明快なアホを目指しているのかもしれない・・・」  と思い、すっかりファンになりました。

・・・で、現代美術の作家の作品がだんぜん面白くなってくるのは、 実はこの 「タダのバカなのか?」  という状態になってからなのだとワタシは思うのであります。
このブッとんだ 「何のイミがあるんだそんな事にーー!  人生、他にもっとする事があるだろーー! マジメにやれーー!」  というような突っ込みをせずにいられないような、 人生の重大事をすべてかなぐり捨てて、 「ナンでこんな事に時間と金をかけてするねん?!」  というような、そういうハシにもボーにもかからない作品ができてくると、 もうダントツに面白くなります!
(難しく言うと  「既存の価値観に対抗して新しい価値観をどこまで構築できるか」  とかいう事らしいのですが、「これじゃタダのバカなのでは??」 度 で判断する方が、価値観のブッ飛び方のレベルのランクがとらえやすいような気がします)

ところで、先の森村さんの作品は、 現代アートとしては異常なほど、日本では一般人気があります。
やはりそのあたりの 「地味でシブいだけの人」  と較べるとブッ飛び方のレベルが違っていて、 さして興味がない人が見てすら作品にインパクトがあるし、 おまけに見ていてとても楽しいので、この人気も当然ではないでしょうか?


その3<ウォーホールさん>


アンディ・ウォーホールという人は、 キャンベルスープの缶だのウシの顔だのマリリンモンローだのを、 色違いで何枚も印刷して作品にしました。

マリリンモンローはまだ色っぽいキレイなおねーちゃんだから許せるとしても、 「キャンベルスープ缶」 っていったい何なんだよ?!  そんなもんポスターにして何が嬉しい! うちは食料品店かーー!!
−−−−というようなもんですが、このキャンベルスープ缶が彼の代表作です。

これはものすごい作品です! ・・・というか、はっきり言って、 ここまでの(バカな)事をやった人は、この人以外にはありません。  そのせいで(という理由だとワタシは思いますが)ものすごく人気があります。
やはりここまでスゴイと、現代美術に何の興味もなくたって、 見ればガクゼンとして 「なんじゃこりゃ?」 とショックを受けるだけの 迫力というか、インパクトがあるようです。

他にプレスリーとかマイケルジャクソンとか、みんなが 「すごく見覚えのあるもの」を版画にして見せてくれる人で、 私の好きな作品に、ウシの顔のアップのやつがあるんですが、 もーっとしたマヌケな感じのウシの顔が巨大なアップになって版画になっています。
キャンベルスープ缶ほど 「こっ・・・こんな事を思いつくなんて!  おそれいりました!」 というような強烈なショックはないんですが、 私自身がウシというイキモノに弱いせいか(おいおい) ウシアップはどうも好感度が高い。

実はこの 「特に何という訳じゃないんだけど、個人的になんとなく好き!」  という鑑賞の仕方も、美術作品のお楽しみポイントの1つです。


その4<リキテンシュタインさん>


さて、キャンベル缶よりもっとものすごい人もいます。
マンガの1コマを、印刷のままでかく拡大して  「作品」 だと言い張った人です。

「泣く女」とかいろいろタイトルついていますが、 早い話が、どこかで売ってたマンガの1コマを、ただデカクしただけです。  これで 「バカかおめーー!」 と言わない人はちょっとどうかしています。 しかし、マンガを拡大しただけなのに、 とんでもなく迫力があるのであります。

この人のマンガ・・・いや作品は、 「よくこんなものに目をつけたな」 とか、 「アミトーンをそのまま拡大しようなんて、なんで考えついたんだろう?!」 とか、 「引き伸ばすってスゴイ事なんだな」 とか、 仕事がまんが描きである私は、つい職業的な感慨に耽ってしまうんですが、 普通の人が見たらやっぱりこれは 「何考えてるんだーー!」 の、 典型例だと思います。
東京都のどこかが、バブルの時期にものすごい高額で買っていて、 ほんとうに勇気があるなぁと感動したんですが(つまり  ”私たちの税金をそんなマヌケなものに使うなーー!”  という抗議がきて、納税者に袋叩きになるんじゃないかと心配したのですが)  「芸術だ!」 というだけで世論を押し切った雰囲気もあるので、 好きな人は 「やったーー!」 と心密かに叫んでたのではないかと思います。  よかったですね!

