ホームページ開設奮闘記

 北茨城市の現在地に天体観測所を建設し始めた4年半前から、今後の天体観測所の運営を検討した場合、性能のよくなったパソコンの導入は不可避であると考えていた。しかし、当面はワープロで間に合っていたので、建設作業が忙しかった間は、甥にたのんで1メートル反射望遠鏡をパソコンで制御できるようにしたほかは、やるときは集中的にやろうと見送っていた。それでも、私自身の老化がこれ以上進まないうちに導入した方がよいのはわかっていたので、昨年の暮れに資金に少しばかりの余裕ができたのを機会に、パソコンを買うことにした。

 買うについては、目的が次のようなものであったから、『天文ガイド』編集長の高槻氏に電話して、天文関係のパソコンに強い者ということで、岐阜県のA氏を紹介していただいた。

  1 カラー写真を取り入れた天文関係の資料の作成

  2 E-mailの交換

  3 ホーム・ページの開設

  4 CCDで天体画像を取り込むこと

 A氏はパソコンの機種はNEC VALUESTAR NXがよいと推薦してくれたので、勤務先のパソコンの専門家に秋葉原まで同道してもらって、機種を選定する予備知識が全くないままに、その機種を買った。その時、プリンターは、星雲や星団の微妙な色が出るように考慮して機種を選択し、EPSON PC-700Cも購入することにしたのである。

 5日ほどして届いたパソコンは、北茨城の天体観測所で鉄のアングルとベニヤ板で使いやすいように製作しておいた専用の台の上に置いた。そして、そこから長い長いマニュアルとの格闘が始まった。それまでに、ワープロのマニュアルは読んだことがあった。しかし、勤務先の仕事との関係でパソコンに触ったことはあるが、いつも専門家に安直に教えてもらっていたので、パソコンのマニュアルを読む必要はなかった。しかし、これからはすべて自分で操作できるように習熟しなければならないと悲壮な覚悟を定めていたので、マニュアルをていねいに読むことにしたのである。

 マニュアルを読み始めてすぐに気づいたことは、パソコン用語の氾濫である。これまでに習った英語の単語から推測できるものもあったが、大部分は未知の用語であり、次から次へと出てくると、ヘルプを打ち出して読んだり、索引をめくっても見ても、とても一度や二度では憶えられるものではない。アイコン、ツールバー、メニューバー、ブラウザ、モニタ、タスクバー、スタートメニュー、オンラインヘルプなどなど。その上、パソコンの基本構造がわかっていないから、接続したときに間違ってつないだらどうなるか予測がつかず、常にびくびくしていなければならない状況となる。電話とパソコンをつなぐとき、パルス回線かプッシュ回線かわからないから、電話局に電話して確認しなければならない。あれやこれや、気骨の折れること限りなしということになる。子供のときからテレビゲームなどでパソコンに慣れ親しんで来た者は、このような気苦労を経験しないですむであろうが、60歳をすぎから予備知識なしで取りかかると、以上のようなつらい経験を余儀なくされることになるわけである。

 それでも、マニュアルを何度も読み直しながら、電話やプリンターを何とか接続することができた。そして、パソコンをワープロ代わりに使っているうちはよかった。1970年に米国で仕入れた電動のタイプライターを使っていた経験があり、その後もワープロではローマ字で入力していたので、キーボードに慣れるのに苦労はしなかったが、それから先が問題だった。

 写真の画像を取り込むのであれば、メモリーが充分になければならないと職場の専門家がいうので、Melco incの128MBのメモリーを買ってきて、パソコン本体の蓋を開けて基盤に取り付けた。この取り付けは、指示通りにおそるおそる実行したのだが、意外と簡単だった。次に、三鷹の自宅で30センチと50センチの反射望遠鏡で以前にたくさん撮ったネガのフィルムからカラー写真が打ち出せるようにしたいので、それにはスキャナーは高精度のものが必要ということになり、POLASCAN 35 Ultra を取り付けた。このときも、SCSI(スカジーと発音することが後でわかった)ボードを取り付けてから、それに接続したのであるが、マニュアルに理解不可能な文章が続出するのには困り果てた。マニュアルの執筆者が独善的なのか、読者の能力が不足なのか。例えば、スキャナーによってネガのフィルムから画像を取り込めば、カラー写真としてプリントできると簡単に考えていたら、作業メニューをあれこれいじっても、どうしてもポジに反転できないので、勤務先の専門家に問うと、ネガをポジに反転させるには、別なソフトが必要だというのである。そこで、Paintshop pro Ver4.2jというソフトを買ってきて、インストールというのを実行した。インストールの作業は慣れていさえすればどうということはないのであるが、マニュアルとにらめっこで、次から次へと現れる画面の文字を読みながら操作をするのは、気骨の折れるものである。本当に困ったのは、マニュアルが初心者向きではなく、一定の予備知識を前提として作成されていることで、ウイザード・ウインドウでどちらかを選択せよと迫られても、その先がわからなければ、判断できないことであった。

