4 外見と仙人
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「何でこんなことをしているのですか」
「哲学ですよ」
「何の哲学ですか」
「どのように生きたらよいかという自問に対する回答を実践したんです」
対話は、ここで途切れてしまった。これが現在の日本の現状なのだろうと考えて、それ以上は強いて対話を続けようとしなかったのである。
構内を案内している間中、二人の男子はほとんど言葉を発しなかったし、質問もしなかった。その母親は、手作りの天体観測所を建設した人がいるとどこかで聞き込んで、二人の息子にやる気を起こさせるにはよい見本だろうと考えたのではないかと推測したが、敢えてその点を質してみることもしなかった。
典型的な教育ママと見受けられたこの女性にとっては、まず第一印象がいけなかったのではないかと思う。赤い錆止めのペンキの付着したよれよれの作業服を着て、古びた麦わら帽子をかぶって農作業をやっていた60歳を過ぎた男性は、およそインテリジェンスとは無縁に思えたであろう。その村夫子然とした者が、改まった初対面の挨拶もせずに、白い鏡筒のスマートな望遠鏡のイメージとはかけ離れたごつごつした鉄骨だらけの反射望遠鏡について、ごく簡単に解説をしたのである。これでは製作者も望遠鏡もあまりにも常識とはかけ離れていて、二人の息子の役に立つかも知れないと期待していた願いは、無惨にも消し飛んでしまったのであろう。当方では貴重な時間を30分も割いたのに、礼も言わずに帰っ行ったのである。
このような経験は、前にもしたことがある。孫に車を運転させて来たという老人は、背広を着てネクタイをしめ、いかにも謹厳実直な風采をしていた。その時は、私はチェーンソーで暖炉用の薪を切っていた。
「山崎先生はいますか」
「私が山崎ですがーー」
「あなたが、ですか」
新聞記事を読んで来る気になったというその老人は、怪訝な顔をした。目の前にいる初老の人物は、つぎの当たった作業服を着て長靴をはいており、軍手をした手にはチェーンソーを握っていたのであるから、日本有数の大望遠鏡を自作した技術者にも、天文学に造詣の深いインテリにも見えなかったからであろう。
このような経験を何度もすっると、以前から気づいてはいたが、外見で人物評定をする人が多いことがわかる。そうはいっても、1メートルの反射鏡を磨いたぐらいで私自身が高く評価されなければならないいわれはないし、これまでの60年をこえる経験と知識から判断しても、長くつきあえば的確に人物評ができるとは限らないから、ここに登場した女性や老人を常識がないと非難することはできないと思う。
子供の頃、父は外見で人を判断することはできないといっていた。その後、高校の教科書で森鴎外の『寒山拾得』を読んでから、文殊菩薩と普賢菩薩の化身であるといわれた人物に興味を持つようになり、上野の博物館やデパートの展覧会で何度か寒山と拾得を描いた墨絵を観ているうちに、外見はそれほど気にならなくなってきたのである。それに、本人から直接に聞いたこと以外に、学歴や伝聞で人物評価をすることをこれまで意識的に避けて来たし、無理に人物評をする必要もなかったから、「直接に」にこだわったために見識が狭くなることはやむを得なかったが、外見よりも直接に見聞した行為によって人物を判定しようとする態度は変えなかった。
天体観測所では、特に意識して奇をてらっているわけではなく、いくらでもある作業の能率を考えて、服装に気を取られて怪我をしないように配慮しているだけである。その結果、よれよれの作業服を着ていることになるのである。これだと、構内の雑木林を伐採した跡地の開墾をやって土まみれになっても、汗だくで暖炉用の薪割りをしても、服装を気遣う必要は全くない。疲れればどこにでも腰を下ろせるし、破れれば繕えばよいのである。老化で体力が衰える前に、天体観測所を完成させる方が重要であって、服装に気遣うよりも、能率を第一にして作業を急ぐ方が先なのである。それに、手作りを標榜している関係上、体力の維持も不可欠の条件であるから、気軽にいつでも作業に取りかかれるように工夫して、補修でも部品の製作でもすぐにやれるように、体力の保持につとめているわけである。
老荘の徒を自称し、仙人になりたい吹聴している者が、このように服装にこだわっていたのでは、前途ほど遠しとなるので、今回はこの辺で筆をおくこととする。(1998.7.31)
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