重定の子。
織田信長・豊臣秀吉に仕えた。小牧・長久手の戦いや小田原包囲戦に参陣した。文禄・慶長の役(朝鮮出兵)にも出陣する。
関ヶ原の戦いには東軍(徳川方)に従軍し、1万石を与えられる。
大坂の陣では豊臣方と内通し、自刃を命ぜられ、子・山城守とともに自害した。

千利休のもとで茶を学んだ。利休の死後、筆頭の茶人となる。
将軍・徳川秀忠をはじめ、各国の大名の茶の湯の師匠を勤めた。
織部焼き(おりべやき)の創始者である。


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戦国武将列伝


読み ふるたおりべ
別名 重然(しげてる)
生没年 ?〜1615

政治:★★☆☆☆
武力:☆☆☆☆☆
知力:★★☆☆☆





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古田織部

「信長の野望
 烈風伝」より