私は画集を見たとき、 「あああ、アミトーンがこんなにデカクなっているーー!」と、 すごく感動しました。
この人の勇気とキレ方には誰もついて行けません。

で、ワタシは以前からずっと、この人のタッチなら  「ゴルゴ13」 のアップがぜったいイケル! ・・・と思っているんですけど、皆さんの意見はいかがでしょうか?


その5<???さん>

もっともっともっとすごいやつもあります。
車にクリームを塗りまして、それをみんなでなめる・・・ という「芸」です。
これは 「パフォーマンス」 と呼ばれていて、 作品としては形が後に残りません。
単に 「この時そういう事をしました」 という、 事実だけが残るのであります。

「そんなもん見て、いったい何が面白いんだよ?!」とお思いでしょう。
はっきり言いましょう。どこも面白くありません!  ・・・いや、「崇高な芸術だ」 と思っている限り、 こんなもの見ても何も面白くないのであります。  (いや、面白い人はいるでしょうが、それはワタシではありません。)

しかしこれが、「なんでこんな事に、ここまで熱中するかなーー」 と思って見始めると、なかなかスゴイのであります。  大事なのは 「どれだけ他の人と違うか」  「どんなに人に思いつかない事をやってるか」 なのです。

で、これはあんまりすごすぎて作者の名前を忘れました(おいおいおいっ)が、 やった内容はしっかりおぼえています。  この「なんなんだこれは?!?!?!」というインパクトは忘れられないのであります。

名前も意図も分からない、それでも強烈に覚えている・・・  これがつまり 「名作」という事なんですね。



<モビールのカルダーさん>

カルダーという人がいて、この人は 「モビール」 という装置を発明しました。

よく、インテリアショップで、イルカだの魚だのトトロだのが、 天上や窓から、やじろべえ型にいくつも吊り下がって、 バランスを取りながら風で揺れているのを見たことがあると思いますが、 あの 「モビール」 というシステムを 「発明」 した人です。

ワタシは最初 「なんだよモビールかよ、そんなの何が面白いんだ・・・」  と思ったのですが、家元の迫力というか宗家のすごさというか、 このカルダーご本人の作ったモビールというのは、 市販されてるアバウトな動きをするだけのやつと違って、 動きとバランスがすべて計算され尽くしていて、 見ていてめちゃくちゃ優雅でキモチイイ!

ちなみに、屋外のも室内のもあって、 巨大で不思議な形の物が、 バランスを取りながらゆっくり互いに動いていく様は素晴らしいです。 どこかで本物を見る機会があったら、ぜひ見てみてください!

この人の「モビール」というシステムは、あんまりキモチがよかったので、 インテリアとかオモチャとしてバカスカ市販されるようになったようで (想像ですよ)  ワタシなんか、カルダーさんがそのへんで売ってるモビールを見て 「よし、これのもっとデカイやつを作って発表してみよう!」と、 巨大化して作品にしたんだと思っていました。

現代美術の作品として、 ここまで一般に浸透したアイデアも珍しいと思いますが、 かくのごとく、 現代美術はどの方向から一般方面に斬り込んでくるかわからないので、 油断ができないのであります。


<きてれつな芸風>

さて、そんなモビールのように ”ヘンテコな動きするから好き・・・” とかいうのもいいし、単にものすごくデカイからキモチイイ・・・というのもあるし、 このへんがサイバーチックでウレシイ、とか、 自分と趣味のあうのを見つけると、やけにウレシイものです。

なんとなくきれいな色だとかいうのもいいし、 なんだかカワイイ気がする・・・というのもありますし、 なんじゃこりゃー!という肩すかし具合いがスゴイとか、 いかにもムズカシイ意味がありそうでカッコイイとか、 ぜったいウチの子に描かせた方がウマイ! と親バカを極めるとか、 こんなんでいくら儲かったんだろう??、と、経済性を追求するとか、 現代美術を見るといろいろな楽しみ方があります。
もちろん、作品から現代文明と人類の未来に対する警告を感じとり、 詳しくテーマを解説して、まわりから尊敬と感嘆の目で見られる・・・ というのも、なかなかイカシた楽しみ方です。

