星空を眺めて、大人になったら望遠鏡で覗いてみたいと考えたのは、小学生(当時は国民学校といった)のときだった。冬の寒さに身震いしながら、星空を見上げていた情景の記憶が残っている。
太平洋戦争が終わったのは、小学校4年生のときで、10歳だった。その前後数年間は、茨城県の片田舎でも、極端に物資が不足していて、教科書も満足なものではなかった。それでも、初めて星のことを学んだ中学生の頃になると少しは改善されて、少年向けの雑誌もいくつか発行されていた。それらの雑誌の記事に触発されて、反射鏡を磨いてみたかったが、周囲の事情から不可能だった。しかし、事情が許せば、必ず実現したいと考えていた。今になって思い返してみると、そのときの願いがその後の長い反射鏡研磨の発端になっているように思えてくる。このように、願望と現実の落差が大きければ大きいほど、その願望は研ぎすまされて子供の心に刻み込まれるものらしい。
高校では、化学、物理、生物、地学とあった科目から、将来どの科目が役に立ちそうかを考えた結果、前三者を選んで天文学を扱う地学を選択しなかった。しかし、宇宙の構造とか、その宇宙の中における人間の存在とか、人間の認識能力と宇宙の関係とか、人生観や世界観の対象としての宇宙に関する興味を失うことはなかった。
古代史に興味を持つようになったのも、中学生のときの読書が発端である。中国古代史への親近感は、明らかに吉川英治著『三國志』の影響である。この本は中学校の図書室にあった粗末な紙の14巻本で読んだのであるが、たちまちそこに登場する英雄豪傑のとりことなった。その興味は、大学時代に読んだ『史記』ヘと発展し、遂には『史記点描』を執筆するまでになったのである。
西洋古代史も、実家にあった『プルターク英雄伝』の中のアレクサンダー(アレクサンドロス)大王とジュリアス・シーザー(ユリウス・カエサル)を比較した部分を中学時代に読んだのがきっかけである。大学時代に岩波文庫の12冊本(河野與一訳)を読んで感激し、ギリシャ哲学への興味も手伝って、ギリシャ語やラテン語を学ぶ才能も余裕もないので、折にふれて入手できる英語で書かれた古代のギリシャやローマの本を集めるようになった。将来は、古代地中海世界を舞台として『テミストクレス』『ソクラテス』『ハンニバル』の三部作を書きたいと資料を集めているが、63歳となった現在では、寿命との関係で、実現できるかどうかは不明である。