 次に、電子メールに取りかかった。職場の複数の専門家が、自分の状況をよく考えて条件さえ合えばどのプロバイダーでもよいというので、NECがやっているbiglobeに入会した。最初の1か月の会費が無料で、その後は一か月15時間までは2000円というコースで、ホームページは5MB(メガバイト)までは無料となっている。マニュアルで調べて、パソコンで入会を申し込んだが、そのときはメールアカウントをyama-tadashi-1とした。しかし、これでは国際的に交信するには適当ではないと考えて、変更を申し込んだら、変更は認めないという。ではどうすればよいかといったら、一度脱会してから再入会するときにメールアカウントを変更すればよいというので、その助言に従ったが、パスワードの秘密保持は必要だとしても、今でも変更を認めない理由がわからない。電話番号や住所と同様に、相手の迷惑を考慮すれば、メール・アドレスは不用意に変更すべきではないと考えたので、今度は変更しないですむようにと慎重に構えた結果、その脱会と再入会のために、電子メールによる交信が1か月以上も遅れてしまった。

 電子メールの次は、いよいよホームページである。それには、写真を取り込まなければならないので、CanoScan 600というスキャナーとMO(光磁気デスク)を購入した。画像を記録しておくには通常のフロッピーでは容量が少ないので、MOが必要であると職場の専門家にいわれたからである。ところが、ここで、SCSIに接続するのにつまずいた。POLASCAN 35 UltraとCanoScan 600とMOの三つをつなぐのに、マニュアルをていねいに読みながらやっても、基本的な予備知識が不足しているから、気楽に接続というわけにはいかなかった。夕食後に悪戦苦闘しても遂につながらないことがわかると、その翌日に職場の専門家の教えを請うという手続きを繰り返してようやく接続することができたが、それで万事OKというわけにはいかなかった。

 CanoScan 600にカラー写真をセットして、プレビューで取り込み、次ぎに調整をしようとすると、そこでパソコンは動かなくなってしまうのである。これには驚いて、パソコンを強制終了させ、翌日に専門家の意見を質したら、そういうことはよくあることで、驚くには当たらないという。そこで、早速ソフト会社へ電話したが、難関はそこから始まったといってもよいほど、その前途は多難であった。まず、ソフト会社の電話が都外である上に、なかなかかからないのである。それまでも電話がかからないのにはいらだっていたが、それも程度問題で、これほどまでにかからないと、ソフト会社の責任を追及したくなる。その上、初心者は電話で説明を受けても帰宅後に指示通りに操作できるとは限らないから、どうしてもパソコンの画面を見ながら電話で指示を受けなければならない。それには、休暇を取らなければならない。ソフト会社としては、応対の人件費を考慮すると、夜間や休日には対応できないと主張するであろうが、ユーザー側から見れば不親切この上ないわけで、このような状態では、中高年にパソコンが普及するのは望むべくもないと思う。結局、CanoScan 600では最初のソフトではパソコンが「調整」で停止するのを防ぐことができず、ScanGearというソフトを送ってもらって、ようやく解決したのであった。

 次は、いよいよホームページである。ホームページを賑やかにするために写真をたくさん入れると、パソコンの容量が不足する場合があるというので、外付けハードデスクを取り付けた。それまでに手こずった経験がものをいって取付は簡単だった。

 ホームページの作成で最初に突き当たった難問は、英語では入力できるが、和文では入力できないことであった。職場の専門家にいわせると、パソコンにはじめからセットされているインターネットエクスプロラーとクラリスホームページVer.2というソフトの相性が悪いためであるという。Netscape Communicatorの方がホームページにはよいというので、そのソフトをインストールした。その後、インターネットエクスプロラーの名前が付いているソフトをすべてゴミ箱へ捨ててしまったら、パソコンが動かなくなってしまったのである。そこで、やむなく休暇を取って、朝から一日がかりでパソコンを最初から立ち上げることにした。職場の専門家からは1週間はかかるだろうと脅かされ、一日で立ち上げることができるかどうか自信も何もなかったが、とにかくやってみるほかはないと観念して実行した。この時も、操作をしながら最も困ったのは、実行すれば必ず実現できるという展望が開けていないことであった。一度の操作で完了するかも知れないし、何度も操作して駄目なのを確認してから、その度にソフト・メーカーに電話しなければならないのか、全く見当がつかないのである。それでも、あちこちのソフト・メーカーに電話しながら、何とか夕方までにはそれまでと同じ状態に戻すことができた。この経験を通じて、いろいろなことがわかったから、時間と神経をすり減らしたが、立ち上げなおしたのも無駄ではなかったと思う。