もちろん 「ヘンなシュミの見本市」 でもあるので、 毛の生えたコーヒーカップ作ってしまう人とか、 石膏の足の裏に死んだハエつけちゃう人とか(このバカヤローはデュシャンです)、  ゴテゴテに少女趣味の超ヘンなロココ風ドレスを作り続ける人とか、 トピアリー(ツゲなどの木を刈り込みして形を作るヤツです。 ベルサイユとか巨大な西洋庭園によく見かけます) で、 屋敷よりデカイ超巨大イヌ作った人とか、 椿の葉っぱに切手貼って積み上げてる人とか  (いったいこれに何の意味が・・・?!)、  デジタルの数字をランダムにピカピカさせちゃう人 (だからナンなんだ・・・?)とか、  ビデオを延々と流すだけの人(いったいこれに・・・)とか、  いきなり展示会場に作品として青空トイレ作ってしまった人とか (本当にいたんですよ)。

みんな何か意表を突くネタを考えようとするらしくて、 現代美術展となると、ほとんどアイデア大会というか、 「笑点の大喜利」 の様相を呈してくることもありますが、 時々 「うまいっ! ザブトン1枚っ」  みたいな、目のつけどころのいい作品があったりするので感動します。

ちなみにこの 「トピアリーで、でかいイヌ作った人」 は、クーンズといって、  「今度は日本に行って作りたい」 と言ってたのですが、 もう来て何か作ってくれたんでしょうか? 何作ったのか見たいなぁ・・・



<キレイならいい>


赤に塗り潰したキャンバスを、 カッターでまっすぐ切り裂いただけの作品があります。
ワタシはこの人の作品がけっこう好きです。
非常にきれいな色に1色に塗ってあって、 そこを3本くらい切れ目が入っているヤツが、 昔カレンダーになっていたのですが、「なんてキレイに切ってあるんだろう」 と思って、あんまりキレイなのでしばらく捨てられずに取ってありました。
切り裂くことによって空間の内と外が何とか・・・とか、 そのテの理論はワタシの理解の外ですが、
(いや、作者としては、 そういう深いテーマをわかってほしくて作ったのかもしれませんが、 こんな程度の説明でそんな事をわかれという方がムリです。  はっきり言って、それじゃタダの作者のワガママです。)
色や切れ方がキレイで、見てキモチがいいので、つまりそれでいいのです。


もちろん、見たからといって、必ず面白いとは限りません。
中には「より人を不快にしよう!」という目的で作品を作り続ける人もいます。
そんな常識で考えられないような目的は持たないだろう・・・とお思いでしょうが、 なにしろ 「ヘンなアイデア選手権」 なので、何でもありなのであります。  (いわば 「立川談志的」 な芸風です。)

かと思うと 「キタナイ物の中からキレイを見つけてみよう」 という、 冒険心の強い人もいます。
で、「キタナイ物を見せて驚かせてやろう!」 という困った人もいるので、 どれがどれだかわからず、けっこう大騒ぎだったりします。  なんか吉本の、勝ち抜き新人ギャグ大会みたいなノリです。

そうして勝ち抜きで上がってきた人の作品は、 一応どれもそれなりに面白かったりキレイだったり迫力があったりする訳ですが、 だからと言って、どれでも楽しめるかとそういう訳でもなくて、 ベーコンという人の絵なんかは色使いがけっこう血みどろっぽいというか、 なんとなくげろげろな感じで、生皮剥いだみたいでけっこーコワイので、 ワタシなんかはちょっと苦手です。

そういう場合は 「キミとはシュミが合わないわっ!」 と、 ココロの中で指摘して (まわりに ”こっ、これがたまらん・・・” と、 うっとりしてる人がいたり、すごい時には作者本人がいたりするのですから、 タイプじゃないものを見たとしても、その場で口に出してはいけません。  これは、すべての展示会場で何かを鑑賞する際の、必要最低限の礼儀です。)  「あー、今日のはキモチ悪かったな」 と思って、帰ってくればよいわけです。

「爆笑問題は好きだけど、たけしのギャグはイヤ」とか、 好き嫌いは、そういう個人のシュミの問題です。
見た人の趣味の好き嫌いと、作者や開催者の責任とは、ちょっとだけ責任をとる方向が違います。



<現代美術のおとなり>

もう一歩で現代美術になってしまいそうなところにいる人達がいます。
たとえば、赤瀬川源平さん達の「路上観察会(トマソン)」とか、 植木不等式先生が参加されている「と学会」などのスタンスです。

