美濃国の出身。宝蔵院胤栄に槍術を学び、「槍の才蔵」と称された。また、合戦で討ち獲った首が多すぎて持ち運ぶと戦闘の邪魔になるので、首の耳や鼻、口に笹の葉を詰め入れ「この首はこの才蔵が討ち取った」という目印にした。このことから「笹の才蔵」とも呼ばれた。
斎藤龍興に仕え、のちに柴田勝家、明智光秀、織田信孝に仕えた。
1583年(天正11)、信孝の滅亡により、豊臣秀次に仕え小牧・長久手の戦いに従軍した。その後、前田利家・福島正則に仕え、関ヶ原の戦いでは17もの首を討ち取り、奮戦した。


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戦国武将列伝


読み かにさいぞう
別名 吉長
生没年 ?〜1613

政治:☆☆☆☆☆
武力:★★★★★
知力:☆☆☆☆☆





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可児才蔵

「信長の野望
 烈風伝」より