 そう思ったのもつかの間で、CanoScan 600で取り込んだイメージが、ホームページに表示すると、期待した大きさにはならないことがわかって、大いにあわてることになった。dpiの数値が多い方が、画像が鮮明になるはずと考えたのが誤解の始まりであった。それはそのとおりなのだが、dpiの数値を大きくすると、ホームページ上のイメージが大きくなってしまって、せっかく整えたレイアウトが乱れてしまうのである。その上、ホームページを観る者にとっては、大きなイメージは時間がかかるので見てもらえなくなると職場の専門家に脅かされて、75 dpiですべてのイメージを取り込み直さなければならなかった。この作業は、神経の消耗と時間の浪費とを伴い、いささか鶏冠にくるものであった。

 これでOKになったかというと、まだ先があった。苦心の末に作成した文章やイメージが、ホームページを見る者にどのように見えるかがわかるというブラウザ・プレビューで見ると、行がずれたり、イメージの位置が動いてしまうのである。作成とブラウザ・プレビューとを往復しながら、操作しなければならないから、時間がかかるのは避けられない。それに、理由がわからないままに「このプログラムは不正な処理を行ったので強制終了されます。終了しない場合は、プログラムの製造元に連絡して下さい。」という警告が意外なところで画面に現れたりすると、ああまた電話をかけなければならないのかと、強迫観念にとりつかれることになる。疲労が重なってくると、一体どうなっているのかとソフト会社が恨めしくなるし、もはやこれまでかと絶望的になる。

 それでも、よく眠れば元気を回復して、何とか作業を継続することができた。こうして苦心惨憺の末にようやくホームページをサーバへ送り込んだのが、1998年7月17日の夜であった。昨年の暮れから始めてこのように長くかかったのは、今でも土曜と日曜は北茨城市の天体観測所の建設に従事していて、パソコンの操作に習熟できなかったからである。別に弁解しても仕方がないし、その必要もないが、以上のような次第で、7か月もかかってようやくホームページの開設にこぎつけることに成功したと思った。しかし、ことはそれほど簡単ではなかった。その時は自分のホームページを呼び出せるとは気がつかなかったから、その翌日、職場へ行って専門家にホームページを開いてもらったところ、第一ページが出ないのである。専門家にいわせると、最初のページにはindex-htmlという見出しをつけなければならないのに、それをつけていないためであるという。そんなことはマニュアルに書いてないというと、それはマニュアル以前の問題で、ホームページを作ろうとする者は、当然の予備知識として持っていなければならないものであるといわれて、そんなこともあるのかと、半分は納得し、後の半分ではパソコンの奥行きの深さに脱帽したのであった。

 言われたとおりにindex-htmlをつけてサーバへアップロードしなおし、これで完了したと思ったら、16枚のイメージのうち2枚が左上にイメージが破れた形で表示されて、いくら待ってもホームぺージの画面に呼び出せないのである。難問は次から次へと出てくるものだと感心しながら、イメージを小さなものに入れ替えなければならなかった。

 ホームページを開設できたところで、次はCCDによる天体画像の取り込みである。CCDを含む機材は、6月の末に新宿のNewtonで入手していた。これまでにパソコンに取り付けたのは、外付けハード・デスク、MO、CanoScan 600、 POLASCAN 35 Ultra の四つであり、この順序に並んでいる。これまでの経験に鑑みて、あらかじめマニュアルを読んで、一日の休暇を取って万全の体制で臨んだのであるが、CCDのケーブルを接続するためにプリンター用のソフトを外したり、双方向モードにするにはどうしたらよいかとNECへ問いあわせたりしているうちに、だんだん混乱してきて、遂にCCDのメーカーのBitran

に電話をかける羽目になってしまった。しかし、これまでの経験がものをいって、それほど神経をつかわないでソフトのインストールも済んだ。

 次は、いよいよパソコンとCCDの機材を北茨城市の天体観測所へ持って行って、確実に天体画像が取り込めるかどうか実験することである。これは、天候と忍耐力を競うことになるが、これまでの天体写真の撮影の経験から、準備をしてひたすら待つ以外に方法がないことがわかっていたが、今年ほど待たされるとは予想していなかった。天体観測所へ行くときは、パソコンを持って行き、帰って来るときは10センチ屈折望遠鏡を外して持ってきて、いつでもテストができるように準備して、待ちに待ったが、一か月以上も空費する結果となった。

 その後、CCDによる画像の取り込みは実行して、見通しを立てることはできたが、生業の関係で思うように時間を割くことができずに、実際に写真として印刷するところまではいっていないのが現状である。(1999.2.13)


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