これらは思いっきり「役立たずでナンセンス」な路線ですが、 現代美術とほんのわずかに(といってもスレスレですが)違うのは 「それでも世間の役に立っている(実用的である)」ところです。
つまり、本が「売れている(人々に娯楽を提供する役に立っている)」のです。

芸術作品は「直接的に人の役に立たない」ところにその価値があります。

たとえば「モナ・リザ」ですが、ルーブル美術館にあって、 見た人が「おお!これがレオナルドのモナ・リザだ!」と感動する以外には、 それほど実用になるわけではありません。
モナ・リザは芸術作品としての価値があります(というよりも、 芸術作品以外の価値がほとんどありません、ここが大事なところです)。  で、「モナ・リザのポストカード」は芸術作品ではなくて実用品で、 ハガキとして実際の(”装飾的郵便物”としての)役に立つので、 1枚100円くらいの実用的な値段で売られています。
本物と絵はがきの2つのモナ・リザのどこが違うかというと、 一番大きな違いは、 「実用品として役に立つ」ことを目的に制作されたかどうかです。

「路上観察会(トマソン)」も、当初の目的はともかく、 本やビデオなどの発表形態を最終形態と考えると、 人を楽しませようという実用的な意欲に満ち満ちていまして、 これはスレスレながらも、 ぜったいに芸術精神の追求ではないのであります。

ダ・ヴィンチの場合ですと(私が本なんかで読んだ限りでは) モナ・リザは、ダ・ヴィンチが自分の気がすむまで描いていた (他の人の嗜好を気にせず、気がすむまで自分の表現の目的を追求しちゃった) 作品らしいので、注文生産(多少は実用的な目的あり)の絵よりも、 ぐっと芸術度が上がってしまった気がします。

「何の”実用性”もないんだけど、人に強い印象を与えるもの」
これが、芸術作品の「芸術」と認定される部分のポイントであります。

時々、「実用性のなさ」という部分を追求しすぎたあまり、 本当に何も面白くない作品をうっかり作ってしまう芸術家の人がいますが、 これはまぁ、「実用性のなさ」に熱中して、 「人に強い印象を与える」の方を、うっかり忘れちゃった・・・ そういう失敗なのではないかと思います。

<実用性のあるなし>が 「芸術」と「非芸術(実用品)」 との区分、
<人に強い印象を与える度合い>が 「価値」と「非価値」 の区分  という事です。

「芸術」 の側に分類されても、「価値(印象を与える度合い)」  の方がほとんどゼロに近かったのでは、 作品としてあまり(ほとんど)イミがなくなってしまう というわけですね。



<それじゃー行ってみよう!>

最後に、日本にある非常に実用的な現代美術作品を1つご紹介しておきます。

作品的には「巨大造形」というか「前衛建築?」というか・・・ いちばん近いところでは「きてれつなトレッキングエリア」みたいなもので、  「養老天命反転地」 というものすごい名前のものです。
これはもう芸術とか建築とか言うより(作者の目標はともかくとして、 仕上がり方は)一種のレジャー施設でして、 形態は巨大な公園のようなもので、中に入って好きなだけ遊べるし、 写真も撮れるようです。

欠点は、作品全体がコンクリートでできているので、 暑い日に行くと照り返しで地獄を見る事です。
夏でなくても必ず水筒やペットボトルを持ち、 ナナメにかしいだ地面をものともしないで闊歩できる靴をはき、 体力づくりにハイキングするつもりで入る事をオススメします。

けっこうヘンテコなものが山ほどあって、 「なんなのよコレは?!」な感じを味わえると思いますし、坂道とか多いので、 現代芸術鑑賞のついでに家族総出のウォーキングとか、体力づくりもできそうです。

ワタシ的には、もう少しヘンさの度合いが激しいとよりシュミに合うのですが、 (ガウディのグエル公園みたいな感じとか・・・) それでも、現代美術になかなか資金の下りない日本で、 これだけ大規模な建築費をかけて、 こんなものを作ってくれたという事実には、 感動せずにはいられないのであります。



<注>  サカタヤスコは、現代アートが好きですが、詳しいわけではありません。
だから、まちがっているところがあったら、こっそり教えてやってください。
そして (命がけで芸術を制作してる人がガッカリするといけないので)
「ギャグ大会だと思ってみよう」 というのはココだけの話にしてくださいね。


2001.1.7.


おまけのコーナー
<芸術作品の価値>

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作者: 荒川修作+マドリン・ギンズ
所在地: 岐阜県養老町養老公園



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